Vagabond Shoes

Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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ニューグレンジ

2010年11月、ダブリン出発のバスツアーに参加した日のお話です。

いくつかのツアーから私たちがチョイスしたのはMary Gibbons Tour、60歳代(多分)のアイルランド人女性がコンダクターをする一番人気のツアーです。

前日にツーリストインフォメーションセンターで予約をし、お値段は35ユーロ/名(入場料込み)とちょっとお高め。しかしここはヨーロッパ、仕方あるまい。

さて、バスは10:15にピザハットの前で私たちをピックアップし、その後いくつかのポイントでお客さんをひろって出発です。

今日のお客さんは50人程、Maryさんすごいっ、大人気だね~。


ニューグレンジに行く前に、一箇所バスを降り立ち寄った場所がありました。
こんな静かな壁沿いを歩き・・・
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やってきたのは『タラの丘(英語:The Hill of Tara、アイルランド語:Teamhair na Rí)』
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アイルランド東部、ミース州の町、ナバンの南郊にある丘で、ケルト人の上王(大小の諸国で構成される連合国家の王)の戴冠式が行われたといわれます。

世襲の王族をもたなかった古代ケルト人は、各地方の豪族達のなかから最も人望のある者を上王として立てました。

上王はタラの丘に居を構え、祝祭、裁判、市を主催し、世界中からたくさんの人々がここタラの丘を訪れ、11世紀頃までケルト人の政治的、宗教的な中心地だったそうです。

今は何もない草原ですが、繁栄の時にも苦難の時にも、ケルト民族が立ち帰る神聖な場所、『アイルランド人の心の故郷』といわれる丘なのです。


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『風と共に去りぬ』のスカーレットが生まれ育ったのはアメリカのタラという架空の場所で、ここ『タラの丘』に由来します。

こんな綺麗ですが、地面は羊のウンコが所狭しと落ちているので、絶対にコケてはいかん!!
雨の多いアイルランド、タラの丘の草原もかなり湿ってツルツルしていたため、2,3人の女性が転んで泥だらけになっていました・・・かわいそうに・・・。


タラの丘を出発し、しばらくバスに乗り今日一番の観光ポイント『ニューグレンジ』にやってきました。
まずはオフィスでチケットを貰い、橋を渡ってしばらく歩きミニバス発着地に向かいます。
ニューグレンジ遺跡は完全に保護されており、一般人が簡単には近づけないようになっているため、数キロ離れたオフィスから専用のミニバスで遺跡の近くまで行きます。


オフィスからバス乗り場に行く途中に橋を渡りました。
これは『ボイン川 The River Boyne』。
全長が112kmと短いにもかかわらず、ボイン川は歴史的、考古学的そしてケルト神話の上でも重要な舞台となっています。 1690年7月1日、ウィリアム3世率いるイングランド・オランダ連合軍と、退位させられたジェームズ2世率いるスコットランド軍の間に行われた戦い『ボイン川の戦い Battle of the Boyne』でも有名です。
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アイルランドは湿地と岩だらけ。土地もやせているだろうし、暮らしにくいところだなぁとつくづく思います。
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冬は相当底冷えしそう。
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さて、ミニバスに乗りニューグレンジ遺跡のすぐ近くまでやってきました。
ニューグレンジ遺跡の周囲は、のどかな風景がひろがります。
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周囲がグルリと見渡せます。写真中心からちょっと右下にある小さな山も遺跡です。
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丘の上にあるのが超古代遺跡『ニューグレンジ(英語: Newgrange、アイルランド語: Sí an Bhrú)』。
世界遺産に登録されています。

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ニューグレンジは、今から約5000年前、紀元前3100年から紀元前2900年の間に建設されました。

放射性炭素年代測定によれば、エジプトのギザの大ピラミッドよりも500年ほど古く、ストーンヘンジよりも約1000年先行しているそうです。

ニューグレンジは発掘時に人骨が発見されたことから、死者の埋葬地、墓として使用されていたという説が有力ですが、宗教儀式の場だったという説もあります。

発掘から5000年もたっているのだから、長い年月を経るうちに使用目的も様々に変更したのでしょうね。


構造はこの通り。
専属の係員の案内で、長い廊下を通り、内部の部屋を見学することができます。
とても狭い部屋で、一度に見学できる人数は25人まで。
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これが内部への入り口です。
この渦巻き模様がニューグレンジ遺跡の特徴。
マルタ島で見た『ジュガンティーヤ遺跡』も模様とそっくり!
Maryに質問してみると、同時代の遺跡だが関連性はないと考えられているとの答え。
けれど、詳しくは不明との事でした。なんせ古い時代のものだものなぁ。。。。
もし関連性がないとしても、違う場所で、同じモチーフを石に刻んだ太古の人々がいたことは、とても面白いし、ロマンがあると思いました。
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こんな狭い廊下を、背中を丸くして歩いて行きます。
内部は写真撮影不可なので、以下内部の写真はKnowth.comさんから拝借。
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長い廊下の先は、こんな小さな部屋。ここが何らかの儀式が行なわれた中心部だったそうです。
1年で最も日が短い冬至の明け方、太陽光が長い廊下に真っ直ぐ入射し、この部屋の床を短時間だけ照らすように建設されています。
ツアーの最後に、係員さんが電気を消して、その様子を再現してくれました。 (写真はKnowth.com)
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そしてすごいのは部屋の天井。修復されたことがなく、5000年前からまったく手をつけていない状態だそうです。
5000年間雨漏りもしたことのない天井は、石がミルフィーユのパイ生地のように重なっています。
(写真はKnowth.com)
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内部を見学できるのは、たったの10分。とても狭くて酸欠になりそうなので、これで十分・・・
あとは遺跡の廻りをグルリと見学。小石を積み重ねた外壁は、発掘後に修復がなされたそうです。
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遺跡をあとにしてバスに乗り込み、ツアコンMaryさんの止むことのない弾丸トークををバックミュージックに爆睡していると、あっという間、16時過ぎにダブリンに戻ってきました。
クリスマスツリーの後ろは中央郵便局。
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街はすっかりクリスマス仕様。買い物客で賑わいます。
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では。

ケルズの書-ダブリン

2010年11月、ダブリンで『ケルズの書』を見た日のお話です。

ダブリン滞在2日目の今日、何よりも先にまずやるべきことは、いまいちな宿をチェックアウトし引越しをすること


リフィー川を渡り、ダブリンの南側へトコトコ。
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ダブリンは都会だねぇ。
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歩いていてよく目にするのが『借主募集中』や『売出し中』の看板がかかった不動産。
アイルランドの財政危機は、不動産バブルがはじけて膨れ上がった不良債権を抱えた銀行を国家が救済したことが原因。
一時の不動産価格は5倍にも跳ね上がって、猫も杓子も不動産投機に走りましたが、今は二束三文。 宴の後です。
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ここでちょっとダブリン情報。(wikipediaより)

ダブリン Dublinは、アイルランド島東部の都市で、アイルランド共和国の首都。

アイルランドの政治・経済・交通・文化の中心地であり、アイルランドの全人口の三分の一がダブリン首都圏に集中するアイルランド国内唯一にして最大の都市である。欧州有数のグローバル都市であり、重要な金融センターの一つになっている。

2世紀のアレクサンドリアの地理学者プトレマイオスの文献にエブラナとしるされている地が現在のダブリンとされる。

住民であるケルト人は291年、レンスター軍との戦いで勝利をおさめた。ダブリンのアイルランド語の名称ブラー・クリーは、この勝利のあとにつけられた名称と考えられている。

ダブリンは、アイルランドの歴史の中でしばしば重要な役割をはたしてきた。

450年ごろにパトリキウスによってキリスト教に改宗。

9世紀半ば頃、リフィー川から攻め上がってきたノルマン人ヴァイキングが、ここにあったケルト人の町を破壊して城砦を築き、これをゲール語で「黒い水たまり」を意味する「ドゥヴ・リン」Dubh Linn と呼んだのが町の英名の由来とされている。
現在のダブリン城の地下にはその当時の遺構がうかがえ、またこの城の裏の庭がそのかつて「黒い水たまり」と呼ばれていた地域である。

これにつづく3世紀の間、アイルランドの住民はデーン人からたびたびダブリンを奪回した。

1171年、デーン人はイングランドのヘンリー2世にひきいられたアングロ・ノルマン人によって追放された。

ヘンリー2世は翌1172年にダブリンに宮廷をおき、ここをイングランドの都市ブリストルの属領とした。

こうしてダブリンはイングランドのアイルランド支配の拠点となったが、1534年に反乱がおき、アイルランドの愛国者フィッツジェラルドが一時支配した。

17世紀、イギリスのピューリタン革命の間、ダブリンはクロムウェルの議会派勢力に包囲された。

1798年のアイルランド民族主義組織ユナイテッド・アイリッシュメンの蜂起に際してはダブリン攻略の試みは失敗し、1803、47、67年にも蜂起がくりかえされた。

1916年と19~21年のアイルランド蜂起では、ダブリンははげしい戦場となっている。

歴代のアイルランド王や有力者、またアイルランドを植民地支配したイングランドもダブリン城に行政の拠点を置き、アイルランド独立にいたるまでアイルランドの行政と政治の中心であった。

現在も、市の中心部のメリオン通りおよびメリオン・スクエア周辺にアイルランド共和国政府の議会や主要官庁が立ち並び、アイルランドの政治・経済・文化の中心として栄えている。



続きです。新しい宿はLe Cirk Hotel。
テレビ、バストイレ、電気湯沸かし器、コーヒー・ティーセット、WIFI、美味しい朝食が付いて40.5ユーロ/室。
とてもお得感の高い宿です。唯一の欠点はエアコンの調子が悪く、とても寒いこと。
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さて、今日はダブリンで最も観光客が訪れるスポットに行きました。
それはここトリニティ・カレッジ。
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トリニティ・カレッジ(英語:Trinity College、アイルランド語:Coláiste na Tríonóide, Baile Átha Cliath)はアイルランド共和国の首都ダブリンにあるアイルランド最古の大学で、400年以上の歴史と伝統を誇ります。

正式名称は、ダブリンにおけるエリザベス女王の神聖にして分割されざる三位一体大学 The College of the Holy and Undivided Trinity of Queen Elizabeth near Dublin。 
←なんじゃこれ。。。

1592年にエリザベス1世の勅令によって入植者・官吏・国教会子弟の高等教育のために設立されました。

オックスフォード大学やケンブリッジ大学と並び、英語圏最古の7大学のひとつです。

設立当初はダブリンに暮らすプロテスタント(国教会)にのみ入学が許されていました。

18世紀にアイルランドにおけるカトリックの差別撤廃が進むと、1793年にカトリック教徒の入学も許可されるようになりました。
これはイギリス本土ケンブリッジ大学やオクスフォード大学よりも早く、それらの大学のモデルとなったのです。

1873年には入学の際に信教を問われる事はなくなりましたが、少なくとも1980年代までは、教区の司祭の許可書提出を求められる場合もありました。

1904年には女性の入学が認められたが、これはアイルランドにおいて初めてのことでした。


大学の構内。すっかり冬、寒いっ!
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石造りの伝統ある建物が並びます。
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お目当てものは、ここトリニティ・カレッジ図書館に収蔵されています。入場料は9ユーロ/名。
トリニティ・カレッジ図書館は、アイルランドにおける最大規模の図書館で、エジプト時代のパピルスをはじめ、計500万の書籍を収蔵。イギリス、アイルランド両国で発行された書籍について、全てを無償で請求できる権利とともに、自由に複写する事ができる特別な権利を有しています。
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そして、ここに収蔵されている最も重要なお宝は『ケルズの書』。

『ケルズの書 The Book of Kells』は、8世紀に制作された聖書の手写本。

「ダロウの書」、「リンディスファーンの福音書」とともに三大ケルト装飾写本のひとつとされ、アイルランドの国宝となっており、世界で最も美しい本とも呼ばれます。大きさは縦33cm、横24cm。

豪華なケルト文様による装飾が施された典礼用の福音書で、四福音書(マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書)が収められています。

聖コルンバの偉業を称えるために、スコットランド、アイオナ島のアイオナ修道院で制作が着手され、その後アイルランドのケルズ修道院で完成されました。


皮に細かい絵が描かれ、一針ずつ丁寧に綴じられた1200年前の本。
この時代の宗教画は、聖人やキリストの顔が完全にアラブ人に表現されているのが興味深いです。
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図書館の2階にある古い図書室『Long room』を見学し、お次はアイルランド国立博物館へ。
ここのお宝は『タラ・ブローチ Tara Brooch』
8世紀に作られたもので、1850年にアイルランドのタラの丘付近から発掘されました。ケルト金工芸術の最高傑作といわれます。 古代から中世初期にかけて、ケルトの騎士達が重たいマントを肩や衿元で留めるために、頑丈な針を備えた大きなブローチがさかんに作られたそうです。
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街をぶらぶら。雨が多いアイルランド、ひとつだけ良いのはしょっちゅう虹が見れること。
写真ではうまく撮れないのですが、色のくっきりした綺麗な虹。
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今日の夕焼けは見事!
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港までやってきましたが、寒いのなんの!鼻水がタラリ・・・
早く宿に帰って、お布団に包まろうっと!
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ダブリンに到着

楽しかったイタリアとお別れし、アイルランドへと向かった日のお話です。


朝のローマ・テルミニ駅。レオナルドエクスプレスでフィウチミーノ空港へ。
所要時間は30分、なのに運賃は8ユーロ、高い~!!!
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今日の飛行機はAER LINGUS、EI403ローマ→アイルランド・ダブリン。運賃は100ユーロ/名でした。

この飛行機会社は飲食サービスが全て有料。

今までの経験からは割高な有料サービスを利用する乗客は少数派。

おまけに、乗客の殆どが破綻しそうな国アイルランドの人々なので、皆さぞ倹約するのだろうと思ったらば大違い!!!
 
皆、買うこと買うこと!!!

高~いサンドウィッチやジュースが飛ぶように売れて行きます。

隣のアイランド女性は、不味そうなサンドウィッチ2つと白ワインの小ボトル2本で27ユーロも払っていました。

有り得ーん、どこが不景気なんだ!

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飛行機は12:40(定刻12:00)離陸、14:55(定刻14:25)にダブリンに到着しました。

アイルランドの入国審査はイギリス並に厳しいという噂で、過去には復路のチケットを持っているのに入国拒否された日本人もいるそうです。

だけど、審査では滞在期間と目的、出発地(ローマ)、同行者の有無を聞かれただけでアッサリ入国できました。

前に並んでいた外国人たちは、行き先などをかなり詳細に質問されていたので、これも日本のパスポートの威力なのか?結局は担当官次第ですね。

ここでちょっとアイルランド基本情報をどうぞ(外務省HPより)。

国名:アイルランド(Ireland)

一般事情

1.面積 7万300平方キロメートル(北海道とほぼ同じ)

2.人口 約447万人(2010年4月アイルランド中央統計局推定)

3.首都 ダブリン(約121万人、2010年4月アイルランド中央統計局推定)

4.言語 アイルランド語(ゲール語)及び英語

5.宗教 約87%がキリスト教徒(カトリック)

6.略史

年月 略史
1801年 英国がアイルランドを併合
1919~1921年 独立戦争
1922年 英連邦内の自治領として発足。アイルランド自由国憲法制定(北アイルランドは英国領にとどまった。)
1937年 アイルランド憲法(現在の憲法)制定(大統領制の導入)
1949年 共和制を宣言(英連邦離脱)
1955年 国連加盟
1973年 EC加盟
1998年 北アイルランドの和平合意成立
2007年 北アイルランド自治政府再開

政治体制・内政

1.政体 立憲共和制

2.元首 メアリー・マッカリース大統領(2004年11月就任(2期目)。任期7年、最高2期)

3.議会 二院制(下院優位。下院166議席(任期5年、解散あり)、上院60議席)

政党名 下院 上院
与党 共和党 70 28
緑の党 6 3
無所属 3 -
その他共和党会派離脱無所属議員
(政府案に通常賛成する議員) 3 -
野党 統一アイルランド党 51 15
労働党 20 6
シン・フェイン党 4 1
無所属・その他
(政府案への反対の傾向が強い議員) 4 7**
合計 161* 60

* 166議席に足りない分は、議長1席及び欠員4名。


** 上院の無所属議席7席に与野党の判別はなく、ケースにより政府案に賛成するか否か判断する。
(2010年11月時点)

4.政府

共和党、緑の党による中道連立政権。

(1)首相 ブライアン・カウエン(共和党)

(2)外相 ミホル・マーティン(共和党)

5.内政

経済悪化を背景に、与党共和党の支持率は昨年史上最低を記録。その後も低迷が続いている。政府は、2009年10月以降、リスボン条約再国民投票の可決、緑の党との連立政権基本政策改訂、金融安定化政策の一環としてのNAMA法案(バッド・バンク法案)の成立、大幅な公共支出削減を盛り込んだ2010年度予算の成立など難題に取り組んだ。今年に入り3名の大臣が相次いで辞任し、3月にカウエン首相は内閣改造を実施した。元共和党の下院議員の辞職もあり、11月現在、与野党の議席数の差は3と逼迫している。そのような中、財政赤字GDP比3%以下を達成するための財政4カ年計画の策定及び2011年度予算案の作成が目下の課題。

11月から来年にかけて下院補欠選挙の実施が見込まれている。

外交

1.外交方針

(1)EU 1973年にEU(旧EC)加盟。EUを重視。

(2)多国間外交

第二次世界大戦前から中立政策を掲げ、北大西洋条約機構(NATO)非加盟(NATO平和のためのパートナーシップ(PfP)には1999年から参加)。国連平和維持活動(PKO)に積極的に参加しており、国連待機制度で850名まで要因派遣が可能。

2.軍事力

(1)国防費 約8億2,250万ユーロ(2009年度予算)

(2)兵役 志願制

(3)兵力 9,933名(ただし、予備役は含まない)

(陸軍 8,095、 海軍 1,037、 空軍 801人:2009年国防省年次報告書)

経済

1.主要産業 製造業(電子・電気、化学)、酪農畜産業

2.GDP 2,223億ドル(2009年、IMF)

3.一人当たりGDP 49,863ドル(2009年、IMF)

4.経済成長率
          2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
経済成長率(%) 4.7    6.4    5.7    6.0   ▲3.0  ▲7.6


5.物価上昇率(年度末%)
          2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
物価上昇率(%) 2.4    2.0    3.0    3.2    3.1  ▲2.6


6.失業率
          2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
失業率(%)     4.6    4.5   4.3    4.4    4.5    6.1   11.8


7.総貿易額

(1)輸出 1,159億ドル(2009年、国連貿易統計)

(2)輸入 622億ドル(2009年、国連貿易統計))

8.主要貿易品目

(1)輸出 医薬品、有機化学品、コンピュータ

(2)輸入 その他航空機・スペースクラフト、日用品、石油、部品

9.主要貿易相手国(輸出:国連貿易統計(2009年)、輸入:EUROSTAT(2009年))

(1)輸出 米、ベルギー、英、独、仏、西、蘭、伊、スイス、日、中

(2)輸入 英、米、独、蘭、仏、中国、ベルギー

10.通貨 ユーロ

11.経済概況

2010年のGDPはプラス成長が見込まれていたが、10月の経済社会研究所(ESRI)予測ではマイナス成長に下方修正された(10年の推定GDP成長率▲0.25%、11年2.25%)。政府は銀行救済、財政安定化、国際金融市場の信頼回復という課題を抱え、財政赤字削減のための厳しい緊縮財政に取り組むとしている。

二国間関係

1.政治関係

(1)日アイルランド関係

伝統的な友好国である(第二次世界大戦中、アイルランドは英連邦の一員であったにも拘わらず中立政策を維持した)。

(2)外交関係開設50周年

日本とアイルランドは1957年に外交関係を開設し、2007年に50周年を迎えた。同年には両国において様々な記念すべき行事が行われ、2007年1月よりワーキング・ホリデー査証制度が導入された。(2009年度の実績:日本のアイルランドに対する査証発給数は35、アイルランドの日本に対する発給数は164。)

2.経済関係

(1)貿易額・主要貿易品目(財務省貿易統計、2009年)

日本にとってアイルランドはEU27ヵ国中、第14位の輸出相手、第5位の輸入相手であり、日本の輸入超過(2009年)。アイルランドからは主に有機化合物、光学機器、医薬品等を輸入。日本からは有機化合物、医薬品、乗用車等を輸出。

対アイルランド貿易額(単位:億円) 年 日本からアイルランド アイルランドから日本 輸出入の差異
2004年 2,145 4,107 -1,962
2005年 2,132 4,153 -2,021
2006年 1,905 4,059 -2,154
2007年 1,880 4,824 -2,944
2008年 1,323 4,300 -2,977
2009年 700 4,348 -3,648

(2)投資(日銀国債収支統計、2009年)

日本の対アイルランド投資は、アイルランド政府が企業誘致優先分野として掲げるICT、製薬、生命科学、研究開発(R&D)及び金融、またこれまでアイルランドの成長の源泉であった製造業等多岐に亘る。アイルランドから日本へは、医薬品関連への投資が行われている。

直接投資フローの推移(単位:億円) 年 日本→アイルランド アイルランド→日本
2004年 704 62
2005年 -120 -133
2006年 -268 149
2007年 -725 -222
2008年 -155 1,597
2009年 284 -236

3.在留邦人数 1,499名(2009年)

4.在日アイルランド人数 1,059名(2009年、法務省統計)

5.訪問者数

(1)日本からアイルランド 11,000人(2009年日本政府観光局)

(2)アイルランドから日本 10,450人(2009年日本政府観光局)



さて、続きです。
空港を出ると、すぐ目の前からダブリン中心地へのダイレクトバス(6ユーロ)が出ていますが、ローカルバス(16A)に乗車。運賃は2.2ユーロ/名。
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宿はネットで予約していたAbbey Court Hostel、バスルーム、WIFI、朝食付きで79ユーロ/室。
週末なのでとても割高です。部屋は狭いし、あまり綺麗ではないし、他にもっといい宿はあります。
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荷物を置いて街をブラブラ。景気が悪く、皆さん下を向いてあるいているのかと思ったらそんな様子は微塵もありません・・

レストランもパブも満員、街中にはショッピングをして山ほど荷物を抱えた人々が闊歩し、皆の表情もとても明るい。。。

クリスマスシーズンで一時的なのかもしれませんが、消費活動の活発な国で、想像とあまりに違いびっくりしました。
 
この国は、本当に破綻しそうなの???

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美味しいと評判のフィッシュ&チップス屋に行きました。次から次へとお客さんがやってきます。
山盛りのフレンチフライと、ずっしりと重い鱈のフライで9ユーロ。ずいぶん高いなぁ。
アイルランドは物価がとても高い国。日常の食材や雑貨、公共の乗り物運賃まで全てが割高です。
肝心の味ですが、ホクホクと美味しいけど、少々油っぽいかな。
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アイルランドといえばアイリッシュパブ、ダリオはこれをとても楽しみにしていました。
どこも満員のパブですが、適当なお店にブラリと入ってみました。
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やっぱりギネスだよね~。
このお店では、アイリッシュミュージックの生演奏もあり、なかなか楽しかったです。
次から次へとビールを注文するアイルランド人を見て、『本当に不景気なの?』とまたもや思ってしまいました。
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路上では、生演奏が。
この男性、単なる通行人(しかも酔っ払い)ですが、ノリノリで寝っころがってエレキギターを弾く真似をしていました。
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この日は移動でクタクタになり、お風呂も入らずに2人とも着の身着のまま寝入ってしまいました。

ローマをぶらぶら

テルミニ駅近辺の『レッパブリカ広場 Piazza della Repubblica』
中央にあるのは『「ナイアディの泉 Fontana delle Naiadi』、元市長のフランチェスコ・ルテッリの曽祖父でパレルモ出身のマリオ・ルテッリの作品。
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広場に面した教会は『サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会 SANTA MARIA DEGLI ANGELI』
ミケランジェロ最晩年の設計で、元々はローマ浴場遺跡『ディオクレティアヌス帝の大浴場』の中心部分だったものを教会に建て直したそうです。
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教会内部には面白いものがありました。
これは、グレゴリオ暦の正確さを証明するために、教皇クレメンス11世の命により、Francesco Bianchini作成した子午線です。1702年に完成しました。モザイクで綺麗に装飾されています。
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またもや懐かしい場所を発見!ここDomus Hotelは5年前に3泊した宿、3人兄弟が経営していたっけ。
ホテル検索サイトで高得点を誇る人気ホテルだったけど、今はどうなったかなぁ。
ホテルの前にあったBARで毎日朝食を食べていたのですが、ここはなくなっていました・・・
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これはテルミニ駅、ピカピカの華やかな駅です。
ハニコは、テルミニ駅が新装される前に訪れたことがありますが、オンボロの巨大倉庫のような駅で近寄りたくない雰囲気でした。
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駅構内はレストランやショップが軒を連ね、設備は空港並。そして驚くべきことは自動券売機!
5年前には自動券売機はあれども、殆ど全てが壊れていて機能していない状態でした。
けれども今はどのマシーンもスムーズに動きます、イタリアらしくなーい!
自動券売機はタッチパネルでクレジットカードも使えます。
現金で支払うと、イタリアらしくお釣りが出てこないことがあるので、我家はいつもクレジット決済です。
タッチパネルで『クレジット決済』を選択すると、次の画面で意味不明なイタリア語の単語が3つ表示されますが、一番上をタッチしてください。それが『インターナショナルカード』という意味なんだそうです。
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翌日はローマとお別れ、長かったイタリア滞在もこれにて終了。

寂しいな~。


ポルケッタ

今回のローマ滞在は、キッチン付のホテルだったので、足繁く市場に通いました。

ローマのレストランは不味いか、または高いかという記憶を私たちはもっていたので、自分で調理しようと決めていました。

ローマ市民御用達の市場を訪れると、その品数、安さ、新鮮さに嬉しい悲鳴!!!

毎日イソイソと市場に通い、自炊をし、好き放題に食べまくったのでした。

特においしかったのは、お肉屋さん買ったポルケッタ。
本来は豚を頭ごとに丸焼きにした料理で、スライスしたものをパニーニに挟んで売られていたりますが、家庭で調理するために皆が買い求めるのは、写真のように皮付きバラ肉でレバーや香草をグルリと巻いたもの。
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オーブンで香ばしく焼き上げました。
ジューシーな肉の部分と、カリカリと軽い歯ざわりの皮の部分がマッチしてとても美味しい!
手前は、しょっちゅう食べているレバーの網包み、フェガテッリ fegatelli 。
フェガテッリは濃厚でトロリと美味。美味しい赤ワインと一緒なら言うことナシ。
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豚を穢れた動物として食べないムスリムからすればとんでもない料理ですが、この美味しさを知らないなんて・・・もったいない。
特にパリパリの皮がおいしかったなぁ・・・。日本では豚の皮って売られているのでしょうか。

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ダリオ&ハニコ

Author:ダリオ&ハニコ
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