新たな街に移動する朝は、緊張と期待でいっぱい。朝食をモリモリ食べて出発です。
ゴールウェイの宿、Desota House Bed and Breakfastの朝食。
三種類のメニューから選ぶことができ、注文してから調理してくれるのでホカホカ。
これはアイリッシュ風の朝食、ボリュームたっぷりです。
左はゴールウェイのバスターミナル、ここから往路でお世話になったGo Busに乗りダブリンへ戻ります。
10:50ゴールウェイ出発、13:18ダブリンのEden Quayに到着。
今度は、Eden Quayから徒歩10分ほどにあるBusarasバスターミナル(写真右)からベルファスト行きのバスに乗車。 バス会社はBus Eireann、運賃は15ユーロ/名。
14:00ダブリン出発、17:00にベルファストに到着。とっくに日は暮れて真っ暗、長い旅だった~。
本当はゴールウェイから直接ベルファーストに行きたかったのですが、2回もバスを乗り換えなければならないうえに、費用も時間も余計にかかるということが分かり、ダブリンに一旦戻り、ベルファストへ行く経路をとりました。
ベルファスト到着後、18:00でクローズするツーリストインフォメーションオフィスに猛ダッシュをし、スタッフの男性にあれやこれやとツアーの説明をうけ、明日出発の一番人気のツアーを予約。
ところで、ベルファストは北アイルランド、バスで知らないうちに国境を越えてしまいましたが、ここは既に英国でした。
通貨も替わり、1£ポンド=約130.6円です。(2010年11月現在)
左の下の紙幣、女王のポンド札はイギリス本土の銀行発行、右は北アイルランドの銀行発行のもの。
ATMからアイルランド銀行発行のポンド札が出てきたときは、『何このお札ーー!??本土でも使えるのかな?』と思い、宿のオーナーに思わず聞いてしまったのですが、どちらも英国ポンドで、本土でも北アイルランドでも使用できます。 ただし、後日イギリス本土でアイルランドポンドを使用したときは、『何このお札?イギリスポンド?使えるの?』と必ず店員に聞かれたので、本土ではあまり流通していないみたいです。
数年前に訪問したときは、1£=220円、マクドナルドのセットでも2000円くらいになっていしまい、びっくりしました。ずいぶん円高になったもんだ。
ここでちょっと北アイルランドの紹介(wikipediaより)。
北アイルランド(英語:Northern Ireland, アイルランド語:Tuaisceart 遵ッireann, アルスタースコットランド語:Norlin Airlann)はグレートブリテンおよびアイルランド連合王国(イギリス)を構成する「国」の一つ。アイルランド島北東に位置するアルスター地方9州の内の6州からなるためアルスター6州とも称されています。
面積は1万4139km²、人口は1,788,896人。
1920年に成立したアイルランド統治法によってアイルランドは南北に分割され、それぞれに自治権が付与されました。
その後に発生したアイルランド独立戦争の講和条約である英愛条約に基づいて、南部26州によりアイルランド自由国が建国され、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国より分離した際は北アイルランドも自由国の管轄内に含まれていました。
しかしアイルランド自由国で内戦が始まったため、英愛条約の条項に基づいて北アイルランド議会は自由国からの離脱を表明して連合王国にとどまることになりました。
19世紀にアイルランドがグレートブリテンおよびアイルランド連合王国に併合されて以来、アイルランドにおいてはユニオニスト(イギリスとの連合維持を主張)とナショナリスト(イギリスからの独立を主張)の対立が続いていました。
アイルランド全土がイギリスに支配されていた時代から、北アイルランド地域はグレートブリテン島からの植民者が多数を占めておりユニオニストの勢力が勝っていました。
また必ずしもアイルランド人即ちナショナリストではなく、経済的に考えると英国へ帰属したほうが有利であると考える者も多かったのです。
このようなことが考慮されて北アイルランドはイギリス統治下に残留することになりました。
1960年代後半になると、アメリカ合衆国の公民権運動の影響を受けて、社会的に差別を受けていたカトリックと、プロテスタント主体の北アイルランド政府との対立が深刻化します。
IRA暫定派を始めとするナショナリストとユニオニスト双方の私兵組織と英陸軍、北アイルランド警察が相争う抗争が続き、数多くのテロによって数千名にものぼる死者が発生するなど、この北アイルランド問題によって社会と経済の混乱は極めて劣悪なものになってしまいました。
1990年代になると和平への道が模索されはじめ、1996年になるとユニオニストおよびナショナリスト政党、私兵組織とイギリス、アイルランド両政府によってベルファスト合意が形成され、これに基づいて全政党が参加する北アイルランド議会が設置されました。
この功績によって、穏健派政党の党首であるデヴィッド・トリンブルとジョン・ヒュームにノーベル平和賞が授与されています。
過激派によるテロが収まったことを受け、シティグループや富士通など、外国企業による新たな直接投資が相次ぎ、著しい経済成長を遂げています。
この北アイルランドの首都がベルファスト(英語Belfast, アイルランド語B醇Pal Feirste)で、人口は276,459人、北アイルランドで最大の都市です。
街にはところどころピースラインという分断壁が設けられ、カトリック住民とプロテスタント住民の居住地を分断しており、学校も別のため、同年代であってもほとんど交流がないという話です。
ベルファストは数十年前は抗争の激戦地となりましたが、現在はいたって平和。
さて、続き。ツーリストインフォメーションオフィスをあとにし、市バスに乗りやっと宿に辿り着きました。
Ravenhill Guesthouse、RogerとOlive夫婦の経営する宿、見かけは普通の一軒家です。
(この写真は宿のHPから拝借)
パブリックスペースには暖炉があり、本屋や雑誌を読んでくつろぐことができます。暖炉の炎っていいね~。
ウェルカムティーをいただきながら、Rogerから宿近辺の説明を受けます。
テレビ、バスルーム、ティーメーカー、美味しい朝食、WIFIが付いて75£/室。
滞在中は記録的な寒さとなったイギリス。
大喜びでしょっちゅうお湯をはって温まっていました。日本人はやっぱりお風呂だよね~。
朝食もとてもおいしかった!何種類かのメニューからコースとドリンクを選択し、朝食の希望時間と共に用紙に記載して、前日夜に玄関ホールに置いておくという手順。翌朝ブレックファーストルームに行けば、ホカホカ調理済みのお料理がでてきます。
材料はオーガニックにこだわっていて、シリアル、ヨーグルト、コンポート、数種類のパンなどを好きなだけ食べることが出来ます。
ある日はニシンのグリルを食べてみましたが、まるっきり日本の焼き魚。白いご飯が食べたいな。
翌日はツアー。ベルファストのバスは二階建てで眺め抜群。
ツアーのミニバンは9:45にJurry Innを出発、タイタニック号が造船された波止場を通り過ぎズンズン進みます。
最初の到着地は北アイルランド北部、アントリム州の小村バラントイにある『キャリックアリード吊り橋Carrick-a-Rede Rope Bridge』。バスの駐車場からはこんな景色が広がります。
干草がゴロゴロ。 アイルランド南部の岩だらけの光景は見られません。
断崖の道を延々と下ります。
羊がたくさん放牧されています。遠目からだと蚕の繭みたい。
えっちらおっちら。
これが『キャリックアリード吊り橋Carrick-a-Rede Rope Bridge』
断崖に囲まれた岬とキャリック島という小さな島を結ぶ長さ約20メートル、高さ約30メートルの橋。
サケ漁をする漁師により、17世紀頃から使われていました。
天候により閉鎖されていることが多いという話ですが、かなり強風の今日でもオープンしていました。
この橋の通行料は4£、高所恐怖症の私がわざわざお金を払って渡るわけもなく、眺めておいしまい(笑)
右むこうにうっすら見えるのはスコットランド。
うーむ、こんなところから落ちたらひとたまりもないな。こわっ。
次にむかったのは『ダンルース城DUNLUCE CASTLE』、北アイルランド北部、コーズウェー海岸にある城。
13世紀にRichard Óg de Burghにより建造され、元は要塞として使われていましたが、17世紀に付近一帯の領主だったスコットランド貴族マクドネル家の居城に改築されたそうです。
現在、内部は建造当時のままに再現され、ビジターセンターを併設します。
次のポイントはオールド・ブッシュミルズ蒸留所 Old Bushmills Distillery
北アイルランドのアントリム州ブッシュミルズの町で1608年にイングランド王ジェームズ1世より蒸留免許を受けた世界最古のウィスキー蒸留所です。現在もウィスキーを製造しています。
建物入り口横には樽がズラリ。
建物内部は、売店やレストランがあります。
一番楽しみにしていた場所にやってきました。
というより、ここに至るまでは全部オマケみたいな訪問地でした。笑
駐車場から海岸線をひたすら歩くこと20分超、ジャイアンツ・コーズウェー Giant's Causeway に到着。
4万以上の石柱が、8キロもの海岸線に沿って並ぶ不思議な場所。
6000万年前の地殻変動による大爆発で吹き上がった玄武岩質のマグマが、冷却して角柱状に固まったそうです。
ジャイアンツコーズウェイとは『巨人の道』という意味。
アイルランドの伝説では、巨人フィン・マックールがスコットランドの巨人ベナンドナーと戦いに行くためにコーズウェーを作ったとか、スコットランドに住んでいる女性に恋をし、彼女をアイルランドに渡らせるために造ったとかいわれます。
ここは背の高い石柱が並びます。『オルガン』と呼ばれています。
皆嬉しそうに登ります。
世の中には不思議な光景があるもんだねぇ。
といっても、日本にだって、おなじような地形の東尋坊がありますが。
さて、まだ15:30だけれどもうすぐ日の入り、暗くなる前にバスに戻ろう。
帰りはかなりの上り坂、運賃1£を払って、バスの停車地までラクチンに移動しました。
18:00、無事にベルファストに戻ってきました。
シティホールの周りではクリスマス市が開かれ、たくさんの人で賑わいます。
街の雰囲気はすっかりイギリス風、ハンチングを被ったオジサンもいなくなりました。
500円もする(不味そうな)ホットドッグやハンバーガーが次から次へと売れて行きます。
『景気いいな~』と感心。
クリスマス用の鉢植えもずらり。
宿の近所にはテイクアウトのお店がたくさん。
いたって普通で、本場の中華と比べて味は全然なんだけど、それでもやっぱりこういう味は懐かしく、あぁ美味しい!
なぜかカレーもありました♪
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