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Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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アッシジAssisi

アレッツォに2泊した後は、イタリアの守護聖人フランチェスコの街『アッシジ Assisi』へ移動しました。


出発前にまずは腹ごしらえ。冷蔵庫にある食材を全て綺麗に平らげました。
真ん中はニョッキ、近所の生パスタ屋で購入しました。
店員の女性が、顔に粉をたくさんつけたまま接客する姿がとても微笑ましかったです。
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電車はアレッツォ駅を9:14に出発し、なんと時間通りの10:44にアッシジ駅に到着。運賃7.05ユーロ/名です。
イタリアの国鉄といえば、ストライキや遅延は当たり前というのが従来の印象でしたが、今回は全ての電車が時間通りに運行。
なんだか一丁前のEU加盟国らしくなって、イタリアもずいぶん変わったなぁと思います。
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アッシジ駅に到着したら、駅前からLinea Cのバスに乗り、クネクネと丘陵地帯を走り20分、終点のマッテオッティ広場 Piazza Matteottiで降りると城壁で囲まれたアッシジの旧市街に到着です。

バスの運賃は1ユーロ/名、チケットは駅の中の売店で購入します。(車中で購入すると1.5ユーロ)

アッシジは、ウンブリア州ペルージャ県のモンテスバジオ山麓の丘の上、標高500メートルに位置する人口24,443人の街です。

この街出身の聖人、聖フランチェスコと彼の名を冠した聖フランチェスコ大聖堂で世界的に有名です。



マッテオッティ広場から路地を歩き、宿までむかいます。落ち着いていて静かで、なんとも上品な街並みです。
ちょっと歩いただけで、なかなかいい所だなぁと早くもアッシジが気に入ってしまいました。
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宿はネットで予約済みの『Hotel Il Lieto Soggiorno』 Via Fortini 26, Assisi
テレビ、バスルーム、WIFI、朝食付きで60ユーロ/室。街の中心地に近く、とても便利。
ファミリー経営の小さなホテルで、英語が一言も話せないマダムがいつもレセプションにいて(旦那さんと娘さんは英語OK)、とても親切細やかにお世話をしてくれます。
ここのマダムが淹れてくれるカプチーノやカフェは、美味しかった~。
マダムとの会話はイタリア語ですが、なんとなく通じ合ってしまうのが楽しいです。
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スタンダードの部屋を予約していたのですが、いいお部屋に滞在させてもらえました。
とても大きな部屋で、それは乙女ちっくに可愛く飾られています。
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部屋からの眺め。眺めが良いわけではないですが。
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それでは散歩をしながら、アッシジの名所をご紹介。
これは街の中心コムーネ広場 Piazza del Comune。
役所やBAR、教会が広場をグルリと囲んでいます。ツーリストインフォメーションオフィスもここにあります。
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コムーネ広場にあるミネルヴァ神殿 Tempio di Minerva
なんと2000年以上前、紀元前1世紀に建てられた、古代ローマ時代のギリシャ神殿なのです。
1539年、外装は神殿そのままに残し、内部にスッポリとサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会が建てられました。
内部に入ると、コテコテの装飾が施されたキリスト教会になっています。
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サン・ルフィーノ大聖堂 Cattedrale di San Rufino
アッシジの最初の司教といわれ238年に殉教したとされるアッシジの守護聖人『聖ルフィーノ』を祀った聖堂です。(聖フランチェスコはアッシジではなく、イタリアの守護聖人)
11世紀の古い聖堂の上に、1228年に新たに建造されたアッシジでも最も古い教会のひとつで、ファザードはロマネスク様式、ウンブリア州でも最高傑作のひとつとされています。

教会の正面入り口にある石像・・・人間が獅子のような動物に食べられちゃってます・・・
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街をテクテクあるきます。
丘陵地帯に街があるので、ちょっとした隙間から、こうして景色を眺めることができます。
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民家の屋根の向こうには、広大な景色。こんな景色が家から見えたら、素敵だね。
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それにしても階段や坂ばかりで、とても疲れる。。。
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黄色い木の下では、オジサンが野菜の屋台を広げていました。
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オリーブ畑のむこうに見えるのは、聖キアーラ教会。
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聖キアーラ Santa Chiara d'Assisi,(1194年7月16日 - 1253年8月11日)が祀られた聖キアーラ教会に到着。
白とピンクが可憐な教会で、彼女が亡くなった直後1253年に建造が開始されました。
地下には聖キアーラの遺体が透明な棺に安置されており、彼女の髪の毛や、彼女が800年前に作った洋服なども展示されています。
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聖キアーラは1194年にアッシジの名門貴族の令嬢として生まれ、なに不自由ない生活を送っていました。

1210年、16歳のキアーラはアッシジの路上で、フランチェスコの説教を耳にし、心を動かされます。

1212年3月20日、キアーラの両親は娘を裕福な男に嫁がせることにしたところ、それに悲観したキアーラは家を飛び出し、聖フランチェスコの元へ逃げ、信者として受け入れてもらいました。

その後、聖キアーラは、フランチェスコ会の女子修道会であるキアラ会を創設し、多くの尼僧たちを受け入れました。富豪と結婚話を進めた母オルトラーナも、後年娘キアーラの修道院へ入ったそうです。

フランチェスコはキアーラがひらいた修道会を助け励まし、キアーラもフランチェスコを精神的な父と仰いで生涯尊敬しました。

そしてフランチェスコが病に伏して死を迎えるまで、キアーラは献身的に世話をしたといいわれています。

キアラは聖フランチェスコへの強い忠誠で知らていて、『もう一人のフランチェスコalter Franciscus』とも呼ばれています。

1253年8月9日、インノケンティウス4世の教書Solet annureが、キアラ会則を承認すると、その2日後の8月11日、キアラは59歳で亡くなりました。

そして、1255年8月15日、アレクサンデル4世によりアッシジの聖キアラとして列聖されたのです。


聖キアーラ教会の前にてフランチェスコ会の修道士を目撃、ウエストから垂れさがる縄がポイントです。
最近の修道士はハイテク、携帯電話で話しながら歩いていました。
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ブラブラとお散歩を再開。
この建物にも、状態は悪いですがフレスコ画が残っています。
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街中いたるところに飾られた聖フランチェスコグッズ。
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街が静かで、清らかな雰囲気が漂います。
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シエスタ(お昼休み)の時間帯。3~4時間、ずっと商店は閉まっています。 休みすぎ・・・
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ウンブリア州の風景は、トスカーナよりも優しい感じがする。何故だろう。
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聖フランチェスコ教会 Basilica di San Francesco、この街で最も観光客が訪れるスポットそして巡礼地です。
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聖フランチェスコ大聖堂の下堂の入り口。
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そしてこちらが、上堂の正面。ジョットにより描かれた聖フランチェスコの生涯のフレスコ画は圧巻です。
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聖フランチェスコ大聖堂は、アッシジに生まれ、死後に聖人に列せられた聖フランチェスコの功績をたたえるために、その死後から2年後の1228年に、教皇グレゴリウス9世の命により建築が始まり、1253年に一応の完成をみたと言われています。その後、何度も改修が行われて現在の姿になっています。

聖堂は、街の北西の斜面の上に建ち、斜面を有効に利用するため建物は上下二段に分かれており、上堂部分はゴシック様式、下堂の部分はロマネスク様式と異なっています。

下堂にはチマブーエ、ジョット、シモーネ・マルティーニ、ロレンツェッティなどの画家の手になるフレスコが多数描かれ、上堂内部はルネサンス初期の画家ジョットによる聖人フランチェスコの生涯、28の場面を描いたフレスコ画が描かれています。

隙間なくフレスコ画が描かれた上下聖堂は豪華絢爛、これらが描かれたのはフランチェスコの偉業をたたえるためだけが目的ではありませんでした。

当時大多数の民衆は文盲、彼らにキリスト教を布教し教育するためにフレスコ画が用いられたのです。

司祭は、説教台からフレスコ画を指差しながら、民衆に聖人の生涯を説明したそうです。


さて、下堂の地下は小さなチャペルがあり、聖フランチェスコの棺が安置されています。

私たちも行ってみましたが、キリスト教の世界では最大級の巡礼地だけあって、ひっそりと厳かな雰囲気が漂い、数人の信者が静かにお祈りをしていました。

私たちはキリスト教徒ではないので、特別な感情は受けませんでしたが、質素清貧な聖フランチェスコには個人的に好感度大です(←偉そう)。

それにしても質素清貧を身上とした聖フランチェスコですから、こんな豪華な聖堂に埋葬されるのは本意ではなかっただろうにと思わずにはいられません。

参考までに聖フランチェスコの生涯をご紹介(Wikipediaより)

フランチェスコは、1181年~1182年の冬頃、アッシジの裕福な商人である父ピエトロ・ディ・ベルナルドーネ(Pietro di Bernardone)と母ピカの間に生まれました。

織物商人であった父親が仕事上フランス語が非常に堪能だった(あるいはフランスびいきだった)ことから、母親のピカがすでにつけていた洗礼名(ジョヴァンニ)に満足せず、フランチェスコと改名したそうです。

裕福な家庭に生まれたため、若いころのフランチェスコは放蕩生活を送っていました。

明るい性格で派手好き、上質な服装をして、父親の財産を散在して遊んでいたそうです。

いきなり騎士になろうと思い立ち、対ペルージャ戦に参加しますが、捕虜になったうえ、釈放後に重い病気にかかるなど散々な結果となります。しかし、この頃から神の声が聞こえ始めたそうです。

そしてフランチェスコは、1206年頃改心し始め、派手な生活から質素な禁欲者としての生活に転向していきます。

家を出て、ハンセン氏病患者に奉仕し、父親の財産を持ち出して資金を工面し、荒れ果てた聖ダミアノ聖堂の修復を行うなどしました。

父親に勘当されて全ての財産を放棄し、私利私欲を捨てて貧者となり、粗末ないでたちで弟子たちとともに各地を放浪し説教を続けました。

1210年、当時のローマ教皇であるインノケンティウス3世に謁見し、修道会設立の認可を求め、承認を得てフランシスコ会を創設します。

このとき、あまりに粗末な格好をした聖フランチェスコ一行は悪臭が漂い、最初は謁見を拒否されたそうです。

しかし、私腹を肥やし豪華絢爛な生活をする教皇インノケンティウス3世が、神への信仰を第一に質素清貧な生活をする聖フランチェスコ達への面会を嫌がったのでは?というのが、実際のところだそうです。

その後フランチェスコは、晩年には手足と脇腹にイエスと同じ聖痕(スティグマ)が現れたといわれます。

そして1225年夏頃から目が悪くなり、1226年10月3日に亡くなりました。

当時、カタリ派などキリスト教内部の腐敗に対する批判として、多くの信仰復活の運動が弾圧された中で、フランシスコ会は例外的に教皇から承認されて発展しました。これに倣ってその他の修道会が次々に誕生し、それらの中から教皇が選ばれるようになっていく起点となったのです。



続きです。
これは見所のひとつ、下堂にある『玉座の聖母と4人の天使と聖フランチェスコ』、チマブーエの作品です。
右に立っているのが聖フランチェスコ、このフランチェスコが最も実物に近いといわれているそうです。
チマブーエ



ところで、ダ・ヴィンチやミケランジェロが活躍する前の時代に、ルネサンスへの扉を開いたといわれる師弟がいました。

それは上のフレスコ画を描いたチマブーエ(本名はチェンニ・ディ・ペーポ Cenni di Pepo、通称チマブーエ Cimabue,、1240年 - 1302年)とジョット(ジョット・ディ・ボンドーネ Giotto di Bondone, 1267年頃 - 1337年1月8日)。

2人とも、この聖フランチェスコ大聖堂に素晴らしいフレスコ画を描きました。

この2人の出会い、チマブーエが天才ジョット少年を見出した逸話はとても有名です。

ジョットはフィレンツェ近郊の農家の羊飼いの少年として生まれました。

いつも父に羊の番を命じられるジョットは、羊やその周辺の風景を草原の岩に写生して遊んでいました。

自分の目に写る自然をそのままに描いたジョットの絵は、写実的で見事であったそうです。

ある日、既に高名な画家であったチマブーエが偶然通りかかり、ジョット少年の描いている絵を見て感嘆し、すぐに自分の工房へ来るように誘いました。

こうしてチマブーエの工房でジョットはその才能を伸ばし、あっという間に師に並ぶほどの腕前になったそうです。

その後は誰もが知るとおり、偉大なるマエストロとなりました。


ちょっといい話だと思いませんか? 


再びお散歩、いい眺めだなぁ。
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澄み渡る青い空。この街には清潔な空気が流れているような気がする。
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下界は靄がかっている様子。
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サンタマリアマッジョーレ教会 Parrocchia Santa Maria Maggiore に到着。
ここの地下にはローマ時代の遺跡がありました。
きっと元々は古い教会が建っていた土地に、現在の教会を建てたのでしょうね。
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猫さん発見!!呼んだら走ってきました、かわいい♪
懐っこい猫で、スリスリと身体をすり寄せて何処までも着いてこようとしていました。
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真っ赤に紅葉した葉。
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Porta Perliciを北上したあたり。なんだか古い町並みがとても素敵。
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いい景色だなぁ。
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この辺りはアッシジでも最も古い地域なのだそうです。
でも借主募集や売出し中の古い家をたくさん見かけました。
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置かれている民具がとっても素敵。
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これは2000年前、ローマ時代の円形劇場の後だそうで、見ての通り遺跡の中には現在も人が暮らしています。
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これは古い共同水道のように見えるのですが、何だかわかりませんでした。
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今日のランチは珍しく外食です。
レストランを目指し、城壁を出てオリーブ畑をひたすら歩きます。
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上り坂がきついです・・・ぜいぜい。
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あっ、オリーブを収穫してる!!
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こうして木の下にネットをはり、実を採るというアナログな方法。
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むこうのオリーブ畑でも収穫してる!一斉に始まるんだね。
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こんな景色ばかりで、ちっともレストランが見えてこない。
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薄暗い林の道をテクテク歩いて・・・
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やっと着いた~。ここはウンブリア料理のレストラン『Trattoria La Stalla』 Via Eremo delle Carceri , 24
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ここの名物は炭火焼。お肉や野菜をじっくりノンビリと焼いてくれます。
店内は、店名(馬小屋)通りの雰囲気。落ち着きます。
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これはプリモピアットの三種盛り合わせ。どれも美味しい。
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ボロネーゼスパゲッティ、
そしてチーズと蜂蜜をぐつぐつと煮立てたもの(これがとっても美味しかった!パンやジャガイモと一緒にいただきました)
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豚肉のビステッカ、ジャガイモの炭火焼。炭火で調理するだけあって、どれもとても香ばしい。
白ワインを1/2リットル、炭酸水を頼んでお会計は全部で37ユーロ(うちコペルト3ユーロ)でした。
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満腹になって外に出ると、こんな猫さん発見。
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再びオリーブ畑を歩いて、街中に帰ってきました。今度は牛柄の猫さん発見。
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アッシジ滞在中、丘全体に靄がかかり、景色が幻想的でとても美しい日がありました。
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下界はこの通り、雲で覆われていて何も見えません。アッシジの街全体が、まるで空に浮かんだ島のよう。
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紅葉も鮮やか。
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この街は本当に綺麗な街だなぁ~、と溜息。
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ここの紅葉は真っ赤で綺麗、街の景色にもよくマッチしてるね。
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夕暮れのアッシジ。
聖キアラ聖堂の前から夕陽を眺めました。
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宿のマダムも感じよく、この街を去りがたく、3泊もしてしまいました。

私たちにとって、また訪れたい街のひとつとなりました。
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コメント

お元気ですか!?

お元気ですか!? 私もアッシジ、ウンブリア地方大好きです!
美味しそうなパスタ。
あー食は、イタリアとアジアだな~。
まだコロンビアのカルタヘナでのんびりしています。またね~。

Re: お元気ですか!?

あっこさん、コメントありがとうございます!
コスタリカの後は、無事に温泉に辿り着けたでしょうか?
私たちは、パナマ→コロンビア→エクアドル→ペルーと移動し、現在はペルーのプーノに滞在しています。
明日はボリビアに入国予定です。
またどこかで再会できると、いいな~♪

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