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Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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ザッハトルテ&美術史美術館

ベタなウィーンを楽しもうとやって来たのは『ホテル・ザッハーHotel Sacher』。

そう、ここはチョコレートケーキの王様といわれる『ザッハトルテ』の生まれた由緒正しき場所であるのです。

ザッハ・トルテは1832年に、オーストリア宰相クレメンス・メッテルニヒに仕える料理人の一人だったフランツ・ザッハーが考案したのが始まり。飽食した貴族たちのために新しいデザートを作れというメッテルニヒの要望に応えたものであったそうです。

ザッハトルテは好評で、翌日にはウィーン中の話題になったといいいます。当時まだ16歳で下級の料理人にすぎなかったザッハーは、ザッハトルテの成功から頭角を現し、ザッハトルテはフランツのスペシャリテ(特製料理)として好評を博しつづけたのです。

後に次男のエドゥアルトがホテル・ザッハーを開業すると、ザッハトルテはそのレストランとカフェで提供されました。

レシピは門外不出とされたが、3代目のエドマンド・ザッハーのときにホテル・ザッハーが財政難に陥いると、ウィーンの王室ご用達のケーキ店「デメル」が資金援助を申し出、ザッハーの息子とデメルの娘が婚姻関係を結びます。このときに門外不出のレシピが流出したといわれています。

良好な関係を維持してきた両家ですが、後年ザッハー側がデメル側に対し『ザッハトルテ』の商標使用の停止を訴え裁判をおこします。

『本家のザッハトルテ』はいったいどちらものなのかと争った『7年戦争』のすえ、ザッハー・ホテルのものは『オリジナルのザッハトルテ』、デメルのものは『デメルのザッハトルテ』と呼ぶことで決着しました。
ホテル・ザッハーのカフェにて。
左:由緒ただしきザッハトルテ。
右:アップルストゥルーデル。
どちらもボリュームたっぷり、かなりの腹持ちの良さです。
デメルは日本にショップがありますが、ザッハーはありません。日本あてにザッハトルテをホールで冷蔵空輸してもらえるのですが、輸送費だけで1万円ほどかかるそうです。
肝心のお味ですが、歯が溶けそうなくらいの甘さのクラシックなレシピで、一度味わえば十分な気がしました。
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本場のウィンナーコーヒーも飲んでみよう。うーん、写真だけでお腹がふくれそうです。
雰囲気ですな、雰囲気。
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短期の観光客のように、ザッハトルテを堪能した後は、美術史美術館 Kunsthistorisches Museumにやってきました。
オーストリア、ドイツ、スペイン、イタリア、ベルギー、オランダの各地ハプスブルク家の領土を中心に生み出された400年間に亘る美術コレクションを中心とする素晴らしい美術館で、なかでもピーテル・ブリューゲルの作品数は世界最大を誇ります。
入場料は11ユーロ/名(ウィーンカード割引後)。
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内装もゴージャス、コテコテです。
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吹き抜けホールの装飾がとても素晴らしい。ため息がこぼれます。
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例えばこの部分はクリムトが描いた箇所。
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美術館の窓からはマリア・テレジア広場が一望。
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なにやら教会のような建物も見えます。
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広場の真ん中には巨大な銅像が。
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もちろんこのお方『マリア・テレジア』
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今回も美術館の素晴らしいコレクションのうち、ほんの一部をご紹介。


ダリオが大好きなピーテル・ブリューゲル Pieter Bruegel de Oude『雪中の狩人』
雪中の狩人


同じくピーテル・ブリューゲル Pieter Bruegel de Oude『農民の婚礼』
農家の婚礼


ピーテル・ブリューゲル Pieter Bruegel de Oude(1525/30年 - 1569年9月9日)の『バベルの塔』
旧約聖書創世記 第11章に記されている伝説の塔です。
バベル


スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケス(1599年6月6日-1660年8月6日)によるマリガリータ・テレサ王女シリーズ。

マルガリータ・テレサMargarita Teresa de Espana(1651年8月12日 - 1673年3月12日)はスペイン王フェリペ4世の王女で、幼いときから神聖ローマ皇帝レオポルト1世との婚約が成立していました。

スペイン王家は定期的にマリガリータ王女の肖像画を作成し、婚約者レオポルドの元に届け、王女の様子を報告していたのです。

このような目的で描かれたのが、ベラスケスによるマルガリータ王女シリーズ。

王女は1666年、11歳年上のレオポルト1世と結婚します。

しかし血族結婚の繰り返しでレオポルト1世は父方の従兄、母方の叔父にあたり、2人の間に誕生した4人の子のうち3人が1歳に満たず死亡してしまいます。

そして1673年に次女マリア・アンナを出産後に体調を崩して21歳の若さで亡くなりました。



これが2歳の肖像画。
2歳


4歳の肖像画。
4歳


8歳の肖像画、どんどん成長していきますね。
8再


かわってラファエロ・サンティRaffaello Santi(1483年4月6日 - 1520年4月6日)の『ベルヴェデーレの聖母』
ベルヴェデーれの聖母 ラファエロ・サンティ


ティントレットTintoretto, 本名:Jacopo Robusti(1518年9月29日 - 1594年5月31日)の『スザンナの入浴』
旧約聖書ダニエル記へ補遺的に記される逸話で、裕福なユダヤ人ヨヤキムの妻スザンナの水浴を2人の長老達が覗き見をしている場面であり、当時とても人気のあった題材です。
裸婦画といえでもれっきとした聖書のお話なので、保守的な社会であった中世において、画家達が女性の裸体を描くいい口実となったそうです。
Jacopo Robusti, gen. Tintoretto Susanna im Bade


ヨハネス・フェルメール Johannes Vermeer(1632年10月31日 - 1675年12月15日)の『絵画芸術』
レンブラントと並び17世紀のオランダ美術を代表する画家とされます。
Jan_Vermeer_van_Delft_011.jpg


イギリス王ヘンリー八世のお抱え絵師ハンス・ホルバインHans_Holbein(1465年頃-1524年)の『ジェーン・シーモア』
ジェーンは、アン・ブーリンの後にヘンリーの妻となった女性です。この肖像画を世界史の教科書で目にしたことがありませんか?
372px-Hans_HolbeinJane Seymour


夢中になって絵を見ているうちに、気が付くと美術館は閉館直前、すっかり外は暗くなっていました。
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トラムで宿まで帰ります。
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今日もたっぷり遊びました。

では。
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コメント

初めまして^^

初めまして^^
海外旅行の検索からブログ拝見させていただきました。

美術史美術館☆建物も絵画も素晴らしいですね(*✪‿✪*)
ウィーンは行ってみたい都市のひとつでしたがこちらの
美術館は恥ずかしながら今まで知らなかったです。

本場のウィンナコーヒーも美味しそうで羨ましいです❤
これからも、ブログ楽しみに拝見させていただきます(◠。◠。)

Re: 初めまして^^

rewisさん、コメントありがとうございます。

アート好きなら、ウィーンは行ってみたい街の1つですよね!
いくら見ていても飽きない絵がたくさんあって、私たちも時が経つのを忘れて眺めていました。

いや~、思い出したら、またウィーンに行きたくなってきました。

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