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Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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ベルヴェデーレ宮殿

ウィーン到着日の午後はベルヴェデーレ宮殿Schloss Belvedereを訪れることにしました。

ベルヴェデーレ宮殿は、ハプスブルク家に仕え、オーストリア史上最も著名な軍司令官であるプリンツ・オイゲン公(1663-1736)が、当時の代表的な建築家であるヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント(1668-1745)に、夏の離宮として造らせたもので、広い庭園を有する宮殿は世界で最も美しいバロック宮殿に数えられています。

1714年から1716年にかけてベルヴェデーレ宮殿下宮(Unteres Belvedere)、1720年から1723年にかけて上宮(Oberes Belvedere)が建設されました。

プリンツ・オイゲンの死後1752年に、ハプスブルク家のマリア・テレジアに売却されました。現在はオーストリア絵画館になっています。


ベルヴェデーレ宮殿上宮(Oberes Belvedere)です。
入場料は上宮と下宮のコンビネーションチケットで11.3ユーロ/名(ウィーンカード割引後)。
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庭から見た上宮。庭までならチケットを購入せずとも自由に出入りできます。
こんな寛ぎの場所がウィーンにはいっぱい、羨ましいね。
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庭園のあちこちに噴水が設置されています。
この寒い時期の噴水は、ちょっといただけません。風が吹くと飛沫が寒いです。
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これは上宮から見た下宮。
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建物を這うような紅葉、綺麗だなぁ。
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ベルヴェデーレ宮殿は世界最大規模のクリムトコレクションを所蔵しています。代表的なものが『接吻 The Kiss』
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『フリッツァ・リードラー Fritza Riedler』
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『ソニヤ・クニプスの肖像』この女性はクリムトのパトロンだったそうです。
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クリムトの絵というのは、ポスター、ハンカチ、食器、傘など様々な雑貨のデザインに使用されているし、画集も多く出版されているため、日本でも目にする機会がとても多い。


ちょっとここで、クリムト情報をどうぞ(Wikipediaより)

グスタフ・クリムトは1862年にウィーン郊外のバウムガルテンで、ボヘミア出身の彫版師の父エルンストと、、地元ウィーン出身の母アンナの第2子(7人兄弟)として誕生しました。

ウィーン7区の小学校で学んだ後、1876年に博物館付属工芸学校に入学しました。後に弟のエルンストとゲオルクもこの学校に学び、それぞれ彫刻師、彫金師となってクリムトの作品を飾る額の設計をおこなっています。工芸学校でクリムトは石膏像のデッサンや古典作品の模写を中心とした古典主義的な教育を受けました。

1879年にクリムトは弟エルンストおよび友人のフランツ・マッチェと共に共同で美術やデザインの請負を始め、ウィーンの美術史美術館の装飾の仕事などを行いました。

卒業後に3人は芸術家商会 (Kuntslercompagnie) を設立します。劇場装飾を中心とした仕事はすぐに軌道に乗り、フィウメ、ブカレストなどへも派遣されるようになりました。

1886年から1888年まではウィーンのブルク劇場の装飾を引き受けており、この功によって後に金功労十字賞を授与されます。

ウィーン市からの依頼を受け1888年に製作した『旧ブルク劇場の観客席』は観劇する当時のウィーン社交界の人々を正確に描き第一回皇帝賞をうけるなど高く評価されました。この作品によりウィーン美術界における名声を確立したクリムトは、1891年にウィーン美術家組合に加入し1893年に早くも美術アカデミー教授への推薦をうけたが、任命されることはありませんでした。。翌1892年には父と弟のエルンストが死去しています。

すでに装飾家として名声を得ていたクリムトは1894年にウィーン大学大講堂の天井画の制作を依頼されます。

『学部の絵』と名づけられたこの天井画は『哲学』、『医学』、『法学』の3部からなり、人間の知性の勝利を高らかに歌いあげるという依頼者が意図したテーマに反し、これら3枚の絵は理性の優越性を否定する寓意に満ちたもので、その是非をめぐり大論争を引き起こしました。

1896年に提出された構成下絵を見た大学関係者により行われた抗議は一旦は沈静化したものの、1900年と1901年に『哲学』および『医学』がそれぞれ公開されたことで論争が再燃し帝国議会において依頼主の文部大臣が攻撃される事態にまで発展します。

あまりの論争の大きさにクリムトは契約の破棄を求め、事前に受け取った報酬を返却するにいたります。

美術館および個人に売却された3枚の絵は後にナチスによって没収され、1945年にインメンドルフ城において、親衛隊が撤退する際の放火により没収され
た他の作品と共に焼失してしまいます。

この事件をきっかけとして保守的なウィーン美術家組合を嫌った芸術家達によって1897年にウィーン分離派が結成されました。

分離派は古典的、伝統的な美術からの分離を標榜する若手芸術家のグループであり、クリムトが初代会長を務めている。分離派は展覧会、出版などを通してモダンデザインの成立に大きな役割を果たしました。

翌1903年の第18回ウィーン分離派展ではクリムトの回顧展示が行われた。この展覧会ではじめて出品されたのが、当時のクリムトが置かれた状況を映し出す「人生は戦いなり(黄金の騎士)」(1903、愛知県美術館蔵)である。

1903年にヨーゼフ・ホフマンらによって設立されたウィーン工房にクリムトは強い関心を示していたが、この団体に対しては美術の商業化であるとの批判が分離派内部からもなされており、写実派と様式派による対立、国からの補助金停止などが重なり、クリムトとその同士は1905年に分離派を脱退し、翌年オーストリア芸術家連盟を結成します。

後にウィーン工房によるストックレー邸の壁画制作などを行い、上流階級の婦人たちの肖像画を多く手がけました。

1910年代には作品も少なくなり、金箔などを用いる装飾的な作風から脱却していきます。

1918年、ウィーンで脳梗塞と肺炎により死去し、ウィーンのヒーツィンガー墓地に埋葬されました

生涯結婚はしなかったものの多くのモデルと愛人関係にあり、非嫡出子の存在も多数判明している。

著名な愛人はエミーリエ・フレーゲであり、最期の言葉も「エミーリエを呼んでくれ」であったそうです。エミーリエはクリムトの死後にクリムトと交わした手紙を全て処分し生涯独身を貫きました。



そして『ユーディット Judith』
保守的な芸術から脱却し、新しい自由な芸術を目指していたクリムトですが、女性の裸体、妊婦、セックスなど、赤裸々で官能的なテーマを描くクリムトの作品は度々批判を受けました。
このユーディットという絵も官能的すぎると批判された作品です。
ユーディット



ユーディットという女性は、聖書にでてくるユダヤ人女性で、絵の題材として非常に人気がある女性。

勇敢な賢女として描かれるべきであって、クリムトの作品のように官能的に描かれるべき女性ではないというのが保守的な人々の意見なのです。

元々のユーディットの話は以下の通り。

メラリの娘ユーディットは、夫マセナを日射病で失って寡婦となりました。

彼女は美しく魅力的な女性で多くの財産をもっていたが、唯一の神に対して強い信仰をもっていたため、人々から尊敬されていました。

あるときアッシリアの王ネブカドネツァルは、メディア王との戦いにおいて自分に協力しなかった諸民族を攻撃するため、司令官ホロフェルネスを派遣します。

ホロフェルネスは軍勢をひきいてユダヤへやってくると、ベトリアという町を包囲します。水源をたたれ、町の指導者オジアは降伏を決意するが、ベトリアにすんでいたユーディットはオジアと民を励まし、神への信頼を訴えます。

ユーディットはそこである作戦をたて、神に祈り、美しく着飾って自らホロフェルネスのもとへ向かいます。

エルサレム進軍の道案内を申し出た美しいユーディットをホロフェルネスは喜んで迎えました。

ユーディットは陣中で出される異邦人の食べ物を決して口にせず、四日待ちました。そして四日目にホロフェルネスは酒宴にユーディットを呼び出しました。

ホロフェルネスは泥酔し、やがて天幕のうちにユーディットは眠るホロフェルネスと二人だけで取り残されます。

ユーディットは眠っていたホロフェルネスの短剣をとって彼の首を切り落としてしまいました。そしてユーディットは侍女と共に、首を携えてベトリアの町へ戻り、事の次第を報告します。

やがて、司令官殺害は包囲軍の知るところになり、激しい動揺を引き起こし、ユダヤ人はこの機会を逃さず、出撃し、敗走するアッシリア軍を打ち破ったというお話です。


あちこちでこのユーディットを題材にした絵画を見ることができますが、描く画家によってまったく雰囲気が異なり面白いです。

クラナッハLucas Cranach のユーディット。
後日訪れたウィーンの美術史美術館で目にしました。
クラナッハLucas Cranach der Auml;ltere


カラバッジョによるユーディット。
これまた後日訪れたローマのバルベリーニ美術館で目にすることになりました。
Caravaggio.jpg

美術館のたくさんあるウィーン、楽しめそうです!

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