Vagabond Shoes

Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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クラコウ Kracow

長い長い国境を越えて、国際バスは7:43に無事クラコウKracowに到着しました。

バスターミナルはとても広く綺麗。道路も整然としているし流石EU!!
P9269474.jpg P9269476.jpg


ここでちょっとポーランド情報をどうぞ。(外務所HPより)

国名:ポーランド共和国(Republic of Poland)

一般事情

1.面積 32.3万平方キロメートル(日本の約5分の4、日本から九州、四国を引いた程度)

2.人口 約3,814万人(2008年)

3.首都 ワルシャワ(約171万人)

4.民族 ポーランド人(人口の約97%)

5.言語 ポーランド語

6.宗教 カトリック(人口の約90%)

7.国祭日 11月11日(独立記念日)

8.略史

年月略史
966年ピアスト朝、キリスト教を受容
1386年ヤギエウォ王朝の成立
1573年選挙王朝
1795年第3次分割によりポーランド国家消滅
1918年独立回復
1945年7月国民統一政府の樹立
1989年9月非社会主義政権の成立
1999年3月NATO加盟
2004年5月EU加盟

・10世紀に建国。15~17世紀には東欧の大国。18世紀末には3度にわたり、ロシア、プロシア、オーストリアの隣接三国に分割され、第一次大戦終了までの123年間世界地図から姿を消す。

・第二次大戦ではソ連とドイツに分割占領された。大戦での犠牲者は、総人口の5分の1を数え、世界最高の比率。
大戦後は、ソ連圏にくみ込まれたが、「連帯」運動(1980年代)など自由化運動が活発で、東欧諸国の民主化運動をリードした。1989年9月、旧ソ連圏で最初の非社会主義政権が発足した。

・「欧州への回帰」を目標に、1999年3月にNATO加盟、2004年5月にはEU加盟を果たした。

政治体制・内政


1.政体 共和制

2.元首 ブロニスワフ・コモロフスキ(Bronislaw Komorowski)大統領

3.議会 二院制(下院460議席、上院100議席、両院とも任期4年)

4.政府

(1)首相名 ドナルド・トゥスク(Donald Tusk)
(2)外相名 ラドスワフ・シコルスキ(Radoslaw Sikorski)

5.内政

(1)1989年9月にマゾビエツキ首相の非社会主義政権が成立して以来、大統領及び議会の自由選挙が実施され、民主主義が定着。2007年10月に行われた総選挙までは、「連帯」の流れを汲む中道右派政党と旧共産党系の左派政党が交互に政権についた。

(2)2007年10月21日に行われた総選挙(上下両院)では、「法と正義」(PiS、中道右派)と同じく「連帯」の流れを汲む最大野党「市民プラットフォーム」(PO)が勝利。POは、農民党との連立に合意し、同年11月16日、POのトゥスク首相を首班とする連立政権を発足させた。2009年6月7日に実施された欧州議会選挙においても、同連立政権が過半数の票を得た。

(3)2010年4月10日、カティンの森70周年追悼式典に出席のため、カティンに向かっていた政府専用機がロシアのスモレンスク近郊で墜落、カチンスキ大統領夫妻等乗員乗客96名全員が死亡した。新大統領選出のための選挙は6月20日に実施されたが、第1回投票で決着が付かず、7月4日の決選投票により、与党POのコモロフスキ下院議長(53%)が、死亡した前大統領の双子の兄であるヤロスワフ・カチンスキPiS党首(47%)に勝利した。

外交・国防


1.外交

(1)「欧州への統合」を目標に1999年3月にNATO加盟、2004年5月にEU加盟を果たした。WTOには1995年6月、OECDには1996年11月に正式加盟。

(2)トゥスク政権は、独、露等の課題を抱える国とも対話を通じて関係を構築していくとの姿勢。2011年後半のEU議長国就任への準備を重要課題の一つに挙げ、前向きな対欧州外交を展開すると共に、2009年5月に立ち上げられたEU東方パートナーシップの形成に主導的役割を果たすなど、東方政策に力を入れている。

(3)ポーランドは、米国との関係を安全保障の観点から重視。2008年8月にポーランドと米国が基本協定に署名した米国ミサイル防衛システムのポーランド国内への配備については、2009年9月にオバマ政権は見直しを発表したが、ポーランドは新計画においても関与を継続。2018年頃同システムがポーランドに配備される予定。

(4)ポーランドは、国際貢献にも積極的であり、NATO及びEUの枠組等で、アフガニスタン、コソボ、ボスニア・ヘルツェゴビナに人員を派遣。なお、2010年春からのアフガニスタン増派兵力確保のため、2009年末に国連任務を終了している。

2.軍事力

(1)予算 約82.2億ドル(対GDP比1.95%)(2010年)
(2)兵力 総兵力約10万人(2010年)
(3)徴兵制は2009年末で廃止

経済(単位 米ドル)

1.主要産業 食品、自動車、金属、化学製品、燃料

2.GDP 約4,302億ドル(2009年)

3.一人当たりGDP 約11,288ドル(2009年)

4.経済成長率 1.7%(2009年)

5.物価上昇率 3.5%(2009年)

6.失業率 11.9%(2009年)

7.総貿易額

(1)輸出 1,719億ドル(2008年)
(2)輸入 2,105億ドル(2008年)

8.主要貿易品目

(1)輸出 機械機器類、輸送機械、金属製品
(2)輸入 機械機器類、鉱物性燃料、金属製品

9.主要貿易相手国

(1)輸出 独、伊、仏(EUが約8割)
(2)輸入 独、露、中、伊(EUが約6割)

10.通貨 ズロチ(ZL)

11.為替レート 1ZL=約26円(2010年6月)

12.経済概況

(1)1989年の改革後、緊縮政策の導入、旧コメコン市場の喪失などから生産が低迷し、1991-1992年で鉱工業生産は▲35%と急落した。しかし、民間部門の振興、対EU諸国貿易の活性化等により、1992年以後の景気は好調で、GDP成長率は外国直接投資などを原動力に1998年-2000年にかけて4%台を記録。2001年に入り、内需の低迷と世界経済の減速を背景に1%台と減速したが、2003年以降は、好調な輸出と個人消費等を背景に回復し、2006年は6.1%、2007年は6.7%のGDP成長率を記録した。2008年以降は世界金融・経済危機の影響を受け、2008年は4.8%、2009年は1.7%に鈍化したものの、欧州全体がマイナス成長にある中、2009年がプラス成長の唯一の国。

(2)インフレ率は、2000年まで10%前後という高い水準で推移していたが、2006年までは1~4%程度で推移した。2007年から2008年初めにかけては世界的なエネルギー及び食糧価格の高騰をうけて、インフレ圧力が高まった。
(3)依然として一人あたりの所得はEU現加盟国の半分程度の水準であり、今後はEU補助金の有効活用が経済成長のポイント。その他、課題として財政赤字削減、道路等のインフラ整備などが挙げられる。

(4)トゥスク政権は、2008年10月、ユーロ導入目標時期を2012年1月1日とするユーロ導入に関する工程表を閣議決定したものの、2008年の金融危機の影響を受けて、導入目標を放棄。

経済協力


1.日本の援助実績(1989~2008年)

(1)概略
日本は、1989年以降、市場経済及び民主主義への円滑な移行に資するため、技術協力を中心に財政、金融、産業、経済、貿易振興等の諸政策の立案支援をはじめ、生産性向上、品質管理等の企業育成支援や、環境保全等、多岐にわたる支援を行ってきた。ポーランドへのODA支援は同国のEU加盟等を踏まえ終了している。

(2)日本の対ポーランド経済協力実績(実施年度1989~2008年)
(イ)有償資金協力 213.92億円
(ロ)無償資金協力 40.36億円
(ハ)技術協力 89.71億円

二国間関係


1.政治関係

両国関係は伝統的に良好。2007年5月に麻生外務大臣のポーランド訪問や、2008年10月のシコルスキ外務大臣の訪日、同年12月のカチンスキ大統領の訪日及びボルセヴィチ上院議長の訪日など要人往来も活発に行われている。

2.経済関係

(1)日本の対ポーランド貿易(2009年)

(イ)総貿易額 1,643億円
輸出 1,296億円
輸入 347億円
(ロ)主要品目
輸出 自動車、自動車部品、映像機器等
輸入 自動車部品、人造黒鉛

(2)進出日系企業数:約254社(2009年10月現在)

3.文化関係

(1)概略
両国国民の互いの文化に対する高い関心を背景として、文化交流は活発。1994年11月、クラクフ市に日本の浮世絵(約5000点)等を展示した日本美術技術センターが開館。現在の名称は「日本美術技術博物館」。2007年は日・ポーランド国交回復50周年であり、日本とポーランド双方で様々な記念行事が行われた。2009年は日・ポーランド国交樹立90周年。

(2)文化無償協力
〈ポーランドに対する文化無償協力実績〉
年度対象機関供与機材
3 オペラ劇場映像機材及び楽器
4 ワルシャワ大学LL機材・視聴覚機材
5 柔道連盟柔道器材
6 ショパン高等音楽院楽器
6 アダム・ミツキエヴィッチ大学LL機材・視聴覚機材
7 ヤギェウォ大学LL機材・視聴覚機材
8 国立フィルハーモニー楽器
9 ポーランドテレビ局テレビ番組ソフト
10 クラクフ国立博物館視聴覚機材
11 ワルシャワ・ドラマティック劇場音響機材・楽器
12 ワルシャワ国立図書館視聴覚機材
13 日本美術技術センター視聴覚機材
14 ニコラス・コペルニクス大学LL機材・視聴覚機材
15 なしなし
16 ワルシャワ大学図書館視聴覚機材

4.在留邦人数 約1,299名(2009年10月現在)

5.在日当該国人数 約1,000名(2009年12月末現在)

続いてクラコウ情報をどうぞ。

クラコウは、ポーランド南部にある都市で、マウォポルスカ県の県都。人口は約75万で、これはワルシャワ、ウッチに続く第3の規模。

ポーランドで最も歴史ある都市の一つであり、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではクラコウがポーランド王国の首都であり、ポーランドの工業、文化の主要な中心地でした。

ヴィスワ川の上流に位置し、市街地はヴァヴェル城を中心としてヴィスワ川両岸に広がっています。

クラコウの歴史は、ポーランド王国の成立以前にまでさかのぼり、伝承によれば8世紀には成立していたと推測されます。

10世紀にはイベリアのウマイヤ朝イスラム帝国のユダヤ人記録家イブン・ヤクブがこの地方を訪れ、ボヘミアの版図にある交易都市としてクラコウに言及しています。

その後正式にクラコウにおけるポーランド王国(ピアスト朝)の主権が確立し、首都機能がポズナンからクラコウに移ってからはポーランド最大の都市として発展していったが、13世紀にモンゴルの襲撃でいったん破壊されてしまいました。

しかし復興は順調に進み、14世紀よりクラコウは最盛期を迎え、1364年、カジミェシュ3世によってヤギェウォ大学(クラコウ大学 - コペルニクスが大学生として通った大学として知られる。ポーランド最古の大学)が創設され、それからも織物取引所、聖マリア教会などが建てられていきます。

そして西欧での迫害を逃れてやってきた何万人ものユダヤ人が喜んで受け入れられました。

しかし、16世紀より徐々に王国の中心はワルシャワへと移行していき、17世紀初頭には正式に都がクラコウからワルシャワへと遷されました。

16世紀後半にヤギェウォ朝が断絶すると、ポーランドでは貴族らによって運営される身分制議会(セイム)の勢力が強まり、王権の弱体化が進みます。

そうした中、17世紀前半の三十年戦争、18世紀前半の大北方戦争に巻き込まれ国土は荒廃し、クラコウもこの混乱に巻き込まれてしまいました。

18世紀後半には3度のポーランド分割によって国家自体が消滅し、クラコウはオーストリア領ガリツィアへと組み込まれることになります。

1815年のウィーン議定書で、クラコウは自治共和国の地位を認められました(クラコウ共和国)。

しかし、オーストリアによる干渉は強まる一方であり、1846年2月にクラコウ市民が反オーストリア蜂起を起こします(クラコウ蜂起)。
蜂起は鎮圧され、共和国はオーストリアに併合されクラコウ大公国となり自治特権は失われるが、この蜂起は2年後に起こる1848年革命の先駆的運動とも評価されます。

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ポーランド文化振興の中心地として重要な役割を果たしました。

そして第一次世界大戦を経てポーランドが独立を果たし、ポーランド領となった。

第二次世界大戦に際してドイツ軍の占領を受けます。ポーランド総督に任命されたハンス・フランクはクラコウのヴァヴェル城からポーランド総督府の統治にあたりますが、1945年にソ連軍によって解放されます。

現在でも街のカジミェシュ地区に多くのシナゴーグがみられるように、中世よりユダヤ人コミュニティーが存在しました。

14世紀のカジミェシュ大王は最も積極的にユダヤ人を受け入れ、当時はヴィスワ川の中洲だった、河川を利用した運送に適した広い土地を彼らの自治都市として提供したのです。

このカジミェシュ地区はゲットーとは異なり、ユダヤ人が閉じ込められたわけではなく基本的にユダヤ人であってもクラコウではどこでも自由に住むことができたが、ユダヤ人たち自身による行政の自治権が与えられたのがこの地区だということである(第二次世界大戦でドイツによる占領政策が行われるまで、ポーランドにはゲットーというものが存在しなかった)。

後にユダヤ人たちが豊かになるにつれて自治区は対岸にも広がっていきました。

第二次世界大戦中は占領者のナチス・ドイツにより、カジミェシュ地区から見てヴィスワ川対岸にあるポドグジェ地区にクラコウ・ゲットーが創設されます。

オスカー・シンドラー(映画「シンドラーのリスト」の題材となった人物)が経営していた工場は、カジミェシュ地区の南東にあり、クラコウ・ゲットーのユダヤ人を労働者として雇っていました(工場は現在も現存)。

工場のユダヤ人労働者が強制収容所に連行されようという時、彼らを連れ戻してモラヴィア地方のブルニェネツにある工場へと送ったのです。

現代のカジミェシュ地区では毎年7月初旬に大規模なユダヤ文化祭り「シャローム」が開催され、アメリカやイスラエルなど、ポーランドから移住していったユダヤ教徒もやってきて様々な催しを繰り広げ、ユダヤ教徒もキリスト教徒もみな集まって歌ったり踊ったり食べたり飲んだりと、和気あいあいの賑わいとなるそうです。


さて、続きです。クラコウの宿はネットで予約をしていた『Blue Hostel』。
WIFI、共同バストイレ、共同キッチンで120PLN/室。
1ポーランドズウォティPLN = 28.67円(2010.9月現在)です。
P9269477.jpg



このホステルにチェックインし、部屋に落ち着くまでにはちょっとした事件がありました。。。

というのは、、、

ホステルの前に到着したものの、建物に入るドアは閉まっていてベルを鳴らしても誰も返事をしてくれないのです、おかしいなぁ。

しばらく待っていると、ホステルに滞在しているお客さんがたまたま出て来たので、建物内に入ることができました。

ところが建物の踊り場に入ってみたところで、レセプションのある部屋のドアにもしっかり鍵がかかっていたのです。

困ったな~と部屋の前で待っていると、またもや宿泊客がたまたま部屋を出入りするところだったので、便乗して私たちも侵入。ソファで宿のマネージャーを待つことにしました。

待つこと十数分後、宿の男性スタッフUが帰ってきました。
でもなんか疲れたようにふらふらしていて様子がおかしい。
手にはビール缶(大)が3本入ったビニール袋をブラブラさせて、酔っ払っている?

私たちがチェックインしたい旨を伝えると、

U:ごめんなさい、本当にごめんなさい。私のこと待ったでしょ?ネェ、すごく待たせた?ごめんなさいねぇ。お詫びにこのビールを1本ご馳走するわぁ

と朝っぱらからウェルカムビール・・・酔っとるな~ しかもなんか口調がおかしい。

そしてヨロヨロを私たちのほうに歩いてきて、ナヨっと隣に座り込みました。

U:私・・・ゲイなのぉ。(えーーー!!!)今日は日曜日だから、お休みだわぁって思って、たくさん飲んじゃったのよぉ。だって、飲まずにはいられないじゃないのよ。。。10年間付き合ってた彼氏が、昨日私の元を去っちゃったんですもの。(それって自棄酒?)

と言って、ホロホロと涙を流して泣きはじめたのです。

U:ごめんなさいねぇ。私は大丈夫よ!!ここはね、私が経営するホステルよ♪

と空元気を出してみるものの、すぐ涙がホロリ。

U:あぁぁぁぁーーー

とシャナリと斜めに体を傾かせ(いわゆるオカマポーズ)、また泣きはじめました。

私達が励ますものの、一向に泣き止みません。

空元気を出しては、すぐヨヨヨと泣き崩れること数回。

しばらくUに付き合いましたが、夜行バスの旅で相当疲れていた私達、いいかげん鍵を貰い部屋で休むことにしました。

ベロンベロンに酔っ払ったUは動けないので、レセプションの鍵置きから自分で取ってくれと言います。

指定された鍵を取り、部屋を開けるとそこには先客の荷物が散らばっている。。。なんじゃこれ。

Uに部屋を取り替えてもらい、これでヨシっと別の部屋を開けると今度は女性が寝ていた・・オイオイ。

しっかりしてくれ。

3度目の正直で、3部屋目の部屋は誰もいない個室。やれやれやっと落ち着けます。

それにしてもオカマの仕草って万国共通だね。

ちなみにこの二日後、Uに『私達のこと覚えている?』と聞いたところ、全然覚えていない様子でした。

なんだったんだ~~!


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