Vagabond Shoes

Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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リヴィヴLVIV到着

モルドヴァのキシナウから快適列車に乗ること18時間(多分走っていたのは10時間くらいかな・・)、旧ソビエト、ウクライナにやってきました。

私たちが『ウクライナ』から連想するのは、

・美人過ぎる首相ユリア・ティモシェンコ
・チェルノブイリ原発事故

これだけかな。事前の予習が足りていません。。。いったいどんな国だろうねぇ。


リヴィヴ到着1時間前に、女性車掌が『もうすぐ着くよ~』と起こしにきてくれました。
そして列車は早朝6:52、ウクライナのリヴィヴLviv駅に到着(ロシア語ではLvov)
列車はあちこちで車両の連結を繰り返し、古い車両に新型車両と様々なスタイルの車両が連なり、出発したときとはまったく違う姿になっていました。
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国名:ウクライナ(Ukraine)

一般事情

1.面積 60万3,700平方キロメートル(日本の約1.6倍)

2.人口 4,580万人(2008年 世銀)

3.首都 キエフ

4.民族
ウクライナ人(77.8%)、ロシア人(17.3%)、ベラルーシ人(0.6%)、モルドバ人、クリミア・タタール等(2001年国勢調査)

5.言語 ウクライナ語(国語)、その他ロシア語等

6.宗教 ウクライナ正教及びウクライナ・カトリック教。その他、イスラム教、ユダヤ教等。

7.略史

年月 略史
8世紀 キエフ・ルーシの成立
1240年 モンゴル軍キエフ攻略
1340年 ポーランドの東ガリツィア地方占領
1362年 リトアニアのキエフ占領
1648年 フメリニツキーの蜂起(ポーランドからの独立戦争)
1654年 ペレヤスラフ協定
1764年 ポルタヴァの戦い(ロシアからの独立戦争)
1853年 クリミア戦争
1914年 第一次世界大戦
1917年 ロシア革命、ウクライナ中央ラーダ政権成立
1922年 ソビエト社会主義共和国連邦成立
1932年 大飢饉
1939年 第二次世界大戦
1941年 独ソ戦開始、独によるウクライナ占領
1954年 クリミアをウクライナに編入
1986年 チェルノブイリ原発事故
1991年 ソ連邦崩壊、CIS創設、ウクライナ独立
1996年 憲法制定、通貨フリヴニャ導入
2004年 オレンジ革命

政治体制・内政

1.政体 共和制

2.元首 ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領(2010年2月~、任期5年)

3.議会 一院制のウクライナ最高会議(定数450名、任期5年)

4.与党 地域党(Party of Regions)を中心とする連立与党

5.政府
(1)首相 アザーロフ・ミコラ

(2)外相 グリシチェンコ・コスチャンティン

6.内政

 2004年末の大統領選挙をめぐる「オレンジ革命」を経て、ユーシチェンコ大統領が就任。言論の自由など民主化は進展するも、内政は混乱(度重なる首相の交代、議会解散と再選挙(2007年9月)など)。2010年3月にヤヌコーヴィチ大統領が就任。同3月、大統領支持派である地域党中心の連立与党が結成され、同月アザーロフ内閣成立。以降、大統領、首相及び議会連立与党の「ねじれ」が解消し、内政は安定。

外交・国防

1.外交方針
 ユーシチェンコ前政権下、ガス供給問題、ロシア黒海艦隊、NATO加盟、人文(歴史認識・言語・宗教)問題等でロシアとの関係が悪化。ヤヌコーヴィチ大統領の就任後は、「欧州への統合」路線を維持しつつも、活発な対ロシア首脳外交を展開。懸案となっていたロシア黒海艦隊の駐留期限延長や天然ガス供給価格で合意がみられるなど大きく進展。2010年7月、国内法で「非同盟」の地位を確定。NATOとは協力を維持しつつも、加盟は目指さない方針。

2.軍事力
 NIS諸国の中でも最大規模の軍事力を保有(兵力 約18.76万人、文民スタッフ 3.3万人、総兵力 22.1万人)。徴兵制を維持。
 なお、黒海艦隊の分割については、1997年5月末ロシアとの間で最終合意に至った。ロシア黒海艦隊の駐留期限は2017年までとなっていたが、2010年4月、天然ガス供給価格の割引と引替に、2042年までの延長につきパッケージ合意。

経済

1.主要産業(産業別構造比)

鉱工業(30.0%)、農林水産業(7.4%)、建設業(4.0%)、サービス業(58.6%)(2008年:CIS統計委員会)

2.国民総所得(GNI) 1,490億ドル(2008年:世銀)

3.一人当たりGNI 3,210ドル(2008年:世銀)

4.経済成長率 -15.1%(2009年:CIS統計委員会)

5.物価上昇率 13.0%(2009年:CIS統計委員会)

6.失業率 2.1%(2008年:ウクライナ国家統計委員会)

7.総貿易額(2009年:CIS統計委員会)

(1)輸出 397億ドル

(2)輸入 454億ドル

8.主要貿易品目

(1)輸出 非金属・製品、植物製品、機械・設備

(2)輸入 鉱物製品、機械・設備、化学品

9.主要貿易相手国

(1)輸出 ロシア(21%)、中国(3.6%)、カザフスタン(3.6%)

(2)輸入 ロシア(29%)、独(8.5%)、中国(6.0%)

10.通貨 フリヴニャ(UAH: hryvnya)

11.為替レート

1米ドル=7.9フリヴニャ(2010年7月現在:ウクライナ中央銀行)

12.経済概況

 独立後の市場経済化による混乱から、1990年代は生産の低下とハイパー・インフレーションを経験。IMF等国際金融機関と協調路線をとって経済改革に着手したが、1998年には国際金融市場低迷の煽りを受け、外貨準備高の減少などの問題に直面。2000年代に入り、経済成長率がプラスに転じ、好調な鉄鋼輸出や内需拡大により高い成長率を実現させたが、2008年夏以降、鉄鋼需要の頭打ちに加え、世界経済・金融危機の影響を受けて株価の下落や外資の流出が始まりウクライナの財政状況が悪化。2010年に就任したヤヌコーヴィチ大統領は、IMFから支援を受け、経済を立て直すことが課題。
 2008年5月、世界貿易機関(WTO)に加盟。

経済協力(2008年度までの累計)

1.日本の援助実績

(1)人道支援 医療機器、医薬品等計822万ドルを供与。

(2)技術支援 チェルノブイリ事故関連専門家派遣・招聘、経済専門家ミッション派遣、ウクライナ・日本センター(ODA分は8.67億円)

(3)無償資金協力 26.82億円(ノン・プロジェクト無償、小児病院医療機材整備計画等)

(4)有償資金協力 190.92億円(キエフ・ボリスポリ国際空港拡張計画)

(5)非核化支援 22億3,500万円

(6)原子力安全基金 約1,900万ドル+368万ユーロ

(7)チェルノブイリ石棺基金 約5,000万ドル

(8)金融支援 2億ドル(1.5億ドルの輸銀アンタイドローン及び0.5億ドルの輸出信用)

(9)緊急無償援助 10万ドル+2,592万円相当の援助物資

2.主要援助国 米、独、スウェーデン、加、スイス、オランダ

二国間関係

1.政治関係

(1)国家承認日 1991年12月28日

(2)外交関係開設日 1992年1月26日

(3)日本大使館開館 1993年1月

(在日ウクライナ大使館は1994年9月に開館)

2.経済関係

(1)日本の対ウクライナ貿易(2009年:貿易統計)

(イ)輪出 388百万ドル
(ロ)輸入 212百万ドル

(2)主要品目(2009年:ロシア東欧貿易会)

(イ)輸出 自動車、一般機械、電気機器
(ロ)輸入 食料品、鉄鋼、金属製品

(3)進出企業(2010年) 21社(日本商工会加盟社数)

(4)日本からの直接投資(2008年までの累計:ウクライナ国家統計委員会)

75.00百万米ドル

3.文化関係

 両国の文化交流は両国大使館の文化広報活動を通じて行われているほか、姉妹都市(京都市とキエフ市、横浜市とオデッサ市)の交流等草の根レベルの交流も行われている。

4.在留邦人数 202名(2009年10月現在)


5.在日当該国人数 1,561名(2008年12月末現在)


リヴィヴ駅は高い天井から大きな古いシャンデリアが下がり、レトロでとても素敵でした。
これは駅のトイレ。『女性トイレ』と書いてあります。
街中の表示が全てこのキリル文字で書かれているため、覚えておかないと困ります。
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重厚で立派なリヴィヴ駅、さすが旧ソビエト、などと感心してみる。
駅前からはトラムが出ており、1番でリヴィヴの中心地へと向かいます。
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1番のトラムがやって来た!!リヴィヴの地図は持っていないので、いったい何処で降りたらいいのか分からないけどとりあえず乗車。運賃は1フリブニャUAH/名、チケットはキオスクのような売店で購入します。
1UAH=約11円です。
P9179048.jpg P9179051.jpg

トラムでリヴィヴの中心地、いわゆる『歴史地区』に向かいます。
歴史地区はユネスコの世界遺産に登録されています。
周りの景色を見て、それっぽい雰囲気になってきたところで、勘で下車。
ここでリヴィヴについて、ちょっと学習。

リヴィヴは、西ウクライナ・ハルィチナーの中心都市で、人口は約83万人。ポーランドとの国境から70km。

温暖な大陸性の気候で、1月の平均気温は-4度、7月の平均気温は18度。年間の降水量は660mm。夏季にはしばしば水が不足するそうです。

歴史的には、5世紀ごろにこの地に人が暮らし始めたそうです。

大モラヴィア国(9世紀-10世紀)が滅んだ後は、ポーランド公国とキエフ・ルーシの角逐の場となります。

981年にキエフ・ルーシのウラジーミル大公によって征服されますが、1015年にはポーランドのボレスワフ1世がリヴィヴを征服しポーランドの版図に組み込まれてしまいました。

13世紀にはポーランド王国に服属するハールィチ・ヴォルィーニ大公国のダヌィーロ・ロマーノヴィチ公によって都市が建設され、その息子レヴに因んで名づけられました。その後、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国の都となりました。

ポーランド・リトアニア合同成立直後の1366年に、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国は、連合のうちのヤギェウォ朝ポーランド王国に正式に併合され、その歴史を終えてしまいます。

このようにポーランド王国の支配下で、リヴィウは黒海とバルト海を結ぶ交易路の中継地として大きく発展し、17世紀はじめの人口は約3万人でした。

17世紀を通じて、リヴィヴはウクライナ・コサックやスウェーデン、オスマン帝国などの相次ぐ襲撃を受け、1704年には大北方戦争でカール12世の率いたスウェーデン軍に占領され、町は破壊されてしまいました。

1772年の第1回ポーランド分割によって、リヴィヴはオーストリア帝国に帰属され、公用語はドイツ語とされ、ドイツ人やチェコ人が実権を握ります。

19世紀初めより、オーストリア帝国政府はドイツ化を強く推し進め、それに対して1848年には民衆蜂起が起こります。住民の請願は後に受け入れられ、1860年代には大きく自治が認められました。

その後、リヴィヴはポーランド文化の中心地としても、また、ウクライナ文化の中心地としても重要な都市となりました。

第一次世界大戦で、1914年にリヴィヴは一旦ロシア軍に占領されたが、翌1915年には再びオーストリア・ハンガリー帝国によって奪還されます。

1918年にオーストリア・ハンガリー帝国が消滅すると、1918年11月1日、西ウクライナ人民共和国の独立が宣言され、リヴィヴはその首都とされました。

しかし、それに対してポーランド人の住民が蜂起し、都市の中心部を掌握してしまいます。ポーランド・ウクライナ戦争におけるポーランド人とウクライナ人の住民のあいだの戦闘は翌1919年7月まで続き、多くの犠牲者がでました。

戦闘はポーランド軍の全面的支援を受けたポーランド側の圧勝に終わり、再びポーランドの支配が復活します。

西ウクライナ人民共和国勢力の残党は、キエフやジトームィルを中心に国家を建設していたウクライナ人民共和国に政府を統合させたり、あるいは赤軍と合同してポーランドとの戦闘を継続します。

その後、ウクライナ人民共和国のディレクトーリヤ政府は、ロシアの赤軍に対抗するためにポーランドからの協力をとりつけた代わりに、ポーランドのリヴィヴに対する支配を認めます。

1920年のポーランド・ソビエト戦争では、武装した住民が市内に侵攻した赤軍を撃退したのですが、ポーランドはウクライナを裏切って単独でソビエト側との講和に入ってしまいます。そして1920年10月12日のリガ講和条約でソ連はリヴィヴを含む一帯をポーランドに明け渡してしまいました。

第二次世界大戦において、1939年9月1日にポーランドに侵攻したドイツ軍は、その後まもなくリヴィヴを包囲。ポーランド兵の率いた蜂起は失敗し、町はモロトフ・リッベントロップ協定にもとづきソビエト連邦に引き渡されます。しかし、1941年6月22日に始まった独ソ戦の緒戦で、町は今度はドイツ軍に占領されます。

そして、第二次世界大戦後、一帯はウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の領土とされました。その際に、ポーランド人の住民の大部分がポーランドに移ったとされます。それ以後、リヴィウはウクライナの民族文化の中心都市の一つとして、ロシア化への抵抗の牙城となりました。


さて、続き。
今日の宿はホテルジョルジュHotel Georgeという旧ソビエトスタイルの宿に決定。
まだチェックインするには早過ぎる時間なので、荷物だけを預けてお散歩に出掛けました。
キエフ大公国の初代王様ダヌィーロ・ロマーノヴィチDanylo Halyckyiの像。
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フラワーマーケット。
ウクライナの人達はとてもお花が好きな様子、皆さん気軽に素朴な花束や植木を買ってゆきます。
ハニコは菊が大好きなのだけど、日本ではどうしても仏花扱い・・・
でも外国に来ると菊は立派な観賞用。写真には写っていませんがLVIVではいろんな種類の菊がたっぷり店頭に並んでいてウキウキします。
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インフォメーションセンターで地図を入手し、ちょっと街を散策していると、宿にチェックインできる時間になりました。
ホテルジョルジュ Hotel George
テレビ、WIFI、バストイレ共同、朝食付きで350UAH/室。スタイルは旧ソビエト式(なんだそれ?)
無駄に広い階段エリア、なんという長い廊下!!!夜中はさぞ恐ろしかろうに。 さすがソビエト!
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2人なのに、何故か巨大な4人部屋へ!!広い、広すぎる!!! さすがソビエト!
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夕食は指差しでお惣菜をチョイスできるお店へ。
気になったお惣菜を片っ端からチョイスし、ビールを飲んで合計91.5UAH。そんなに安くもないなぁ。
でも、何もかもがとっても美味しい!
ウクライナ、、なかなかやりおる。来て良かったな♪
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コメント

わぁ!リヴィフ!

僕も9月下旬~10月上旬にウクライナに行きました!
リヴィフはその中でも特に印象に残っている都市です。
あぁ、写真を見ていたらまた行きたくなってきました!(笑)

ブログの更新楽しみにしています。

Re: わぁ!リヴィフ!

宮川さん

コメントありがとうございます。
リヴィヴはヒューマンスケールのいい街ですよね。
居心地がよかったので、予定よりも長居してしまいました。

滞在の備忘録のようなブログですが、まとめたらまた報告しますね。

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