Vagabond Shoes

Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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プラハ城

特に予定もなく、ブラブラ好き勝手にプラハを歩いた今日一日♪

宿近くの不動産屋で、買う予定もないけれど物件の値段チェックをしてみたり。
小さなタバコ屋をのぞいてみたり。ここではメトロチケット(トラム、バス共通)を買うこともできます。
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野菜の新鮮度をチェックしたり。ピカピカで新鮮な野菜だらけ!
大きな古いビルを見上げてみたり。
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そして、昨日だけではとても見きれなかったプラハ城にやってきました。
すると高級宝石メーカー、カルティエの期間限定展示会が催されているではありませんか!
お宝が見れるかもと入場、650CZK/名。
1800年代後半から現代に至るまでの作品350点が展示されていて、インドのマハラジャ、風と共に去りぬのヴィヴィアン・リー、『世紀の恋』のシンプソン夫人などのセレブ達が、カルティにオーダーし身に着けた宝石を見ることができます。19世紀のロイヤル・ファミリーのティアラなどは、それは見事でした。
宝石そのものよりも、オーダーした人の人生や、その宝石を身に着けている写真がとても興味深かったです。
これだけの数の宝飾品が年代順に並べてあるため、時代が新しくなるほどシンプルなデザインにかわっていく、そんな変化が感じられる展覧会でもありました。
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次はプラハ城の歴史的建造物を見学。今日は聖ヴィート大聖堂にも入ってみましょう。
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以下、聖ヴィート教会について。
現在ある場所に最初の教会が建てられたのは925年のことで、ボヘミア公のヴァーツラフ1世(聖ヴァーツラフ)によって初期ロマネスク様式の円形建築の教会が建設されました。聖ヴィートが守護聖人として選ばれたのは、ヴァーツラフがドイツ王ハインリヒ1世から聖遺物、すなわち「聖ヴィートの腕」を与えられたからであることと、また同時にヴァーツラフは、民衆が土着の宗教からキリスト教への改宗に抵抗を感じないよう、スラブの太陽神スヴァンテヴィトによく似た響きを持つ名前の聖人を選んだともいわれています。
キリスト教徒が増加し、土着の宗教人口は減少したが、2つの宗教は少なくとも11世紀まではプラハ城内に共存していたそうです。
現在のゴシック様式の大聖堂は1344年の11月21日に着工され、フス戦争により建築が中断したり、大火による損傷を乗り越え、何人もの建築家に委ねられて600年後、大聖堂は完成しました。

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薔薇窓、大きいなぁ。
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この世界観・・・むむむ消化し切れません。
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聖ヴィート大聖堂で一番の見所は、美しいステンドグラス。
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数ある素晴らしいステンドグラスの中で最も有名なのがこちら。
アールヌーボーの華『アルフォンス・ミュシャ(チェコ語ではムハ)』の手がけた作品。
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ミュシャって誰?って思うかもしれませんが、こんな絵を描いた人です。
この乙女な作品、誰もがどこかで目にしたことがあると思います。
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ミュシャはオーストリア帝国のモラヴィア(現代のチェコ)イヴァンチツェに生まれ、少年期は教会の聖歌隊の一員となり、夏休みには合唱隊の聖歌集の表紙を描くなど絵を得意とする少年でした。
中学校を中退、地方裁判所で働き、19歳でウィーンに行き舞台装置工房で働きながら夜間のデッサン学校に通います。そして1883年ミクロフでクーエン・ブラシ伯爵に会い、その弟のエゴン伯爵がパトロンとなりました。25歳のときエゴン伯爵の援助でミュンヘン美術院に入学、卒業し、28歳のときパリにてアカデミー・ジュリアンで美術を学びます。彼は初期の売れない時代には雑誌の挿絵なので生計をたてていたそうです。彼の出世作は1895年、舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために作成した「ジスモンダ」のポスターであり、彼は一夜にしてアール・ヌーヴォーの旗手としての地位を不動のものとしました。その後、煙草用巻紙(JOB社)、シャンパン(モエ・エ・シャンドン社)、自転車(ウェイバリー自転車)などの多くのポスター、装飾パネルも数多く手がけます。
商業的に成功をおさめ、財政的な心配のなくなったミュシャは1910年、故国であるチェコに帰国します。1918年にハプスブルク家が支配するオーストリア帝国が崩壊し、チェコスロバキア共和国が成立すると、新国家のために紙幣や切手、国章などのデザインを行いました。財政難の新しい共和国のためにデザインは無報酬で請け負ったそうです。1939年3月、ナチスドイツによってチェコスロヴァキア共和国は解体されると、プラハに入城したドイツ軍によりミュシャは逮捕されます。逮捕理由は「ミュシャの絵画は、国民の愛国心を刺激するものである」ということ。ナチスはミュシャを厳しく尋問しますが、それは78歳のミュシャの老体には耐えられないものでした。その後ミュシャは釈放されますが、 4ヶ月後に体調を崩し、祖国の解放を知らないまま生涯を閉じたのです。



そんなミュシャのステンドグラス、独特の雰囲気を漂わせます。
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聖ヴィート教会を出て、景色を眺める。
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と、衛兵交代式が始まりました。なんか動きが不揃いだし、表情もキリっとしていない・・・
日本の自衛隊の行進を見せてあげたいものだ。
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プラハにはいくつもの国立美術館がありますが、そのうちの国立美術館シュテルンベルク宮殿館 Narodoni Galerie Sternbersky Palacにやってきました。入場料150CZK/名。
写真は撮っていませんが、この美術館のルーベンスコレクションはとても素敵でした。

以下、個人的に気になった絵。
これはJan Swart van Groningenの絵。服がとても綺麗に描かれているな~。
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クラナッハ Cranachの絵。若い女性がこっそり老人のバッグに手を入れています。
女性の興味は老人の持つ財産のようです。
老人が若い女性に騙されるというテーマの絵は、とてもよく見かけます。
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プラハ城の庭園。でも寒いからすぐに引き返す。
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宿の近くまで戻り、こんな食堂へ。
ケーキを買ったり、ちょっとおつまみをつまんだり。
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そして夕飯は、宿の近くのレストランへ!ビール最高!!!
ここのお客さんはチェコ人ばかり、値段も地元価格。
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今夜もモリモリ食べて、ビールも6杯飲んで合計322CZK。安いな~。
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今日も盛りだくさんな一日でした。

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Author:ダリオ&ハニコ
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