Vagabond Shoes

Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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ブダペスト王宮の丘、チェコ到着

夜行バスに乗ってチェコへと向かう前に、ブダペスト一番の観光名所である『王宮の丘』に行ってみました。

と、その前に腹ごしらえ。
ブダペストには中華料理屋がそこここにあって、300円もだせばお腹いっぱい食べられます。
写真映りはイマイチですが味もそこそこ美味しいです。
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メトロに乗ります。ブダペストのエレベーターは日本の2倍ほどの速度で進み、ちょっと恐いです。
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メトロでブダ地区まで行き、ヒイヒイいいながら上り坂を登ると王宮の丘。
この丘は世界遺産に登録されています。
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ここでちょっとブダペスト基本情報をどうぞ!(Wikipedia, Wikitravelより)

街の中心をドナウ川が縦断するが、西側のブダ地区と東側のペスト地区はかつでは別々の町でした。

ブダ地区は丘の上にブダ城(かつての王宮)や要塞があり政治的・軍事的拠点なのに対し、ペスト地区は平野部に位置し経済的拠点だったのです。

89年頃ローマ帝国が、ケルト族が定住していた現在のオーブダ地区の近くに建設した都市アクインクムがブダペストの起源とされます。

アクインクムは106年から4世紀の終わりまで、ローマ帝国のパンノニア州の州都で、ドナウ川の対岸にあたる現在のペスト地区は、コントラ・アクインクム(「アクインクムの反対側」という意味)と呼ばれていました。

900年に今日のハンガリーの主要民族であるマジャル人がアールパードに率いられ、パンノニアと都市を占領し、1世紀後にハンガリー王国が誕生します。

ハンガリー王国における重要都市となったペストは、1241年にモンゴル帝国のバトゥの征西軍の侵入を受けますが、ベーラ4世の下ですぐに復旧されます。

16世紀に入ると、オスマン帝国がハンガリーのほとんどを征服し、ハンガリー中央部を支配するオスマン帝国属領としてブダ州が設置されて、ブダがオスマン帝国の総督の駐留地となりました。一方のペスト地区はこの時期ほと
んど見捨てられた状態でした。

1526年以降名目上のハンガリー王であったオーストリア大公・ハプスブルク家が、1686年に王国領を奪回します。

1723年、王国の行政組織が置かれたペストは、18世紀から19世紀に急速な成長を遂げ、ブダペスト全体の発展の大部分に貢献するようになりました。

第二次世界大戦中の1944年のドイツ軍による占領以来、ブダペストに暮らすユダヤ人のうち200,000人が、ナチス・ドイツの虐殺によって死亡しました。

それに続くソ連軍の占領によって、さらに人口は減少し、1950年代から1960年代になるまで回復することはありませんでした。


世界一美しいといわれている国会議事堂。
バロック様式とネオゴシック様式が入り混じったヨーロッパ随一の建造物だそうです。
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この騎馬増は初代ハンガリー国王イシュトバーン。
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王宮の丘は完全に観光地化していて、私たちにはあまり面白いものではありませんでした。
なので、丘を下りこの門の前からバスに乗り、ペスト地区に戻りました。
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こちらペスト地区のオペラ座。
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夕食はハンガリー料理の食堂へでかけました。
ビーフストロガノフ(のようなもの)とライス、マッシュルームのフライ、スープ、ビール、コーラ、合計2740HUF。安いのですが、ここは味はイマイチを通り越して不味い・・・。お店選び失敗、残念。
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さて、のんびりとした後は、宿で荷物をピックアップしNepliget Bus Stationに行きます。
今日はOrangewaysという会社のバス。
このバス会社はハンガリーを拠点にヨーロッパの各地へお手ごろ価格でバスを運行しています。
私たちのバスチケットは、往復で11280HUF/名。
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夜行バスに乗ると、首や背中が痛いことが多いのですが、Orangewaysの座席はクッションがよく、その形も背中にぴったりと快適、どこも痛くなりませんでした。
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翌日は新たな国チェコ。

朝7:30、快適なオレンジウェイズの夜行バスは無事にプラハのフローレンスバスターミナルに到着しました。

久々に失業率一桁代の国にやって来ました(笑)

プラハの街にバスが入ったときに見えたのは、オレンジ色の屋根で統一された家々の風景、古い城壁、起伏に富んだ街並み、それは美しい風景でした。


ここでちょっとチェコ基本情報をどうぞ(外務省HPより)。

国名:チェコ共和国(Czech Republic)


一般事情

1.面積 78,866平方キロメートル(日本の約5分の1)

2.人口 1,043万人(2008年)

3.首都 プラハ

4.民族 チェコ人94%、その他スロバキア人、ロマ人等(2001年)

5.言語 チェコ語

6.宗教 カトリック 26.3%、無信仰 58.3%(2001年)

7.祝日

4月中(イースター・マンデー。年毎に異なる)、5月8日(戦勝記念日)、7月5日(ツィリルとメトディウスの日)、7月6日(ヤン・フスの日)、9月28日(チェコ国体記念日)、10月28日(独立記念日)、11月17日(自由と民主主義のための闘争の日)

8.略史

年月 略史
9世紀 大モラビア帝国成立
10世紀 大モラビア帝国滅亡、ボヘミア王国成立
1620年 ハプスブルク帝国の支配下に
1918年 第一次世界大戦後、チェコスロバキア共和国成立
1938年 ミュンヘン協定により、チェコスロバキア共和国崩壊
1939年 ボヘミア・モラビア地方はドイツの保護領に
1945年 第二次世界大戦後、独立回復
1948年 共産主義体制確立
1968年 「プラハの春」事件
1989年 民主革命(「ビロード革命」)により共産主義体制が終結
1993年 スロバキアと平和裡に分離・独立


政治体制・内政


1.政体 共和制

2.元首 ヴァーツラフ・クラウス(Václav Klaus)大統領(2008年3月再任、2期目、任期5年)

3.議会 2院制(下院200名 任期4年、上院81名、任期6年)

4.政府

(1)首相 ペトル・ネチャス(Petr Nečas)(2010年6月就任)

(2)外相 カレル・シュワルツェンベルグ(Karel Schwarzenberg)(2010年7月就任)

5.内政
* 1989年の民主革命(「ビロード革命」)後のスロバキアにおけるナショナリズムの高揚を背景に、チェコは、1993年1月スロバキアとの連邦を平和的に解消し独立。
*クラウス中道・右派連立政権下でマクロ経済は安定して推移したが、1996年春の下院選挙で、左派の社民党(CSSD)が大躍進し、第二次クラウス政権は少数内閣となった。
* 1997年11月、与党市民民主党(ODS)の政治献金疑惑をきっかけにクラウス政権は総辞職。トショフスキー選挙管理内閣を経て行われた 1998年6月の繰上選挙でCSSDが第1党となったものの、左派、右派とも単独過半数を得られず、交渉の結果、右派ODSの閣外協力に支えられたゼマン CSSD政権が成立した。
* 2002年6月の下院選挙では、CSSDが若干議席を減らしたものの、第一党の地位を維持し、キリスト教民主連合-人民党(KDU-CSL:中道)及び自由連合-民主連合(US-DEU:右派)との間で政策協議・連立交渉を行い、同年7月、三党からなるシュピドラ連立政権が成立した。
* 2003年2月、民主化革命後約13年大統領を務めたハヴェル氏は任期満了で大統領退任。第1回から第3回まで行われた大統領選挙の結果、第1回及び第2回選挙で最多得票のクラウス元首相(ODS)が大統領に選出された。
* シュピドラ政権は、EU加盟に向けて国内の改革を進め、2004年5月にEU加盟を成し遂げたが、同年の欧州議会選挙での敗北を受け、シュピドラ首相は辞任。グロス首相の下で第2次三党連立内閣が発足。
* しかし、2004年11月の上院選挙(1/3改選)における敗北、政治スキャンダル等により、グロス首相に代わってパロウベク内閣を樹立(2005年4月)。
* 2006年6月、任期満了に伴う下院選挙が実施され、野党第一党の市民民主党(ODS)が勝利し、3ヶ月に渡る交渉の結果、9月、トポラーネク ODS党首を首班とするODS少数内閣が発足したが、下院の信任を得られず総辞職。その後、再度トポラーネクODS党首が首相に任命され、第二次トポラーネク内閣が2007年1月9日に任命される。同内閣は19日に下院で信任を受け、正式に成立。
* 2008年2月、任期満了に伴う大統領選挙が実施され、第1回及び第2回選挙の結果、クラウス現大統領が再選された。
* 2008年10月、上院選挙(1/3改選)及び地方選挙が実施され、野党第一党の社会民主党(CSSD)が大きく議席を増やした。
* 2009年3月24日、内閣不信任案が下院で可決されたことを受け、トポラーネク内閣は総辞職。5月8日にフィシェル新首相(前統計局長官)が就任(選挙管理内閣が発足)。10月に繰り上げ総選挙を予定していたが、下院議員の任期短縮に関する異議申し立てを受け、憲法裁判所が繰り上げ総選挙の実施取り消しを決定。
* 2010年5月28-29日に任期満了による下院選挙を実施。社会民主党(中道左派)が第一党となったが、第二党の市民民主党(中道右派)とは僅差に終わり、社会民主党は同じく左派のチェコ-モラビア共産党の議席数とあわせても過半数に達しないことから敗北を表明し、パロウベク社会民主党党首は辞任。
* 第二党となった市民民主党を中心に、新党「TOP09」と「公共の物」が連立政権形成に合意。6月28日にネチャス市民民主党党首が首相に任命、7月13日にその他閣僚が任命され、ネチャス新内閣が発足。

外交・国防

1.外交基本方針

(1)「欧州への回帰」を大目標に、EU及びNATO加盟を目指し改革を進めてきた。

(2)1995年12月には、いわゆる移行経済国として初めてOECD加盟を実現。

(3)1999年3月にNATOに正式加盟。

(4)1998年3月からEU加盟交渉を開始、2004年5月1日に正式加盟した。

(5)2009年1月から6月までEU議長国を務めた。

2.軍事力

(1)予算 26.6億ドル(2008年)

(2)兵役 徴兵制度を2004年で廃止し、職業軍人化

(3)兵力 3.8万名(2008年)

経済

1.主要産業機械工業、化学工業、観光業

2.GDP 2,164億米ドル(2008年)

3.一人当たりGDP20,805米ドル(2008年)

4.経済成長率 -4.1%(2009年)

5.物価上昇率 1.0%(2009年)

6.失業率 9.2%(2009年)

7.総貿易額

(1)輸出 1,124億2,500万米ドル(2009年)

(2)輸入 1,042億9,400万米ドル(2009年)

8.主要貿易品目

(1)輸出 機械・輸送用機器、原料別製品、雑製品、化学工業製品

(2)輸入 機械・輸送用機器、原料別製品、化学工業製品、雑製品

9.主要貿易相手国(2008年)

(1)輸出(%) ドイツ(30.8)、スロバキア(9.3)、ポーランド(6.4)、フランス(5.4)、英国(4.8)

(2)輸入(%) ドイツ(26.8)、中国(8.8)、ロシア(6.4)、ポーランド(5.9)、スロバキア(5.6)

10.通貨チェコ・コルナ(Kc)

11.為替レート 1ユーロ=26.45コルナ(2009年平均)

12.経済概況

(1)1989年の民主革命後、市場経済への移行をめざした経済改革を実現。

(2)1993年のスロバキアとの分離・独立を経て、1994年には経済成長率がプラスに転じる等順調な成長を遂げる一方、低い失業率、比較的安定したインフレ率を維持し、「チェコ経済の奇跡」と呼ばれた。

(3)しかし、その後法制度の未整備等を背景に不正蓄財の横行、不良債権の蓄積、通貨危機等さまざまな問題に直面した。

(4)一時深刻な不況に陥ったチェコ経済は、1997年から1999年まで3年連続マイナス成長を記録したが、直接投資の拡大が景気を引っ張る形で設備投資全体が回復し、1999年以降プラス成長を続けた。

(5)欧州経済が低迷する中で内需拡大及び輸出増加により2005年以降6%台の高い成長を続けていたが、2008年になると成長が鈍化した。前半は物価上昇やチェココルナ高の影響を受けた緩やかな景気減速であったが、9月の国際金融危機以降、主要貿易相手国の景気低迷の影響を受け、急激に景気が低迷している。

(6)ユーロ導入時期は未定。

経済協力(単位 億円)

日本の援助実績(2002年度末までの累計)

(1)対チェコスロバキアODA

(イ)有償資金協力 なし

(ロ)無償資金協力 0.91億円

(ハ)技術協力実績 5.96億円

(2)対チェコODA

(イ)有償資金協力 なし

(ロ)無償資金協力 3.82億円

(ハ)技術協力実績 7.12億円

二国間関係

1.政治関係

(1)両国関係は、旧チェコスロバキア時代から良好。1989年末の民主革命後、両国関係は急速に拡大した。

(2)日本は1993年1月1日のチェコ独立と同時に同国を承認し、同1月29日に外交関係を開設した。

(3)2007年に両国の国交回復50周年を迎えた(1957年に日本とチェコスロバキア(当時)の間で国交回復に関する協定を締結してから50周年)。

2.経済関係

(1)日本の対チェコ貿易(2009年、財務省貿易統計)

(イ)貿易額
輸出 1,585億円
輸入  398億円
(ロ)主要品目
輸出 科学光学機器、音響・映像機器部品、半導体等電子部品
輸入 自動車部品、野菜、医薬品

(2)日本からの直接投資

149億円(2009年フロー、日本銀行)
主要事例:TV製造、自動車製造等

(3)進出日系企業数

約240社(2009年3月現在)(出典:ジェトロプラハ事務所)

3.文化関係

 両国の文化交流は、伝統的に盛んであったが、近年飛躍的に活発になっている。

(1)文化無償供与実績:国民美術館への視聴覚機材(1999年度)、ブルノ交響楽団への楽器(2000年度)、オストゥラヴァ市モラヴィア・シレジア国民劇場への録音機材(2001年度)、パラツキー大学へのLL機材供与(2002年度)

(2)姉妹都市関係(ピルゼン市と高崎市、カルロヴィ・ヴァリ市と群馬県草津町、プラハ市と京都市、ウヘルスキー・ブロット市と群馬県月夜野町(現みなかみ町))

4.在留邦人数 1,530人(2009年10月)

5.在日当該国人数 241人(2004年12月)




ここで興味を引いたのが、6の宗教について。

プラハは中世キリスト教の法王が行なった免罪符の発行に対して異論を唱えたヤン・フスがいたところです。(フスの話は後述します。)

そういう歴史の影響もあってか、国民の宗教の構成は『カトリック 26.3%、無信仰 58.3%』。

キリスト教国がムスリム国に仕掛けたばかげた争い、問題になっている神父達の児童達に対する性的虐待・・・などなど。。。これまで各国を訪問するうちにキリスト教への疑問符(これはキリスト教にだけ感じているわけではなく宗教全般に関してですが)、が積もってきた私にとっては、この無宗教率の高さに好感を持たずにはいられないのです。


それでは、チェコに到着した日の様子どうぞ。

通貨は1CZKチェココルナ=4.39円です。

左はフローレンス・バスターミナル、右はメトロの駅。
電光掲示板、案内図と全てが判り易く、迷う心配は皆無。ひとめでどちらに進めばいいのか判ります。
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メトロに乗り、Dejvicka駅で下車。宿を目指します。
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プラハの宿は『Hotel Denisa』、イギリスの直前割引サイトで予約しました。
テレビ、エアコン、ミニバー、Wifi、バスタブ付バスルームで1泊29£/室(1£=130円)
プラハは宿が高いと聞いていましたが、お手ごろ価格で快適かつ清潔な宿に泊まることができました。
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久々のホテル泊。アイロンがしっかりかかったリネン、毎日ルームクリーニング付!!
なんだかテンションがあがります。特にバスタブが嬉しくて日に2回は湯をはって入浴しました。←貧乏性(笑)
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宿に荷物を置いた後は、プラハの街をお散歩。

その前にプラハ情報をどうぞ。

プラハは、6世紀後半にスラヴ民族によりヴルタヴァ川河畔に形成された集落に始まります。

9世紀後半にはプラハ城、10世紀頃にヴィシェフラト城が建てられ、両城に挟まれたこの地に街が発達しました。

973年にキリスト教の司教座が置かれると、ユダヤ人の入植が始まります。

しかし、プラハは度重なる戦渦に巻き込まれ、一旦荒廃してしまいました。

その後、1346年にボヘミア王カレル1世が神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれ、カレル4世(ドイツ語名カール4世)となると、神聖ローマ帝国の首都はプラハに移され、プラハ城の拡張や、中欧初の大学、カレル大学の創立、カレル橋の建設とヴルタヴァ川東岸市街地の整備などの都市開発が行われ、ローマやコンスタンティノープルと並ぶ、ヨーロッパ最大の都市にまで急速に発展、「黄金のプラハ」と形容されるほどになりました。

次代国王ヴァーツラフ4世(ドイツ語名ヴェンツェル)の治世、ヤン・フスによるローマ教皇庁への抗議が行われ、1415年にフスが火刑にされると、フス派によってフス戦争が勃発、ローマ教皇の十字軍を破るが、15世紀後半にハプスブルク家のアルブレヒト2世がボヘミア王になると、フス派はその支配下に入ります。

16世紀後半、ルドルフ2世の治世になると、芸術や科学を愛する王の下、プラハに芸術家、錬金術師、占星術師などが集められ、プラハはヨーロッパの文化の中心都市として栄華を極めます。

しかし、1618年にプラハ城で起きた『プラハ突き落とし事件』件を皮切りにビーラー・ホラ(白山)の戦いが勃発し、三十年戦争に発展します。

1648年、カトリックの最後の牙城だったプラハはスウェーデン軍に包囲されるが、ヴェストファーレン条約が締結され、戦争は終結。しかし、王宮はウィーンへ移転され、プラハは人口が激減します。

また、チェコ語の使用禁止や、宗教弾圧や文化弾圧などを受け、チェコは独自の文化を失い、2世紀以上にわたって「暗黒の時代」といわれるチェコ民族文化の空白時代を迎えることとなったのです。

18世紀末、フランス革命やドイツ・ロマン主義に影響を受けた知識人らによって再び民族独立の動きが強まります。1848年にはプラハ市民によるオーストリアに対する蜂起がおこるが失敗に終わります。

第一次世界大戦終結後の1918年にオーストリア=ハンガリー帝国が解体し、チェコスロヴァキア共和国が成立すると、プラハ城に大統領府が置かれ、首都となります。

1922年初頭に、37の自治体を合併し、人口は676,000人となりました。

しかし、1938年、ナチス・ドイツによって占領され、チェコスロヴァキアは解体、第二次世界大戦中はここに居住していたユダヤ人約5万人がナチスによって殺害されました。

第二次大戦後は、社会主義国チェコスロヴァキアの首都となりました。

1968年にはプラハの春と呼ばれる改革運動が起こるが、ワルシャワ条約機構軍の侵攻を受け、改革派は弾圧されてしまいます。

しかし、1989年のビロード革命により共産党政権は崩壊、1993年にチェコとスロヴァキアが分離するとチェコの首都となりました。

2002年にドイツ東部からチェコを襲った水害では、ヴルタヴァ川(モルダウ川)が氾濫し、広範に床上浸水し、市の地下鉄が数ヶ月に渡って停止するなどの大きな被害を受けました。



お散歩開始。街中を縦横無尽にトラムが走ります。
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一番の見所『プラハ城』にやってきました。
プラハ城は、かつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、現在はチェコ共和国(元チェコスロバキア連邦共和国)の大統領府のある場所。世界でも最も大きい城の一つとされています。
プラハ城の敷地内には、ゴシック様式の聖ヴィート大聖堂、ロマネスク様式の聖イジー教会のバシリカと修道院、そして宮殿、庭園、尖塔があり、先の千年間のあらゆる建築様式を実態的にあらわしているそうです。
城内の大部分は観光客に開かれており、現在、城の建物には国立美術館ボヘミアバロック部門、国立美術館ヨーロッパ絵画・中世部門、チェコの歴史について展示する国立歴史博物館、おもちゃ博物館、ルドルフ2世の収蔵品をもとにしたプラハ城絵画美術館といったいくつかの博物館もあります。

入場料は二日間有効で350CZK/名、これで敷地内にあるほとんどの施設に入場可能です。
これは聖ヴィート大聖堂、大迫力です。
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城壁の中に入ると、広い中庭。
写真を見てお分かりの通り、プラハはとても寒いです・・・
最終日とはいえ、まだ8月。なのに皆の格好は冬支度。
ヒートテック、ダウンジャケット、それにレインコート、大活躍です。
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聖ヴィート大聖堂。
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プラハ城から街が一望。
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モルダウ川が見えます。
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この街には曇り空がとても似合う。
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チェコで有名な人といえば、作曲家のスメタナとドヴォルザーク。
このモルダウ川は、スメタナが作曲した交響詩『我が祖国』の中の第2曲『モルダウ』で有名です。
スメタナは、オペラの指揮者として最盛期に聴覚を失いますが、その後に作曲されたのが不朽の名作『我が祖国』。
モルダウ川に架かるのは『カレル橋』
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プラハ城を後にし、丘を下りカレル橋までやってきました。
『カレル橋』はヨーロッパに現存する最古の石橋で、神聖ローマ皇帝カール4世の治世下1357年に建設が始まり1400年に完成。1841年までプラハ旧市街とその周囲をつなぐ唯一の橋でした。
橋の長さは516mで幅は10m。16連のアーチから構成されています。
また橋を守るために3つの塔が建てられており、とくに旧市街側の塔(上の写真、左側に見える塔)はゴシック様式の建築として名高いそうです。

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橋の欄干には15体ずつ、合計30体のバロック様式の彫刻が並んでいます。ちょっと不気味です。
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カレル橋を渡ると旧市街。
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路地裏をウネウネと歩いて向かったのは・・・
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ビアホール!チェコといえばチェコビール!!ついでに夕飯も食べます。
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チェコビール・・・美味しい!!
今まで訪れた国々で、断トツで美味しい。このお店は500mlで50CZK/杯。
これでも十分安いと思うのですが、私たちの宿のある居住区ではさらに安く、500mlで30CZKほど。
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次々とビールがつがれてゆきます。
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サーバー担当の店員さんは、どの店でも年配のベテランさん。
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チェコ料理を頼んでみました。じっくり煮込んだお肉、これまた美味しい、そしてボリュームたっぷり!
付け合せは、ジャガイモをつぶして蒸したパン。
お腹が痛くなるほど食べて、ビールも6杯のんで、お会計は合計484CZKでした。
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満腹になったら、夕方のプラハをプラプラ。
ここは旧市街広場 Staroměstské náměstí、奥に見えるのはティーン教会。
そして真ん中の像は、チェコの宗教改革の先駆者ヤン・フス。
彼は当時のローマ教会の堕落を厳しく批判し、1415年に火あぶりの刑になりました。
チェコ人に『チェコの英雄は?』と訪ねると、このヤン・フスをあげる人が最も多いそうです。
フスの時代から100年後に宗教改革を行なったルターも、フスを尊敬していたそうです。
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トイレが我慢できなくなったダリオが飛び込んだ公衆トイレ。5CZKを入れると、自動扉が開きます。
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ティーン教会。
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右は時計台。正時ごとにカラクリ時計が動くため、その時間を楽しみにたくさんの観光客が集まります。
しかし、、、そのカラクリ時計、いつクライマックスが来るのかと見守っていたら・・・もう終わり?(笑)
観光客は皆肩透かしを食らったような顔をしていたのがおかしかったです。
派手なエンターテイメントに慣れてしまった現代人には物足りないのかもしれません。
個人的には、カラクリはオマケに過ぎず、この時計の素晴らしいところは、天体の動きを形にして表すことの出来た人間の叡智と技、途中何度か止まった時期はあるものの、600年間、時を刻んできたということにあるのではないでしょうか。
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今日もよく歩きました。

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