Vagabond Shoes

Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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スコピエへ移動

マケドニアの首都スコピエに移動した日のお話。

朝7:45にホテルをチェックアウト。
街のレトロな遊園地や商店を眺めながらテクテクとバスターミナルを目指します。
東欧の遊園地は、古くて雰囲気があり一見とても素敵です。
でも実のところかなりの老朽化が進んでおり危険なのだそうです。確かに実際に見てみると納得。
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バスは9:00にビートラを出発、雄大な景色を眺めながらスコピエへと向かいます。
バスの旅は、その国の人々や暮らしを間近に見ることができるので大好き。
それに乗り降りする地元の人々を眺めるのも楽しいしね♪
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12:30にスコピエに到着しました。大きく無機質なバスターミナル。
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以下スコピエ情報です。(Wikipediaより)

スコピエは、ヴァルダル川沿いにあるマケドニア共和国の首都。

人口506,926人(2004年)、面積1,854 km²。

古代ローマ時代に建設され、スクピ(Scupi)の名で知られました。

その後東ローマ帝国に引き継がれるがスラヴ人の侵入と定住により帝国の実質的支配は及ばなくなります。

10世紀にはブルガリア帝国の領土となり、同世紀末にはオフリドと共に「西ブルガリア王国」ないし「マケドニア王国」と呼ばれる地方国家の主要都市となりました。

1018年に東ローマ帝国領に再併合され、その後は帝国の混乱に伴いブルガリア、イピロス専制公国、ニケア帝国などに次々と占領されます。

13世紀にはセルビアの支配下にはいり、スコピエにおいてステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが1346年「皇帝」として戴冠し、彼の帝国の首都もここに置かれました。

1392年から1912年にかけてオスマン帝国の支配下に入り、ユスキュブという名で呼ばれ繁栄しました。マザー・テレサがこの町でアルバニア人の娘として生まれたのは、この時代のことです。

1913年にセルビアに併合され、第一次世界大戦後にユーゴスラヴィア王国の一部となります。

第二次世界大戦中はブルガリア王国の支配を受けたが、1944年にマケドニア人民共和国が成立すると(ユーゴスラヴィア連邦の一共和国を形成)その首都となりました。

そして1991年、マケドニア共和国の分離独立に伴い改めて独立国家の首都となり現在に至ります。

地震の多い土地で、518年、1555年、1963年と壊滅的な被害を受けたが、そのたびに復興しました。

1963年の地震は死者1,100人、負傷者4,000人を出し、中心市街は壊滅したのですが、1966年から72年にかけて丹下健三(日本人!!)の都市設計による再建事業が行われ、ビルの立ち並ぶ近代都市へと生まれ変わりました。
→なんかセンスない街並みだなと思ったら、日本人のデザインだったんだ・・がっかり。


バスから眺めたスコピエの街並みも、なんだか風情がなくてつまらなそう。

ターミナル周辺を散歩してみたけど、何も見るものがないかなという印象。

地震で破壊してしまったせいでしょうか、古い建物は見当たらず新しい建物ばかり。

良さそうな街だったら是非1泊しようと思っていたのですが、わざわざ泊まる必要もないかも・・・

ということで、FUDEKSというバス会社で、セルビアの首都ベオグラード行き24:00発の夜行バスチケットを購入しました。チケット代は1300MKD/名。

『なんだかスコピエは来る必要がなかったね~』なんてテンション低めの私たちだったのですが、ここで親切な人や印象深い人に出会ったりすると、つまらない街の印象も一転『あの街では○○さんっていう素敵な人に出会ったね~』という素晴らしい思い出の街に一変したりするもの。

私たちにとって退屈な街スコピエを思い出の地にしてくれたのは、バスチケットを購入した旅行会社のマケドニア人男性オーグネンさんでした。(オーグネンは『火から生まれた者』という意味だって、かっこいいね)

最初は、私たちの乗るバスはベオグラードの何処に到着するのかという事務的な質問をしていたのですが、そのうちオーグネンさんはゆっくり話そうとオフィスに招いてくれたのです。

彼は、大学で地質学を学んだそうで、マケドニアの各地域の特色、地形、気候などを丁寧に説明してくれました。

私たちは、マケドニアは山に湖といった観光資源に恵まれているのに、何故あまり観光業が盛んではないのかと思っていました。もちろんユーゴスラビアから独立し民主化されて時が浅いという理由もあるかと思います。

これをオーグネンさんに聞いたところ、マケドニアには『観光庁』がなく、観光部門のような小さな組織があるだけなのだそうで、まだまだPR不足なのだそうです。

オーグネンさんいわく、マケドニアは気候に恵まれていて1年のうち345日は晴天だそうです。

そしてこの気候が最もよく作用するのが『葡萄』、そしてその葡萄からとても美味しい『ワイン』ができるのだそうです。

このマケドニアワインを観光や産業に生かせたらとおっしゃっていました。

私たちは、マケドニアのワインがとても美味しいということを事前に下調べしていたので、毎日1本購入して楽しんでいました!

実際深みがあって美味しく、しかもお手ごろ価格。

このことをオーグネンさんに話すと、とても嬉しそうな顔をしてくれました。

彼は古いワインを収集しているそうで、『古くて美味しいワインを飲むと、神に出会ったような気分になるよ~』と恍惚とした表情で語っていました。

2時間ほどオーグネンさんと過ごしお別れ。『次にマケドニアに来たときは僕が一週間無料でガイドをするよ!』と言ってくれました。


バス出発まで、WIFIフリーの喫茶店で延々と時間つぶし。
そして24:00、定刻通りにバスは出発。今夜は国境越えです。
この国際バスですが、ドリンク&お菓子サービスありの快適バスでした。
サービス満点のトルコのバス会社が、このあたりまで進出しているので、このくらいのサービスをしないと競争についていけないのかな?
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これでマケドニアともお別れ。

大勢の親切な人、美しい自然、とても素敵な国でした。

近い将来、その素晴らしい観光資源が広く認知されて、たくさんの外国人が訪れる国になるのではと思いました。

また来たいな~。
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