Vagabond Shoes

Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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ティラナ

フェリーは、8:00に無事アルバニアのドゥラスDurresという港街に到着しました。

なんだか閑散とした港・・・近くには鉄道駅があり、ボロボロの車両が停車しています。
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港の銀行で、少しばかりのユーロをアルバニア・レク(LEK)を両替えしました。1レク(LEK)=0.8円です。

まずはいつものようにアルバニア基本情報。


国名:アルバニア共和国(Republic of Albania)

一般事情

1.面積 約28,700平方キロメートル(四国の約1.5倍)

2.人口 約314万人(2008年、世銀)

3.首都 ティラナ(約55万人)

4.民族 アルバニア人

5.言語 アルバニア語

6.宗教 イスラム7割、正教2割、ローマカトリック1割

7.国祭日 11月28日:国旗記念日(独立及び解放記念日)

8.略史

年月 略史
1912年 オスマントルコから独立
1939年 イタリアの保護領、後に併合
1944年 共産党臨時政府樹立、全土解放
1961年 ソ連と断交
1976年 中国の経済・軍事援助停止
1985年 ホッジャ勤労党第1書記死去
1990年 野党設立許可、複数政党制導入、外貨導入解禁
1991年 初の自由選挙、臨時憲法制定、米、英と国交回復、ECと外交関係、IMF、世銀、CSCE加盟
1992年 総選挙で初の非共産政権樹立、OICに加盟
1994年 PFP包括協定、PFP個別協定調印
1995年 欧州評議会に加盟
1997年 ねずみ講問題を発端とする騒乱が発生。6月の総選挙の結果、社会党を中心とする連立政権成立
1998年 新憲法制定
2000年 WTO加盟
2003年 EUとの間で安定化・連合協定(SAA)交渉を開始
2006年 EUとの間で安定化・連合協定(SAA)に署名
2009年 NATO加盟


政治体制・内政

1.政体 共和制

2.元首 バミル・トピ(Bamir TOPI)大統領(2007年7月就任、任期5年)

3.議会 1院制(140名)任期4年 議会議長 ヨゼフィーナ・トパリ(Jozefina Topalli)

4.政府

(1)首相 サリ・ベリシャ(Sali Berisha)(2005年9月就任、2009年9月再任)

(2)副首相兼外相 イリール・メタ(Ilir Meta)(2007年4月就任)

5.内政

 勤労党(1991年に社会党に党名変更)による一党独裁の下に共産主義鎖国体制をとってきたが、1990年より東欧改革の影響を受け、対外開放、複数政党制の導入等、民主化を始めた。1992年3月の総選挙で民主党を中心とする民主政権が成立。

 1997年に入り、ねずみ講問題を発端とする騒乱が南部地域を中心に発生し、同年3月、メクシ首相が辞任。4月より8月まで人道援助物資の配給の安全確保等のためイタリアを中心とする多国籍防護軍が展開。6月の議会選挙の結果を受けてベリシャ大統領が辞任し、7月に社会党を中心とする中道左派政権が成立。その後も社会党と民主党の対立が続き、1998年9月に起った民主党議員の射殺事件を契機に騒擾事件が発生し、右事件の責任をとるかたちで首相が交代した。さらに、1999年10月の与党・社会党の党議長選挙の結果を受けて、再び首相が交代しメタ首相が就任。

 2001年6、7月の総選挙で与党社会党が勝利を収め、メタ首相が続投したものの、2002年1月、社会党内の意見対立を原因として、同首相が辞任し、翌2月マイコ元首相率いる新内閣が成立。

 2002年6月の大統領選挙では、与野党のコンセンサスによりモイシウ元国防相が新大統領として選出され、7月に就任。同月、マイコ首相が辞任し、社会党のナノ党首が首相に就任した。2005年7月、任期満了に伴う議会選挙が実施された結果、野党民主党が躍進、民主党ベリシャ党首(元大統領)が新首相に就任し、8年ぶりに社会党からの政権交代が行われた。

 2007年の大統領選挙では、与野党対立の中から最終的に民主党副党首のトピ大統領が選出され、7月24日就任した。

 2009年6月、総選挙が行われ、民主党、「統合のための社会主義運動(SMI)」等4つの党で構成される民主党連合が与党となるも、野党社民党は選挙結果を不服とし、全面的議会ボイコットを実施。3月以降、民主党及び社民党の両党首の対談を経て、社民党は、部分的議会ボイコットを継続している。

外交・国防

1.外交基本方針

 長年、半鎖国的な社会主義体制をとってきたアルバニアは東西冷戦の終結、東欧諸国の民主化、国内の経済情勢の悪化等の背景から、その鎖国政策を大幅に変更し、1990年以降、国際社会への復帰、先進諸国・国際機関との関係強化及び安全保障の確保を基本的な外交方針としている。

 NATO、EU加盟を最優先課題とした外交を行ってきている。NATOとの関係では、2003年5月、米国との間でNATO加盟への協力を謳った米・アドリア海憲章に調印、また2009年4月には、念願のNATO加盟を果たした。EUとの間では、2009年4月、加盟候補国申請を行った。伊とは強い経済的結びつきがある。米に対し、政府、国民とも強い親近感を有している。

 コソボ独立承認国を増やすべく働きかけを積極的に継続し、コソボの国造りを全面的に支援している。

2.軍事力(出典、ミリタリー・バランス2010)

(1)予算 2億5,400万ドル(2009年)

(2)兵役 徴兵制

(3)兵力 14,295人

経済(単位 米ドル)

1.主要産業 農業、工業、製造業(世銀2008年)

2.GDP 123億米ドル(世銀2008年)

3.一人当たりGNI 3,840米ドル(世銀2008年)

4.経済成長率 6.0%(世銀2008年)

5.物価上昇率 3.0%(世銀2008年)

6.失業率 12.7%(EU progress report2009年)

7.主要貿易品目(アルバニア統計局2009年)

(1)輸出 繊維、鉱物、建築資材

(2)輸入 機械、食料品、建築資材

8.主要貿易相手国(アルバニア統計局2009年)

(1)輸出 イタリア、ギリシャ、コソボ

(2)輸入 イタリア、ギリシャ、韓国

9.通貨 レク(Lek)

10.為替レート 1ドル=約104レク(2010年4月現在)

11.経済概況

 アルバニア経済は、世界経済への統合の程度が高くないため、世界経済危機の影響は限定的である。前年まで継続した5~6%(EIU Albania Country Report、2009年11月)の成長率には及ばないが、2.2%(IMF、2010年)と見積もられ、低インフレ率を維持している。ただし、伊等近隣諸国の経済悪化に伴い、出稼ぎ者からの送金減少が顕著となり、経済が悪化することが予見される。

経済協力(単位 億円)

1.日本の援助実績(2008年までの累計)

(1)有償資金協力 180.92億円

(2)無償資金協力 39.88億円

(3)技術協力実績 16.13億円

2.主要援助国(2007年実績)

(1)ドイツ(2)米国(3)ギリシャ(4)スペイン(5)イタリア

二国間関係

1.政治関係

 1981年3月に外交関係を再開。1990年11月にマリレ外相が即位の礼に参列のため閣僚として初来日。1994年5月にはセレチ外相を外務省賓客として初めて公式に訪日招待。1998年11月には非公式ながらもミロ外相が訪日。2004年4月にイスラミ外相が「西バルカン・平和定着経済発展閣僚会合」出席のために訪日。2006年5月にムスタファイ外相が外務省賓客として訪日。同年12月にはルリ経済相及びバシャ公共事業・運輸・通信相が訪日した。2008年2月には、ベリシャ首相がアルバニア首相としてはじめて訪日した。2008年11月、ティラナにおいて、第一回日・アルバニア政務協議が実施された。2009年5月、西村外務大臣政務官がアルバニアを訪問し、ベリシャ首相を表敬した。

2.経済関係

(1)日本の対アルバニア貿易(財務省貿易統計2009年)

(イ)貿易額
輸出 2億5,221万円
輸入 1億5,317万円
(ロ)主要品目
輸出 機械類、金属製品
輸入 繊維製品、魚介類

(2)日本からの直接投資

 なし

3.文化関係

1989年より文部科学省国費留学生を受け入れ

4.在留邦人数 5名(2008年)

5.在日アルバニア人数 66名(2008年)




鉄道駅の前のバスターミナルから、首都ティラナTirana行きのバスに乗車。

バス代はトランクに預ける荷物代込みで450LEK/名。
これは高いように思える・・・。ボラれたかな。


そして1時間後、Tiranaに到着。バスから降りて一番最初に見つけたホテルにチェックイン。
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HOTEL REPUBLIKA テレビ、エアコン、バストイレ付きで4000LEK/トリプル。
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前に読んだ本によると、ヨーロッパの中でも貧しく、多くの国民が国外に出稼ぎに行き、その送金がアルバニア人の生活を支えているとか。

また、アドリア海をはさんでお隣のイタリアに大きな憧れを持ち、長年イタリアとうまくお付き合いしてきた国なので、ファッション・文化などはイタリアのものが多く流入し、女の子達もとてもお洒落な格好をしています。

ガイドブックによると、アルバニアは

『格好いい国旗』、
『国外に散らばった移民』、
『コンクリートのバンカー(後述します)』

で有名だとか。つまり何もないということかな(笑)

個人的には、アルバニアといえば『ネズミ講』 もうこれしかない!!

今から10数年前に、このアルバニアでは大変な、でも笑ってしまうような事件が起こったのです。

それはこんなお話。

アルバニアでは、1990年代前半から多くのネズミ講投資会社が、月利8%、高い時には3カ月で100%といった高金利で、国民に投資を呼びかけた結果、次第に国民の70%がネズミ講に投資してしまいました。

しかし、投資者がふくれあがった時点、1997年に限界に達したネズミ講会社が次々と破綻します。

自分の預金を全て失ったことを国民は暴動を起こし、軍や警察の武器庫を襲撃したり、外国のヘリに対空砲火を行ったり、軍事基地から戦車を盗み銀行を破壊して金を強奪したり、外務省を襲撃したり、、、

アルバニアは無政府状態となってしまいました。。

民衆の怒りが倒産した投資会社ではなく、政府に向けられたのは、投資会社と政府の癒着が理由とされています。

政府の役人や党員など国家のエリート達の多くがネズミ講に出資しており、投資会社のCMは国営テレビでも流されていたのです。

そこで、国民は政府系の優良企業と勝手に誤解し、次々と出資したのだそうです。

賢いエリート達は、破綻時には出資金を引き上げており、被害を受けたのは後から投資した国民だけ、国民達の怒りは頂点に達します。

暴動のさなか、総選挙が行われ当然与党は敗北、新政権が誕生します。

そして2000年にはWTO加盟も果たし、国民一人当たりのGDPも急成長を遂げています。。


何もみるものもなさそうだし、思いつくものといえば『ネズミ講』。

それでも共産主義を脱却し、民主化した新しい国アルバニアに少しばかり興味があったので、1泊くらいはしたいと思い、宿泊することにしました。

では、次は首都ティラナ情報をどうぞ(WIKIPEDIAより)

ティラナ(アルバニア語:Tiranë/Tirana)は、アルバニア共和国の首都で、同国最大の都市。

旧石器時代からの遺跡が残り、アルバニアでは最も古くから人々の定住が進んだ地域でした。

520年にTirkanと呼ばれた城がユスティニアヌス1世の命で作られますが、当時は全く重要な土地ではありませんでした。

15世紀以降のオスマン帝国による支配下でも、7000人程の人口しか記録されておらず、長い間重要視されることはありませんでした。

しかし1614年、オスマン帝国の将軍・Sulejman Pashaがこの地の統治者として、モスクなど都市の建設に着手します。

さらにキャラバンルートであったため、急速に発展します。

1800年、コルチャなどかキリスト教徒であるアルーマニア人が流入します。

そして1889年、ティラナの学校ではアルバニア語の授業が始まり、イスマイル・チェマリ(en:Ismail Qemali)らが国旗を掲揚、民族運動が高揚し始めます。

バルカン戦争中は、一時的にセルビア軍に占領されることとなります。

しかし、1912年、オスマン帝国からの独立を宣言し1914年にアルバニア公国が生まれると、1920年、港湾都市のドゥラスからティラナに臨時に首都が移されました。

1920年-1924年、セルビア軍やアフメド・ゾグの軍勢の攻撃に耐えた後、計画的で強制的な都市作りが行われます。

1924には、ファン・ノリに率いられた反ゾグー蜂起がティラナ中心に起こります。

その後、1925年、アフメド・ゾグの反抗が成功、アルバニア共和国が誕生し、その後ゾグー1世として王位に就き、アルバニア王国になります。

1925年以降は、ティラナが恒久的な首都となります。

ところが1939年には、今度はイタリア軍に全土が制圧されてしまいました。

1941年にアルバニア共産党が結成されると、イタリア(後にはナチス・ドイツ)に対するパルチザン闘争は激しさを増し、1944年11月、ティラナはパルチザンの手で解放されます。

第二次世界大戦後、エンヴェル・ホッジャ率いるアルバニア労働党政権のもとで工業都市として開発が行われ、大聖堂など教会建築やバザールは完全に破壊され、共産主義建築で町は作り変えられ、昔の面影は姿を消してしまいました。

地方住民の移住が制限されていましたが、民主化後の1990年以降は、ティラナで職を求める地方出身者が流入し、市街地が拡大、公共用地に違法建築が増え、混沌とした雰囲気となっています。



さてさて、チェックインして、ホっと落ち着いたらば早速お散歩へ。
目抜き通りBlvd Zogu Ⅰを真っ直ぐ進みます。
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すると、オペラ座やモスクがある大きな広場にぶつかります。
数少ないTiranaの見所はこのあたりに固まっています。左はオペラ座。
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これはEt'hem Bey Mosque、今まで見てきたモスクとちょっと雰囲気が違う。
バルカン半島というとキリスト教のイメージが強いですが、オスマントルコの統治下であった時代があるので、ムスリムも多く暮らしています。
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まさに今、ムスリムの断食月ラマダーンの最中。
しかし、日没まで何も口に出来ないはずなのに、真昼間からムシャムシャ食事をするアルバニア人が大勢・・・
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オペラ座のカフェからの風景。
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これがアルバニアの格好いい国旗。
銅像はSkanderbeg(1405年5月6日 - 1468年1月17日)
オスマン帝国軍を撃退することに成功したアルバニアの民族的英雄
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夜、街を歩くとカジノがちらほらあります。
P8186105.jpg


アルバニアは、食事はバリエーションに乏しいです・・・
現地の人が何を食べているのかな~と観察すると、大概ハンバーガー、ホットドッグ、ケバブ、ミートパイのようなもの。
イタリアから食文化は流入しなかったのかな・・・
ただ丁寧に調理してくれるので、味は美味しいです。
P8186106.jpg

明日はバスでマケドニアに移動します。

チケットは旅行会社Pollogu Travel Agencyで、ティラナTirana→ストゥルガStrugeのチケットを13EUR/名で購入。

ストゥルガからはローカルバスでオフリッドOhridという街を目指す予定です。

ここの旅行会社の男性がとても親切で、ストゥルガからオフリッドまでの行き方、交通費、大まかな滞在費用、こと細かな情報を丁寧に教えてくれました。

さて、明日も国境越えです。
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