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Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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ポンペイ遺跡

ナポリ最大の見所ともいえるポンペイ遺跡へ行きました。

ハニコ15年前に一度訪れたことがあるけれども、ツアーだったのでサラリと1時間ほど見学しただけでした。なので今回はゆっくり満足するまで見たいのです!!

写真で振り返る今日一日。


これは昨日購入したカンパーニャ・アルテカード3日券、27ユーロ。
これをもっているとカンパーニャ州の観光地入場料が、最初の2件は無料、3件目からは半額になります。
そのうえ公共交通機関がすべて無料で乗れるという優れもの。
最初の2件の無料分は、「なるべく入場料がお得な観光地で使用するのがお得!」
と力を込めてアドバイスしてくれた窓口のお姉さんに従って、11ユーロと最も入場料の高いポンペイ遺跡で、このカードを使い始めることにしました。
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まずはバスR2で、ナポリ中央駅まで行き、そこからは鉄道でポンペイまで行きます。
これはバス停、どのバスが何分後に到着するか電光板に表示されるようになっています。わかりやすい。
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やってきましたよ~、ポンペイです。
いつもの通り、ポンペイのプチ知識をどうぞ。(主にWikipediaより引用)

紀元前7世紀、サルノ川の河口付近の丘に、イタリア先住のオスキ人によって集落がつくられました。

その後、紀元前526年からエトルリア人に占領されますが、ポンペイ市民はイタリア南部に居住していたギリシャ人と同盟を組み、紀元前474年クマエの海戦で支配から脱します。ギリシャ人はその後ナポリ湾を支配しました。

紀元前5世紀後半からサムニウム人の侵攻が始まり、紀元前424年にはサムニウム人に征服されることとなり、その支配はカンパニア全体に及びます。

カンパニアの諸都市が同盟市戦争と呼ばれる戦争をローマに対して起こすと、ポンペイも反ローマ側に加わりました。

しかし、紀元前89年、ルキウス・コルネリウス・スッラによって町は征服され、ポンペイは周辺のカンパニア諸都市とともにローマの植民都市となりました。

ローマの支配下に入った後のポンペイの正式名はColonia Cornelia Veneria Pompeianorum(ポンペイ人によるウェヌス女神に献呈されたコルネリウスの植民市)となり、港に届いたローマへの荷物を近くのアッピア街道に運ぶための重要な拠点として、以後、商業都市として栄えます。


しかし、62年2月5日、激しい地震がポンペイを襲い、ポンペイや他のカンパニア諸都市は大きな被害を受けます。

町はすぐに以前より立派に再建されたが、その再建作業も完全には終わらない79年8月24日、ヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続け、翌25日に完全に地中に埋まってしまいました。

壊滅後は二度と集落が作られることはなかったのですが、その後1000年以上「町」という地名で呼ばれ、散発的に古代の品が回収され、下に都市が埋まっていることは知られていました。

その後、ポンペイは1748年に再発見され、建造物の完全な形や当時の壁画を明らかにするために、この後断続的に発掘されることとなります。

ポンペイとその周辺の別荘からは多数の壁画が発掘され、古代ローマの絵画を知る上で重要な作品群となっています。

ポンペイの壁画の様式には年代により変遷が見られ、主題も静物、風景、風俗、神話と多岐にわたっていて、男女の交わりを描いた絵も有名で、これらはフォルム(市民広場)や浴場や多くの家や別荘で、よい状態で保存され続けてきました。

なぜ、ポンペイの壁画は豊かな色彩を失わなかったのか、その秘密はこの街を襲った悲劇にあります。

西暦79年8月24日、町の北西 10 キロメートルにあるヴェスヴィオ火山が突如大噴火し、押し寄せた火砕流や有毒ガスがポンペイの人々の命を次々と奪い、降り注ぐ火山灰は、僅か1日足らずで 5 メートルの深さに町全体を飲み込んでしまいました。

そして、ポンペイが人々にその姿を再び現したのは18世紀半ば。

以降、今に至るまで発掘が続けられていますが、地中から次々と現れるローマ時代の遺品の美しさに世界が驚愕しました。


ポンペイは、これまで見てきたローマ遺跡の中でも規模・保存状態が格段に素晴らしいです。


それではポンペイの町の様子をどうぞ。
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昔のかまど。
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こんなにしっかりと建物が残っています。
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これは昔のバー。
穴が開いているのは、かまどで鍋を置いたのでしょうか。それともワインの入った甕壷を立てたのでしょうか。
ここでお酒をクイっと立ち飲みしたのでしょうね。
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この家はフレスコ画が残っています。
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住居の中のアトリウム。
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これは酒屋の壁に描かれたフレスコ画。男性達がお酒を飲んでいる様子が描かれています。
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パン屋さん。
粉をひく石臼があります。
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この家には、こんな美少年のフレスコ画が。
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高台に上ってみました。
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こんなふうに街全体がそっくり綺麗に残っています。
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堅固な城壁に囲まれていました。
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ベンチ、ここに人々が集会をしたりしたのかな。背もたれに文字が刻んであります。
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このあたりは墓地、大きなお墓が並びます。
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ヴェスヴィオ火山が噴火して、ポンペイの町が一瞬にして消えてしまいました。
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裕福な人の住居跡。
この家には、綺麗なフレスコ画が残されています。
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敷地内にはワインをつくる際に葡萄をつぶす道具が。
先っぽが羊の顔をした大きな道具です。
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ここは公衆浴場の中庭。
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バスタブがあって。
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こんな寝転がる台座も残っています。
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天井は凝った造り。
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さらに街をトコトコ。
車道の真ん中にある石は横断歩道だそうです。
馬車の通れるように車輪の幅のぶんだけ隙間が開いています。
この幅を通らなければならないので、馬車も減速するだろうし、なかなかいいアイデア。
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ここは売春宿。小部屋がいくつも並び、石のベッドが設置されています。この上にマットレスをしいたそうです。
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壁にはこんなエロチックなフレスコ画。
ポンペイはたくさんの外国人達が訪れる街でした。そんな言葉のわからない外国人でも、壁に描かれた様々な体位の絵を見て『これでお願いします』と注文できたそうです。ちなみにお値段はワイン1~2杯分と同額だったとか、、、料金が安いのか、ワインが高いのか、、、
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日本人の団体を発見。日傘、帽子、日焼け防止の長袖や長手袋。非常に特徴があるので遠目からでも判別できます。
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これ、かなり磨耗していますが、うっすらと男性器の形をしているの分かりますか?『売春宿があっちにありますよ』という印です。
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ヴェスヴィオ火山。今日は幸い雲が多く、暑さが厳しくなく助かりました。
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たっぷり5時間見学し、出口へ。
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電車の中で、眠くてウトウト。
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よく歩きました、脚が痛いけども楽しかった~。

では。
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コメント

感謝

大学でこの、当時の、勉強しました。すごく、高画質だしこの日記をみて、勉強したのがたくさんでてきて感動しました。ありがとうございます^^

Re: 感謝

こんな放置ブログにお越しいただいてありがとうございます。
忙しいのにかまけて、すっかりサボっていますが、そろそろ更新するようにします。
また覗きに来てくださいね~。

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