Vagabond Shoes

Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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ナポリ着

楽しくもドキドキの列車の旅も終了、なんと定刻前の4:30にナポリ中央駅に到着しました。

同室のオジサンにお別れをし、下車。

ハニコはナポリを訪れるのは2度目。あれは15年前、そのときも列車でやってきました。
15年前は、下車して最初に目にしたのは、ボロボロの野良犬達と怪しい浮浪者達。
ゴミだらけの汚らしい駅の構内に、埃っぽい空気。。なんてところに来てしまったものかと唖然としたものです。でも今回は、広大な新しいピカピカの駅、怪しい犬も人もいない!なんだかナポリじゃないみたい!
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外はまだ薄暗い。しばらく駅のベンチで休憩し、バスやメトロが始動するまで待機。
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この隙に、ナポリプチ知識をどうぞ(Wikipediaより)

ナポリ市(伊: Comune di Napoli)は、イタリア南部・カンパニア州の州都で、ナポリ県の県庁所在地、世界三大夜景の街として有名です。 人口は約100万で、古くから過密が社会問題になっています。

「ナポリを見てから死ね」と言われるほど風光明媚な土地としても知られていますが、現在では「ナポリが死なないうちに見ておけ」という皮肉の意も含まれるそうです(笑う)。

イタリア以外の外国人が想像する輝く太陽と温暖な気候、陽気な人々というイタリアのイメージは、この都市が元になっていますが、その一方で、今日でもカモッラ(イタリアンマフィア)による影響が強い都市としても有名です。

ナポリ市は、紀元前6世紀に古代ギリシア人(特にアテネ人)の植民活動によって建市されたと考えられています。

「ナポリ」の語源はギリシア語の「ネアポリス」(新しいポリス)であり、最初に建設された植民都市パルテノペから数キロはなれた場所に新しく建設された町という意味です。

その後、ナポリは長くローマ帝国の支配下にあったのですが、476年の西ローマ帝国滅亡後、南イタリアは東ゴート族やランゴバルド族の支配が及ぶなど流動的な状況となります。

6世紀になると、東ローマ帝国のユスティニアヌス1世がイタリアの再征服に乗り出し、イタリア半島はラヴェンナを首府とするビザンツ帝国の属州となりました。ナポリ市には660年にビザンツ系の公国が設置されています。

11世紀にはノルマン人が南イタリアに到来し、イスラム教徒が支配するシチリア島を征服してシチリア王国(オートヴィル朝)を建国しますが、ノルマン人の支配は南イタリアでも拡大され、ナポリ公国も1140年ノルマン人の手に落ちます。

12世紀にはシチリア王国は婚姻関係によってホーエンシュタウフェン家の神聖ローマ皇帝の支配に移ります。

1224年には異色の皇帝フェデリーコ2世(神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世)がナポリ大学を設立しました。

フランスの王族シャルル・ダンジューによりホーエンシュタウフェン家のシチリア支配が断絶すると、ローマ教皇クレメンス4世は1266年、シチリア王国をシャルル・ダンジューにあてがい、アンジュー家は王国の首都をパレルモからナポリに遷都しました。

しかし1284年、シチリアの晩鐘事件を契機にシチリア島で反乱が起こると、アラゴン王ペドロ3世がシチリアを占領しますが、ナポリを中心とする南イタリアはアンジュー家が依然として押さえていたので、王国は2つに分割されました。

2つの王国は共に「シチリア王国」を公称していたが、この時にナポリ王国が成立したそうです。

トラスタマラ家のアラゴン王アルフォンソ5世はシチリア王を兼ねていたが、内紛続きのナポリ王国を征服して、1443年にナポリ入りし、2つの「シチリア王国」の王を兼ねることとなりました。

アルフォンソはアラゴン王であるにもかかわらず、ナポリに長く滞在して統治しました。

1458年のアルフォンソの死後は私生児のドン・フェランテがフェルディナンド1世としてナポリ王位のみを継承しますが、失地回復をめざすフランス・ヴァロワ朝のシャルル8世がこれにつけ込んで、1494年にナポリを武力占領します。

これに対してスペイン(カスティーリャ=アラゴン連合王国)から派遣されたコルドバ将軍は、1503年にナポリを征服し、フランス軍を南イタリアから追放しました。ナポリ王家は取り潰され、スペインのナポリ総督によって支配される属州となりました。

スペイン継承戦争(1701年 - 1714年)のさなか、1707年にオーストリア・ハプスブルク家の軍隊がナポリに入城し、スペインの総督は追い払われます。そして、オーストリアの支配は1734年まで続きます。

ポーランド継承戦争が起こると、フランス・ブルボン家はスペイン・ブルボン家の支援を求め、1734年にスペイン王子でもあるパルマ公ドン・カルロスがナポリに入城してナポリ王カルロ7世として即位、シチリアも回復します。

カルロスは1759年にスペイン王カルロス3世として即位した際、ナポリ王位を息子のフェルディナンド4世に譲ります。この1734年をもって両シチリア王国の成立とする見方もあります。

ナポレオン戦争の間、ナポリ王フェルディナンドはナポリから追放され、シチリアを領有するのみとなります。

ナポリは1806年から1815年にかけてナポレオン・ボナパルトの兄ジョゼフ、次いで妹婿のミュラを王に戴くことになります。

1816年にフェルディナンドがナポリとシチリアの王として返り咲くと、間もなく国名を正式に両シチリア王国とします。

1860年、両シチリア王国はジュゼッペ・ガリバルディに征服され、翌1861年に成立するイタリア王国に併合されました。



と、バスが動き始めたのでR2(バスの番号)に乗車。
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そしてPiazza Trieste e Trentoで下車し、ホテルを目指します。
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ホテルは簡単にみつけることが出来たのですが、アパートメントスタイルなので、どうもレセプションなどはなく、早朝は常駐しているスタッフもいないらしい・・・

朝早いし、スタッフがやってくるのは9:00ころかな~と困り果てて建物の前で待っていたら、前の家に住んでいるイタリア人女性が、スタッフの家までわざわざ出向き、呼んで来てくれたのです!!!

ありがたいな~なんて親切なんだろう。

Case Così Chiaia 
Venereで予約しました。
テレビ、トイレ、シャワー、キッチン、冷蔵庫付きで40EUR/ダブル。
1階には、ダイニングテーブルとキッチン、バストイレ。広いロフトにはベッドとクロークがあります。
エアコンもファンもありませんが、ナポリは日陰に入ると涼しく、夜も寝苦しいということはありません。
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ホテルは『サンタ~ルチ~ア~♪』のナポリ民謡で有名なサンタ・ルチア港の近く。
15年前には、この近辺は観光バスでス~っと一瞬通りすぎただけ。『この辺は危険な地区ですっ!』と添乗員さんが言っていたあたりです。でも今はとても安全、夜歩いていても危険なことはありません。
これは徒歩5分のところにあるPiazza Plebiscito、ナポリで最大の広場。
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これもすぐ近くのGalleria Umberto Ⅰ。
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夜行列車があまり眠れなかったので、2人とも倒れそうに眠い。でもそれ以上に食い意地がはっている。
で、市場に行き新鮮鰯を1キロ買いました♪
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半身が透き通るような鰯!やっぱりこれは刺身だよね~♪
初めはシンプルに醤油だけ。次は玉葱をトッピング。あとはショウガがあれば!
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そしてお惣菜屋で買ったタコのマリネもいただきます♪味は普通かなぁ。
余った鰯はマリネにして洋風に調理、これも美味しい。
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キッチンがあると、いろいろ地元の食材を試せてとても楽しいな!

鰯やらタコやらハムやらを食べていたら、あっという間に一日終了。

長い一日でした、では!

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ダリオ&ハニコ

Author:ダリオ&ハニコ
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