Vagabond Shoes

Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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ハンガリー ブダペストへ

静かな環境と清潔でパリパリなリネン。

最高に快適な部屋でグッスリと熟睡し5:30に起床。


窓から外を見ると朝焼け。
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学生寮をチェックアウト。
快適だし、セキュリティーも万全だし、なんといっても1人800円ほどで滞在できるし、最高!!!
名残惜しいけどサヨウナラ~。
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こんな落ち着いた住宅街を歩いてバスターミナルにむかいます。
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7:00出発のブダペスト行きバス。
昨日私たちを学生寮まで案内してくれたセルビア人男性も、ちゃんと乗車していました。
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バスは定刻どおりに出発、サヨウナラ~セルビア!

バスの運転手さん、通りすがりのお兄さんにおばさん、いたるところで皆が親切にしてくれました、ありがとう。

そしてバスは11:00にブダペストのNepligetバスターミナルに到着。

ここでちょっとハンガリーの予習(外務省HPより)

国名:ハンガリー共和国(Republic of Hungary)

一般事情

1.面積 約9.3万平方キロメートル(日本の約4分の1)

2.人口 約1,001万人(2010年1月現在、世銀)

3.首都 ブダペスト

4.民族 ハンガリー人

5.言語 ハンガリー語

6.宗教 カトリック約52%、カルヴァン派約16%

7.国祭日 3月15日(独立戦争記念日)、8月20日(建国記念日)、10月23日(革命記念日)

8.略史

年月 略史
紀元前1世紀より ローマ領パンノニア州州都
紀元4世紀 フン族が侵入し、ローマ人を駆逐
896年 ハンガリー民族定住
1000年 ハンガリー王国建国
1241~1242年 蒙古軍襲来
1526~1699年 トルコによる占領
1699~1918年 ハプスブルグ家統治
1867年 オーストリア・ハンガリー二重帝国
1920~1944年 ホルティ摂政によるハンガリー王国
1920年 トリアノン条約(領土の3分の2を割譲)
1941~1945年 第2次世界大戦(枢軸国)
1946年2月 共和国
1949年8月 人民共和国
1956年10月 ハンガリー動乱
1989年10月 共和国に体制転換
1999年3月 NATO加盟
2004年5月 EU加盟
2007年12月 シェンゲン領域加入

政治体制・内政

1.政体 共和制

2.元首 ショーヨム・ラースロー(SOLYOM Laszlo、2005年8月5日就任、任期5年)

3.議会 1院制(定数386名) 任期4年

国会議長シュミット・パール(SCHMITT Pal)(2010年5月就任)

2010年6月現在の各党国会会派別の議席数は次のとおり(全386議席)。

 フィデス(与党) 227議席
 キリスト教民主国民党(KDNP)(与党) 36議席
 社会党(野党) 59議席
 ヨッビク(野党) 47議席
 政治の新しい形(LMP) (野党) 16議席
 無所属 1議席

4.政府

(1)首相名 オルバーン・ヴィクトル(ORBAN Viktor)(2010年5月就任)

(2)外相名 マルトニ・ヤーノシュ(MARTONYI Janos)(2010年5月就任)

5.内政

(1)1990年、体制転換後初の総選挙で議会制民主主義国家への転換は平和裡に実現したが、同選挙で誕生したハンガリー民主フォーラム(MDF)を中心とする非共産党政権は、国民の期待に十分応えられず、1994年の第2回総選挙では、社会党(旧共産党改革派)が支持の「揺り戻し」にあずかり大勝。しかし、社会党政権も1995年に国民の痛みを伴う緊縮経済措置を実施して支持率を下げ、1998年の第3回総選挙では、若手中心のフィデスが初めて第一党となり、独立小地主党及びMDFとの中道・右派連立政権が誕生した。

(2)2002年の第4回総選挙は、共同リストで臨んだ右派(フィデス・MDF)と左派社会党の一騎打ちとなったが、接戦の末僅差で社会党と自由民主連盟による左派・リベラル勢力が勝利した。2004年8月、内閣改造をめぐる与党内の対立からメッジェシ首相が辞任、ジュルチャーニ首相が就任した。

(3)2006年の第5回総選挙では、連立与党の社会党及び自由民主連盟が合計で過半数を維持し、体制転換後初めて二期連続政権が誕生した。第二次ジュルチャーニ政権は財政赤字削減を最大の課題とし、行政改革や医療改革、教育改革等に精力的に取り組んだが、国民の痛みを伴う緊縮政策に国民の不満は高まった。折しも同年9月に首相の失言をきっかけに各地で首相辞任を要求するデモが発生、10月の地方選挙では与党が大敗した。また、2008年3月に行われた国民投票では改革の根幹であった「入院費」「受診料」「授業料」の導入が白紙に戻る等、改革は行き詰まりを見せた。

(4)国民投票後、与党内で改革の進め方を巡る対立が深まり、2008年4月、自由民主連盟は連立を離脱、同年5月からは社会党の単独少数与党政権となった。2008年秋、世界的金融経済危機の直撃を受け、IMF等から総額200億ユーロの融資を要請する事態となり、2009年3月にはジュルチャーニ首相が辞任、同年4月、ビジネスマン出身のバイナイ首相を中心とする危機管理内閣が発足した。

(5)2010年4月の総選挙では、フィデスが圧勝し、8年間に亘った社会党政権に終止符が打たれた。また、深刻な経済危機と社会不安を背景に、貧困層や地方住民の支持を得た極右政党ヨッビクが躍進し、社会党に次ぐ勢力となった。国会総議席の3分の2以上を単独で有するフィデス政権は、国会議員定数の削減など直ちに様々な重要法案を可決する等、精力的に改革を推進する姿勢を見せており、最大の課題である経済立て直しへの取り組みが注目される。


1990年:ハンガリー民主フォーラム・独立小農業者党・キリスト教民主国民党政権(中道・右派)

1994年:社会党・自由民主連盟政権(左派・リベラル)

1998年:フィデス・独立小農業者党・ハンガリー民主フォーラム政権(中道・右派)

2002年:社会党・自由民主連盟政権(左派・リベラル)

2006年:社会党・自由民主連盟政権(左派・リベラル)

2008年:社会党政権(左派)

2010年:フィデス・キリスト教民主国民党政権(中道・右派)

外交・国防

1.外交基本方針

(1)体制転換以後、ハンガリーは一貫して「欧州への回帰」を最大の外交目標として掲げ、1999年3月にNATOに加盟、また1998年3月からEU加盟交渉を開始し2003年4月に加盟条約に調印、2004年5月にはEU加盟を果たした。

(2)近隣諸国との関係では、ルーマニアに約150万人、スロバキアに約50万人、セルビアに約30万人等多くのハンガリー系少数民族が居住している。2010年5月、国境外ハンガリー系住民にハンガリー国籍を与えるための法改正を行い、主にスロバキアとの軋轢が高まっている。他方、地域の安定のため、西バルカン諸国のEU・NATO加盟を積極的に支援、また、チェコ、ポーランド、スロバキアとはヴィシェグラード4か国(V4)協力の枠組みで共通の利益推進に努めている。

(3)NATO加盟後、イラク(撤退済み)やアフガニスタン、コソボなどへ部隊・要員の派遣を実施。2011年前半にはEU議長国に就任予定。

2.軍事力

(1)予算 2,910億フォリント(2009年、ミリタリーバランス2009)

(2)兵力 25,207人(2008年、ミリタリーバランス2009)

経済

1.主要産業 機械工業、化学・製薬工業、農業、畜産業

2.GDP 1,242億ドル(2009年、IMF)

3.一人当たりGDP 12,386ドル(2009年、IMF)

4.経済成長率 -6.3%(2009年、中央統計局)

5.物価上昇率 4.2%(2009年、中央統計局)

6.失業率 10.0%(2009年、中央統計局)

7.総貿易額 1,150億ユーロ(2009年、中央統計局)

(1)輸出 595億ユーロ(2009年)

(2)輸入 555億ユーロ(2009年)

8.主要貿易品目

(1)輸出 機械、輸送機器、工業製品

(2)輸入 機械、輸送機器、工業製品

9.主要貿易相手国

(1)輸出 ドイツ(25.7%)、イタリア(5.7%)、フランス(9.4%)(2009年、中央統計局)

(2)輸入 ドイツ(25.1%)、ロシア(7.2%)、中国(6.4%)(2009年、中央統計局)

10.通貨 フォリント(HUF)



さて続き。

ここからは、メトロに乗ってオクトゴン駅Oktogonまで行き、日本人経営の宿Andante Hostelを目指します。

今回はブダペストで歯科医を紹介してもらうために、この宿にお世話になることにしました。

レセプションがある建物は大半がドミトリー、私たちが滞在することにしたのは別棟のプライベートルーム(40EUR/室)。


吹き抜けのマンション最上階5階に部屋があります。
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テレビ、バスルーム、WIFI付。
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これはリビングとキッチン。もう一部屋あるプライベートルームのゲストと共有です。
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さあ、荷物を置いて早速向かうは『中央市場』
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地下一階地上2階の体育館のような巨大な市場です。
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アルバニア、マケドニア、セルビアを旅をしてきて、その食のレパートリーが少ないのでちょっと不満がたまっていました。(イランほどじゃないけれど。。。)

キッチンの付いている宿だと、自分達で好きなものを調理できるので問題ないのですが、外食となると、これらの国で食べることができるのはピザ、ミートパイ、ハンバーガー。本当にこれだけ。

そして家庭料理といえば『パプリカ・・・』

あるときセルビア人男性に『この国でハンバーガーとピザしか食べていないのだけど、名物料理ってナンなの?』と尋ねたことがありました。

するとその答えは『パプリカ・・・』

またパプリカか!!!主食はパプリカなんか!!!

ブダペストではキッチン付の宿に泊まることができたので、『さぁ、好きなものを好きなだけ食べるぞーーー』と息巻いて市場に潜入です。

通貨はハンガリーフォリント、1フォリントHUF=0.38円です。

肉屋にはフォアグラ様がこんなにたくさん、ハンガリーといえばやっぱりフォアグラだよね。
今回ブダペストにやってきた目的は2つあり、1つは歯医者、2つめは『フォアグラ』を調理すること(笑)
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鴨のモモ肉とフォアグラ、山のような野菜を購入!
フォアグラは4900HUF/キロのもの。安いなぁ!
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ダリオが血管をとったり、胆汁をとったりと丁寧に下処理して、小麦粉をまぶして焼いたフォアグラと鴨のロースト。
外はカリっと香ばしく、中はトロトロ、美味しい~。
鴨ロースを日本で調理するときは、冷凍品の鴨肉を築地で買っていました。生肉を調理するのはここハンガリーでがはじめて。肉から甘~い木の実のような薫りがして美味しい♪
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あとはサラダを何種類かつくって、モリモリ食べました。満足だな~。

食べるだけで終わったブダペスト一日目なのでした。
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ノビサドお散歩&スボティカへの移動

ノビサドの宿は1泊でチェックアウトしてお散歩スタート。


街全体がこんな風に可愛らしい感じでまとまっています。
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朝ご飯を食べようとカフェに座るも、なぜかビールを注文。
マケドニアもセルビアも、昼間からカフェでビールを飲んでいる人が大勢いて、この国の人達はちゃんと働いているのだろうかと心配になります。(と、人のことを心配している場合じゃないけどね)
昼間も飲酒、なのに真夜中も街中賑やかで、たくさんの人々がビールをグビグビ。まるで水代わりです。
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大きな広場。
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なんだかノビサドは私たち好みの街ではないなぁ。
ということで、バスに乗って鉄道駅にやってきました。
ノビサドから夜行列車でハンガリーのブダペストに行こうと思ったのですが、チケットの値段を問い合わせると40EUR/名とちょっとお高め。
駅のすぐ横のバスターミナルまで行くと、ハンガリーまでの国際バスはないものの、国境の街スボティカSuboticaへのバスが頻発していることがわかりました。しかも運賃は820RSD/名、安い。
国境の街まで行き、そこでゆっくりと眠り、明朝ハンガリーに入国することにしました。
そしてバスは17:30出発。
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2時間後、無事にスボティカのバスターミナルに到着。

翌日のハンガリー・ブダペスト行きのバスチケットを購入しました。13EUR/名。

さて、スボティカの地図を持っていません。とりあえず街の中心地に行きましょう。と、遠くに見える教会目指して歩きます。

街の中心に着くと、看板に地図が掲示されていました。

まずは宿探しですが、ロンリープラネットには住所だけが記載されているたった一件のホステルがあるだけ。

が、ホステルのある通りが地図上にまったく見つからない・・・

困ったなー。。。わからないときは人に聞け。

ということで通りすがったセルビア人男性に声をかけ、道を尋ねてみることにしました。

するとなんと、その男性は私たちが探しているホステルのすぐ近くに住んでいて、今自宅に帰るところだから、連れて行ってくれるというではありませんか!ありがたい~。

おまけに彼も明日ブダペストに行く用事があり、私たちと同じ時間のバスに乗るそうです、びっくり!!


親切な彼のお陰で辿り着いたHostel Bosa Milecevic
なんかホテルらしからぬ雰囲気、変だなぁと思ったら、なんとここは学生寮でした(笑)
学生寮の最上階の数部屋を、旅人に開放しているそうです。
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シャワー、トイレ共同。ですが今夜のゲストは私たちだけ。
リネンはホテル並にパリっとアイロンされていて、タオルはネーム入りのフカフカ。
シャンプーとトイレットペーパーもついています。
この素晴らしい快適さで、なんと819RSD/名!!
こんな安くて快適な宿があるのなら、もうちょっといてもよかったかな・・でも明日のチケットは購入済み・・
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この階段に廊下。懐かしい学校の風景。
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荷物を置いてひと段落。街の中心地にやってきました。
するとなんだか人がたくさんいてお祭りがやっている!
エスニックダンスフェステバルのようで、スペイン舞踊やコロンビアダンスが盛大に披露されていて、大勢の観客で大盛り上がりでした。
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レトロなピザスタンドや、綿飴屋が並びます。
私たちは屋台で生ビールを買いグビグビッ。80RSD/杯。
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こんなかわいいポップコーン屋。そして公園では子供達が夜遅くまで元気に遊びます。
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こじんまりとした落ち着いた街スボティカ。なかなかいいぞ。

もっと夜遅くまでお祭りを楽しみたいのですが、明日のバスは早朝7:00出発。快適な宿に戻り、たっぷり眠りました。

ベオグラードからノビサドへ

スコピエからバスに乗り、国境を越え早朝6:30にセルビアの首都ベオグラードに到着しました。

マケドニア-セルビアの国境審査ですが、ポリスがバスに乗り込んできてパスポートを回収し、スタンプが押されて返却されるだけ。バスから一歩も外に出る必要がなく、とてもラクチンでした。

ここでちょっとセルビア基本情報を予習(外務省HPより)

国名:セルビア共和国(Republic of Serbia)


一般事情

1.面積 77,474平方キロメートル(北海道とほぼ同じ)

2.人口 735万人(2008年、世銀統計)

3.首都 ベオグラード(人口160万人)

4.民族 セルビア人(83%)、ハンガリー人(4%)等(2002年国勢調査)

5.言語 セルビア語(公用語)、ハンガリー語等

6.宗教 セルビア正教(セルビア人)、カトリック(ハンガリー人)等

7.国祭日 2月15日(国家の記念日)

8.略史

年月 略史
6~7世紀 セルビア人等スラブ系民族がバルカン半島に定住。
11世紀 セルビア王国建国、14世紀のドゥシャン王の時代に大いに栄える。
1389年 オスマン・トルコに敗北し、その支配下となる。
1878年 ベルリン条約によりセルビア王国の独立承認。
1918年 第一次世界大戦後、「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」(後、ユーゴスラビア王国)建国。
1941年 第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによる占領。ユーゴスラビア王国消滅。
1944年 「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」(6共和国で構成)の1共和国となる。
1992年 ユーゴ解体の中で、モンテネグロとともに「ユーゴスラビア連邦共和国」を建国。
1999年 コソボ紛争により、NATO空爆を受ける。コソボが国連の暫定行政下となる。
2003年 「セルビア・モンテネグロ」に国名変更。
2006年 モンテネグロの独立(6月)により、「セルビア共和国」となる。
2008年 コソボがセルビアからの独立を宣言(2月)。

政治体制

1.政体 共和制

2.元首 ボリス・タディッチ大統領(2004年6月就任、2008年2月再任。任期4年)

3.議会 1院制(定数250名)

(構成)(2008年5月選挙。任期4年) 政党名 議席数
民主党連合 102議席
セルビア急進党 78議席
セルビア民主党連合 30議席
セルビア社会党連合 20議席
自由民主党 13議席
ハンガリー系連合 4議席
諸派 3議席

4.政府

民主党連合、セルビア社会党連合を中心とする親EU派の連立政権

首相:ミルコ・ツベトコビッチ(2008年7月就任。任期4年。)

5.内政

 現政権は、EU加盟を最優先課題とし、国際社会との協調及び経済改革等に取り組んでいるが、旧ユーゴ国際刑事裁判所への協力問題(セルビア内に潜伏中とみられる戦犯容疑者の同裁判所への送還)、コソボ独立問題(2008年2月、セルビアからの独立を宣言。セルビアはコソボの独立が違法なものとして強く反発。)、国内の民族主義勢力との対立等の課題を抱えている。

外交・国防

1.外交基本方針

(1)EUへの加盟を最優先課題とし、2008年4月、EUと安定化・連合協定に署名、また2009年12月、EUに加盟を申請した。EU側はセルビアの旧ユーゴ国際刑事裁判所への完全な協力をEU加盟プロセスの進展の条件としている。

(2)軍事的中立政策を取りつつも、NATOとの協力関係(PFP:平和のためのパートナーシップ)を進めており、2006年11月、セルビアはPFPへの参加を認められた。なお、国連には2000年11月に加盟。

(3)一方、コソボの独立宣言(2008年2月)に際し、セルビアはコソボの独立を承認した国については自国の大使を本国に帰国させ(同年10月に解除)、また、国連総会においてコソボ独立の合法性について国際司法裁判所の勧告的意見を求める決議を採択させる(同年10月)など、コソボ独立が国際社会に受け入れられないよう対抗措置を取っている。

2.軍事力 総兵力は27,000人(2009年11月現在)

経済

1.主要産業
サービス業(59%)、工業(28%)、農業(13%)(2007年、世銀統計)

2.GDP 429億ドル(2009年、世銀統計)

3.一人当たりGNI 5,950米ドル(2009年、世銀統計)

4.経済成長率 -3.0%(2009年、世銀統計)

5.物価上昇率 8.4%(2009年、セルビア統計局)

6.失業率 17.4%(2009年、セルビア統計局)

7.貿易(2009年) (輸出)83億ドル (輸入)155億ドル

8.主要貿易品目 

(輸出)鉄鋼、野菜、果実

(輸入)石油、天然ガス、自動車

9.主要貿易相手国

(輸出)イタリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ

(輸入)ロシア、ドイツ、イタリア

10.通貨 ディナール

11.経済概要

(1) 2009年のセルビア経済は世界金融危機の影響によりマイナス成長に転ずるなど、低調に推移した。輸出の不振、高い失業率などの課題を抱えている。

(2)セルビアは2009年5月、IMFから約30億ユーロの融資枠の承認を得て公共支出の削減等構造改革に取り組んでいる。なお、世界金融危機により、外資導入の減少等の影響が出ている。

経済協力

1.日本の二国間援助実績

1997年から2008年までの累計総額:約223億円(右累計には独立前のモンテネグロ及びコソボの分を含む。)

無償資金協力:約205億円

技術協力:約21億円

2.主要援助国・援助額(2007年、単位:百万米ドル)

(1)米国(105) (2)ドイツ(78) (3)スイス(47)

二国間関係

1.政治関係

(1)日本は1997年5月20日にユーゴスラビア連邦共和国(セルビア・モンテネグロ)を承認するとともに外交関係を開設した。

(2)日本は2006年6月16日、セルビアがセルビア・モンテネグロを承継することを確認した。

2.経済関係

(1)日本の対セルビア貿易額・品目(2009年通関統計)

 輸出 約11億円 自動車、染料、写真材料
 輸入 約4億円  冷凍果実、ワイン

(2)日本の直接投資:1件(日本たばこインターナショナルによるセルビア国営たばこ工場買収)

3.文化関係

 日本の文化無償資金協力により、セルビアの文化・芸術団体に対して楽器、視聴覚機材、音響・照明機材等を供与。

4.在留邦人数 86名(2009年10月現在)


さて続きです。
まずはバスターミナルからすぐ近くの鉄道駅に行き、ラッゲージルームに大きな荷物を預けました。
そして、セルビア国内の地方都市に行く列車の時刻表をチェックし、ベオグラード散策のスタートです。
散策の結果、ベオグラードってイイネっということになったらば、駅で荷物をピックアップし、ベオグラードに滞在しましょう!
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ベオグラードBeogradは、セルビア共和国の首都で、最大都市。バルカン半島、パンノニア平原の中にあり、ドナウ川とサヴァ川の合流地点に広がっています。

2007年の公式の推計による人口は1,630,000人。

かつてはユーゴスラビア社会主義連邦共和国の首都であり、旧ユーゴスラビア地域で最大の都市でした。

ヨーロッパでも最古の都市の一つであり、考古学的な調査では、同地における人の居住は紀元前6千年紀にまでさかのぼるそうです。

ベオグラード広域都市圏の域内はヴィンチャ文化とよばれるヨーロッパ最大の前史文明の発祥の地だそうです。

町はギリシャ人に発見され、ケルト人によって築かれて命名。ローマ帝国によって都市権を与えられました。

600年代に白セルビア人による定住が始まり、ベオグラードは戦略的拠点として、町は古代より現代までの間に140回にわたって戦いの場となりました。

そして、中世には、東ローマ帝国、フランク人、第一次ブルガリア帝国、ハンガリー王国、そしてセルビア人の諸領主の支配地となりました。

1521年、ベオグラードはオスマン帝国に征服され、オスマン領ヨーロッパの重要拠点として、スメデレヴォ県(スメデレヴォ・サンジャク、Semendire Sancazyacd)の中心都市となります。

ベオグラードはオスマン帝国とハプスブルク君主国に交互に支配され、セルビアの首都としての地位を回復するのは1841年のことでした。

しかし、ベオグラード北部はその後も1918年のオーストリア=ハンガリー帝国崩壊までオーストリアの統治下におかれ続けたのです。

その後統一されたベオグラードは、2006年にセルビアが独立するまでの間、ユーゴスラビア王国、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、ユーゴスラビア連邦共和国、セルビア・モンテネグロの首都を歴任しました。

ベオグラードはセルビアの中で、自治権のある独自の市政府を持つ、独立した地位を有し、17の区に分かれ、それぞれの区は独自の区議会を持っています。

ベオグラードはセルビアの面積の3.6%を占め、セルビアの人口の24%が居住、セルビアの経済活動の中心であり、セルビアの文化、教育、学術の中心となっています。

通貨は、1RSDセルビアディナール = 1.0191169円です。



なんだかカラリとしてお日様のようなマケドニアとはうってかわり、ベオグラードはどんよりと暗い。
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目が落ち窪んだような顔をした人々、猫背で下を向いて歩くような人々、黒やグレーを基調とした服装の人々、こんな人がグンと多くなりました。
商店のショーウィンドーに並んでいるものはマケドニアより今風。
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色彩が暗いです・・・
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市場を発見。海外はトイレが有料のことが多いです。
駅のトイレは20RSD、この市場のトイレは10RSD。大喜びでここのトイレを拝借。
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ブラブラ歩きます。空間は大きいのですが、なんだか寂しい雰囲気をかもしだします。
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レリーフのある建物。
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と思ったら銃弾の痕。NATOによるものでしょうか。
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目抜き通り。ブランドショップが並びます。
そういえばアルバニア→マケドニア→セルビアとバルカン半島を旅してきて、ここセルビアで大きく変化したことは『犬を飼っている人がとても多い』ということ。綺麗にトリミングされ、ちゃんと首輪をされたかわいいワンちゃんを連れている人が大勢いました。
一見暗く見えますが、犬にお金をかけるほど余裕のある階層の人々もたくさんいるのでしょうね。
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丘を登ってカレメグダン公園にやってきました。
初老の男性達がくつろいでいます。この光景はどこの国にいっても同じ(笑)
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カレメグダン要塞に到着。どの帝国の支配下にあるときも常に戦略上重要な拠点となった要塞です。
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要塞に敷地内には軍事博物館があり、本物の戦車や大砲がズラリと並びます。
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戦車って外観が大きいのですが、人が乗る部分は驚くほど狭い。。。
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要塞からドナウ川を眺める。案外汚い川だ。
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再び街をブラブラ。
ベオグラードの鳩って、その街並みと似て煤けた鳩だらけ。すぐ横には銃弾の痕・・
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トラムやバスが縦横無尽に走ります。乗りこなせたら、とても便利なのだろうなぁ。
なんて悠長なことを言っている場合ではなく、トラムの後ろの建物がボロボロなのがわかりますか?
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これはアライド・フォース作戦Operation Allied Forceにより空爆された建物。
アライド・フォース作戦とは、北大西洋条約機構 (NATO) 加盟諸国がコソボ戦争中に実施した航空攻撃を主とする作戦のこと。ユーゴスラビア連邦共和国の首都であるベオグラードやコソボ、モンテネグロの軍事施設に限定された攻撃でしたが、NATOはセルビア系による民族浄化など不法行為を根拠に、しだいにユーゴスラビアの全域を攻撃の対象とするようになりました。
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NATOの目的は、当初からコソボのアルバニア系住民をユーゴスラビアの武装警察や民兵から保護し、コソボの自治権を奪還させることでした。アメリカ合衆国は会談期限が切れるまでに合意に達しなかった場合の武力行使を示唆し、これを支持するイギリスを中心としたNATO加盟諸国はイタリアとマケドニア共和国に軍を展開させました。1999年3月15日にパリで行われた2度目の和平交渉が行き詰ると、NATOは攻撃を決定したのです。
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しかしユーゴスラビアが和平交渉において、合意文章に調印しなかったのには理由がありました。
それは、和平交渉の期限切れる直前にアメリカが提出した付属文章B (Annex B) の存在です。
その内容は、「コソボのみならずユーゴスラビア全域でNATO軍が展開・訓練でき、なおかつ治外法権を認めよ」という、ユーゴスラビアの占領化を意味するようなものであったのです、アメリカらしい・・・。
空爆終了後、このアネックスBの存在が公表され、ドイツなどではメディアに公開されなかったことが問題視されました。そもそもNATOの中でもアメリカとイギリス以外は空爆に消極的、又は否定的だったといわれています。

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日本へのハル・ノートもそうですが、相手が到底呑めないような無理難題を突きつけて、逆らうようなら実力行使。
いつものことですがジャイアンの力技のあとをここでも見ることが出来ました。
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さて午前中の散策の結果、ベオグラードからノビサドNovi Sadoという地方都市に移動することにしました。
11:40ベオグラード発の電車、運賃は430RSD/名。
車内はガラガラ。でも食堂車まであります。
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定刻どおり発車、ドナウ川を渡ります。
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橋はレトロで味がある。。
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さようならベオグラード!
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窓から外を眺めると、、センスの悪い建物が並ぶ。
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でもほんの10分ほど走ると、こんなのどかな景色に。
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セルビアの田舎の風景をどうぞ!!
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この橋は、列車と自動車の兼用。
自動車の長い列が、列車が通り過ぎるのを待っています。
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13:20ノビサドに到着。
地図も何もないので、中心地のインフォメーションセンターに到着し宿を紹介してもらいました。
今宵の宿は、Hostel Sova バスルーム、テレビ、Wifiつきで3400RSD/室。
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夜の街を散策。
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ベオグラードとは違い、華やかで近代的なカフェが並びます。
ノビサドには、戦略上重要なドナウ川の橋、石油産業があるので、コソボ紛争の際に激しい空襲を受けました。
全体的に街が新しいのはそのせいでしょうか。
宿のオーナーは『橋がなくなったから、船でドナウ川を渡っていたんだよ』とおっしゃってました。
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スコピエへ移動

マケドニアの首都スコピエに移動した日のお話。

朝7:45にホテルをチェックアウト。
街のレトロな遊園地や商店を眺めながらテクテクとバスターミナルを目指します。
東欧の遊園地は、古くて雰囲気があり一見とても素敵です。
でも実のところかなりの老朽化が進んでおり危険なのだそうです。確かに実際に見てみると納得。
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バスは9:00にビートラを出発、雄大な景色を眺めながらスコピエへと向かいます。
バスの旅は、その国の人々や暮らしを間近に見ることができるので大好き。
それに乗り降りする地元の人々を眺めるのも楽しいしね♪
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12:30にスコピエに到着しました。大きく無機質なバスターミナル。
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以下スコピエ情報です。(Wikipediaより)

スコピエは、ヴァルダル川沿いにあるマケドニア共和国の首都。

人口506,926人(2004年)、面積1,854 km²。

古代ローマ時代に建設され、スクピ(Scupi)の名で知られました。

その後東ローマ帝国に引き継がれるがスラヴ人の侵入と定住により帝国の実質的支配は及ばなくなります。

10世紀にはブルガリア帝国の領土となり、同世紀末にはオフリドと共に「西ブルガリア王国」ないし「マケドニア王国」と呼ばれる地方国家の主要都市となりました。

1018年に東ローマ帝国領に再併合され、その後は帝国の混乱に伴いブルガリア、イピロス専制公国、ニケア帝国などに次々と占領されます。

13世紀にはセルビアの支配下にはいり、スコピエにおいてステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが1346年「皇帝」として戴冠し、彼の帝国の首都もここに置かれました。

1392年から1912年にかけてオスマン帝国の支配下に入り、ユスキュブという名で呼ばれ繁栄しました。マザー・テレサがこの町でアルバニア人の娘として生まれたのは、この時代のことです。

1913年にセルビアに併合され、第一次世界大戦後にユーゴスラヴィア王国の一部となります。

第二次世界大戦中はブルガリア王国の支配を受けたが、1944年にマケドニア人民共和国が成立すると(ユーゴスラヴィア連邦の一共和国を形成)その首都となりました。

そして1991年、マケドニア共和国の分離独立に伴い改めて独立国家の首都となり現在に至ります。

地震の多い土地で、518年、1555年、1963年と壊滅的な被害を受けたが、そのたびに復興しました。

1963年の地震は死者1,100人、負傷者4,000人を出し、中心市街は壊滅したのですが、1966年から72年にかけて丹下健三(日本人!!)の都市設計による再建事業が行われ、ビルの立ち並ぶ近代都市へと生まれ変わりました。
→なんかセンスない街並みだなと思ったら、日本人のデザインだったんだ・・がっかり。


バスから眺めたスコピエの街並みも、なんだか風情がなくてつまらなそう。

ターミナル周辺を散歩してみたけど、何も見るものがないかなという印象。

地震で破壊してしまったせいでしょうか、古い建物は見当たらず新しい建物ばかり。

良さそうな街だったら是非1泊しようと思っていたのですが、わざわざ泊まる必要もないかも・・・

ということで、FUDEKSというバス会社で、セルビアの首都ベオグラード行き24:00発の夜行バスチケットを購入しました。チケット代は1300MKD/名。

『なんだかスコピエは来る必要がなかったね~』なんてテンション低めの私たちだったのですが、ここで親切な人や印象深い人に出会ったりすると、つまらない街の印象も一転『あの街では○○さんっていう素敵な人に出会ったね~』という素晴らしい思い出の街に一変したりするもの。

私たちにとって退屈な街スコピエを思い出の地にしてくれたのは、バスチケットを購入した旅行会社のマケドニア人男性オーグネンさんでした。(オーグネンは『火から生まれた者』という意味だって、かっこいいね)

最初は、私たちの乗るバスはベオグラードの何処に到着するのかという事務的な質問をしていたのですが、そのうちオーグネンさんはゆっくり話そうとオフィスに招いてくれたのです。

彼は、大学で地質学を学んだそうで、マケドニアの各地域の特色、地形、気候などを丁寧に説明してくれました。

私たちは、マケドニアは山に湖といった観光資源に恵まれているのに、何故あまり観光業が盛んではないのかと思っていました。もちろんユーゴスラビアから独立し民主化されて時が浅いという理由もあるかと思います。

これをオーグネンさんに聞いたところ、マケドニアには『観光庁』がなく、観光部門のような小さな組織があるだけなのだそうで、まだまだPR不足なのだそうです。

オーグネンさんいわく、マケドニアは気候に恵まれていて1年のうち345日は晴天だそうです。

そしてこの気候が最もよく作用するのが『葡萄』、そしてその葡萄からとても美味しい『ワイン』ができるのだそうです。

このマケドニアワインを観光や産業に生かせたらとおっしゃっていました。

私たちは、マケドニアのワインがとても美味しいということを事前に下調べしていたので、毎日1本購入して楽しんでいました!

実際深みがあって美味しく、しかもお手ごろ価格。

このことをオーグネンさんに話すと、とても嬉しそうな顔をしてくれました。

彼は古いワインを収集しているそうで、『古くて美味しいワインを飲むと、神に出会ったような気分になるよ~』と恍惚とした表情で語っていました。

2時間ほどオーグネンさんと過ごしお別れ。『次にマケドニアに来たときは僕が一週間無料でガイドをするよ!』と言ってくれました。


バス出発まで、WIFIフリーの喫茶店で延々と時間つぶし。
そして24:00、定刻通りにバスは出発。今夜は国境越えです。
この国際バスですが、ドリンク&お菓子サービスありの快適バスでした。
サービス満点のトルコのバス会社が、このあたりまで進出しているので、このくらいのサービスをしないと競争についていけないのかな?
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これでマケドニアともお別れ。

大勢の親切な人、美しい自然、とても素敵な国でした。

近い将来、その素晴らしい観光資源が広く認知されて、たくさんの外国人が訪れる国になるのではと思いました。

また来たいな~。

マケドニアの歯医者&ヘラクレア遺跡

ビートラで歯医者とヘラクレア遺跡に行った日のお話し。


歯医者。普通の民家です。
そして約束の時間にインターホンを鳴らしても誰もいないし、鍵も閉まっている・・
待っている間、アメリカに住んでいるというマケドニア人女性と話しました。
この国に外国人がいることはとてもunusalなんだと言っていました。
そんなこんなで、15分後、歯科医が遅刻して登場。
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そして、治療室に入った私たち、そこで見たのはまさに『昭和50年代の歯医者』(汗)

棚の上には、硝子やプラスチック製の瓶に入った液体がズラリ。そしてアナログな器具。

昔の日本の歯科医って、よく銀歯を『コンコーン』と器具で叩いたのを覚えていますか?

今どきそんなことする歯科医は日本にはいない・・・でもこの懐かしい行為はマケドニアでは健在。

歯科医は、患者ごとにグローブを取り替えている様子だけれども、なんせそのグローブのまま、しょっちゅう鳴る電話をとったり、ボールペンで書いたり、書籍を触ったり・・・

グローブ替える意味ないじゃん(笑)

そして歯科医はおもむろにダリオの口の中をのぞき、器具でグサグサっと虫歯をほじってみたり、グリグリっと削ってみたり。痛いってば。

一連のグリグリやグサグサッで虫歯の状況をチェックして歯科医が言うには、治療には3回通院する必要があるそうです。

マケドニアは居心地がいいし、滞在費用も安いし、日程的には無理ではないのですが、レントゲンも撮らないし(もしかして撮らなくても、腕利きなのでこれくらいは経験から判るのかもしれませんが)、旧式な治療方法に怯えた私たちは、応急処置を施してもらっただけで『やっぱりマケドニアでの治療は時間がかかるみたいだし、日本で治療をすることにする!!』と言って宿に逃げ帰ってきました。

Jelenaの紹介のお陰で今日の診療費は無料でした。恐かったけど、有難いです。感謝、感謝。


恐怖の歯科医院から脱出し、ほっとしたらお腹がすいた。
朝ご飯はカフェでミートパイ、サクサクジューシー美味しい。
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歯科治療はナシになったのでビートラにはもう用がありません。
バスターミナルに行き、明日9:00出発のスコピエ行きバスチケットを購入しました。440MKD/名。
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さて、せっかくなのでビートラで最も観光客が訪れるヘラクレア遺跡に出掛けました。
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看板があったけど、なかなか着かない・・・こんな田舎道を延々とトコトコ。
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着いた!!ヘラクレア遺跡です。
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ヘラクレアは、紀元前2世紀から4世紀にかけて、古代マケドニアのアレキサンダー大王の父フィリポスニ世が築いた街。

ですが、その後はローマに征服され、現在残っているのは、そのローマ時代の遺跡であり、古代マケドニア時代の遺物はその下に埋まっているそうです。

ローマ時代、ヘラクレアはアドリア海へと至る街道沿いの街として、バルカン半島におけるに重要な街となったのですが、ビザンツ帝国時代の518年に大地震によって壊滅的な打撃を受け、そのまま再建されることはありませんでした。

当時の街の中心地のみが、このヘラクレア遺跡として残っています。


入場料100MKD/名。カメラ撮影料300MKD/台←高すぎ。

あまりの撮影料の高さに、私たちは係員に文句を言いましたが、後からやってきたデンマーク人夫妻も同様にシツコク文句を言ってました。

料金は係員が決めているわけではなかろうに、矢面にたって気の毒に(笑)

歴史的な重要性などの詳しいことは私たちにはわからないですが、視覚的には、はっきりいってパっとしない遺跡・・・。
出土品も展示してありましたが、他国のローマ遺跡と比較すると、なんとも貧弱な内容でした。
いやいや、せっかくやってきたけど、ただ暑いだけだな。
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床一面に描かれたモザイク。
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これらのモザイクが見学できるのは4月から10月。
天候の悪い日は、保護のために砂がかけられているそうです。
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遺跡でワンコに出会う。服従のポーズ。
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遺跡を見学した後は、ビートラの旧市街に行きました。こちら街の中心広場。
クロックタワー、オスマントルコ占領時に築かれたモスクが2つ。
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これらのモスクは現在は宗教的役割はなく、ギャラリーなどとして使用されています。
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その帽子いいねぇ。
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この辺りは旧市街、物乞いがチラホラ。
物乞いをしている人は、肌が少し浅黒くマケドニア人ではないようです。
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ショッピングを楽しむ人達も。
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市場を発見。
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マケドニア人の大好きなパプリカ。
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かわいい看板!
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今日もよく遊びました。

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ダリオ&ハニコ

Author:ダリオ&ハニコ
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