Vagabond Shoes

Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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シリア入国

さて、シリアに向かおうと、イソイソと宿を出た我々。目指すは街中にあるバス会社の集まった広場です。

ここから郊外のオトガルへとセルビスが出ています。

前日にバス会社でタイムスケジュールを確認。8:30、9:30、11:30と午前中に3本のバスがあり、セルビスはその1時間前に広場を出発することを教えてもらいました。

チケットは当日でOKというバス会社のオジさんの話を信用して張り切って広場に行ってみると、バス会社はどこも軒並み休業状態、しばらく待ちましたがセルビスもやってくる様子がありません。やれやれ。

仕方が無いので、ドルムシュ(市バス)に乗って、自力で大きなオトガルに行くことにしました。
Mosaic Hotelの正面のバス停から17番のドムルシュを拾い、オトガルへと向かいます。乗車賃は1TRY/人。
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20分ほどでバスはオトガルへ到着。OZHANというバス会社で、8:30発アレッポ行きのチケットを無事購入。乗車賃は10TRY/人。
余っている手持ちのトルコリラは、オトガルの両替商(チャイ屋)でシリアポンドに全て両替えしてしまいました。
1シリアポンドSYP=約2円です。
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そしてアンタクヤを出発し、10:00過ぎに国境に到着。まずは、トルコのイミグレーションで出国手続き。

バン!とあっさりスタンプを押された跡は、再びバスに乗り込み、シリア側の国境に移動します。国境には免税店や銀行もあり、わりと和やかな雰囲気でした。

ちなみに国際バスのドライバーと車掌ですが、乗客がちゃんと手続きを終えたかなんてまったくチェックしていませんし、出発前に乗客の人数を数えることもありません。。

モタモタしていると、あっさり置いていかれます。しかも預けた荷物は載せたまま持っていかれます。

ベトナムとラオスの国境を越えるときも、オージーやスウェーデン人がアライバルビザ取得に手間取っている間に、ローカルを載せたバスはさっさと出発。実はちょっと先にある食堂で昼食をとりながらバスは待っていたのですが、我々外人グループで一緒にバスまで歩いたことを思い出します。

そんなわけで国際バスの利用時は緊張するので、あまり使いたくありません・・

案の定、今回も免税店で買い物をしていたトルコ人のおっちゃんが置いていかれそうになっていました。



さて、再びバスに乗り数キロ離れたシリアのイミグレーションで入国手続き。

私たちはシリアのビザをとっておいたので、簡単に手続き終了。

あとはバスのトランクに預けた荷物をポリスがチェックして、一連の手続きは終了。


シリアのイミグレーションから見た景色。本当は国境の写真を撮るのはタブーです。コッソリ撮りました。
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そして12時過ぎ、アレッポのガレージュ(シリア風バスターミナルの言い方)に到着。


SAMIR HOTELにチェックイン。
衛星テレビ、FAN、ホットシャワー、トイレ、冷蔵庫、ベランダ付きで800SYP/ツイン。
トルコに比べてずいぶん物価が安くなりました。
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ちょっとここでアレッポ情報。

アレッポ(Aleppo(Halab)、)は、トルコ国境近く、シリア北部にある市及び県であり、ダマスカスに次ぐシリア第2の都市。

アラブ語では「ハラブ」と呼ばれ、「新鮮な乳」という意味だそうです。

アレッポはシリア地方でも最古の都市の内の一つで、古代にはハルペ(Khalpe)の名で知られ、古代ギリシア人にはベロエア(Beroea)の名で知られユーフラテス川流域(メソポタミア)と地中海の中間に当たる戦略上の要地でした。

CITADEL(アレッポ城)とスークを中心とした市街は、1986年に世界遺産に登録されています



では、続き。
街中で目に付くのはアサド大統領。
タイは街中プミポン国王、イランはホメイニ師、トルコはケマル・アタチュルク、そしてここシリアはアサド大統領。
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お腹が空いたね~、とファラフェルをゲット、15SYP。コーラも一缶15SYP、トルコの半額になりました。
ここのファラフェル屋のおっちゃんは、チーズやキュウリを味見させてくれて、チャイもご馳走してくれました。
シリア人はとても親切。
イラン人のように『俺が俺がっ』的な強引さがなく、ちょっと控えめで押さえ気味の親切が、とても心地よいです。
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アレッポの渋滞も酷い・・・排気ガスも充満しています。インドより全然マシですが。
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魚屋さん、ピチピチと新鮮な魚が並んでいました。
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この感じはイランのヤズドを思い出す。
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アルメニア教会 Armenian Cathedral of 40 Martyrsに入ってみました。
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中庭には、アルメニア人虐殺のメモリアル石碑がありました。
(トルコは否定していますが、多くのアルメニア人がトルコ政府に虐殺されました。)
イラン・エスファハーンのアルメニア教会に行ったときも、悲惨な写真をたくさん見ました。


おっと、教会内部では洗礼式の最中でした。
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係りのお爺さんと洗礼を受ける子供の御祖父さんが、中に入って見てもよいと言ってくれたので、ちょっとおじゃま。
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アルメニア人といえば、日本マクドナルド創業者の故藤田田氏による次のような言葉があります。

『商売が巧いとされる華僑3人が束になっても、1人のインド人には勝てるかどうか。そのインド人が3人束になっても、1人のアラブ人と同じぐらい。そのアラブ人が3人束になっても、1人のユダヤ人には敵わない。しかし、そのユダヤ人が3人束になってかかっても、1人のアルメニア人には敵わない』

イランでも、アルメニア人の商売上手っぷりは、品揃えの垢抜けかたからも明らかでした。

エスファハーンのアルメニア人居住区は、イラン人の居住区とは全く異なり近代的、そして豪華な家が並んでいました。

さて、続き。
賛美歌の響く中、何台ものテレビカメラや一眼レフカメラにデジカメ、、、まるでアイドルのように主役の赤ちゃんを撮りまくります。
洗礼って晴れ舞台なんだね、次は結婚式かな??
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かなり遠い親戚や友人までが、大集合するそうです。
古くて由緒ある教会も良いけれど、こうして現役で使用されている教会というのもなかなか興味深くて面白いな~と思いました。
教会内部のたくさんのシャンデリアも、ひとつひとつ細工が異なり素敵でした。
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しばし遊んでもらいました。
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なんだか、この雰囲気、イランにそっくり。
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午後の時間帯は、大部分のお店は長い昼休みをとっていて閉店。スークも閑散としているので、一旦宿に戻りました。
モッツァレラチーズとトマトとハーブのホットサンドをテイクアウト、30SYP。

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夕方お散歩にでかける。
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なんだか中世のヨーロッパ風。この時間帯になると工房も商店も店開き、町はまた賑やかになります。
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夕飯は野菜のシチュー。茄子のシチュー、オクラのシチュー、ピラフ、ナン、ハーブ盛り合わせで合計130SYP。
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ところで、どこの国でもそうですが、歩いていると『××人でしょ?』と声をかけられます。

近頃ダリオは、このバリエーションが急速に増えています。

初期は『日本人?』、『中国人?』、『韓国人?』

3ヶ月ほどたつと、これに『タイ人?』、『フィリピン人?』というのが加わりました。

そして近頃は、『カザフスタン人?』と『アフガン人?』というもの追加。

アレッポの街を歩いていて、何人か聞かれたので日本人だと答えると、『えっ?アフガン人でしょ~?』と言われてしまいました(笑)

ヒゲも髪の毛も伸びて、日焼けもしてきたし、どんどん怪しい風貌になってきているのでしょうか。

毎日見ているハニコには分りません。。
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シリア 基本情報

訪問の前に、とりあえずはお勉強、ということで・・・。

以下外務省HPより転記

国名:シリア・アラブ共和国(Syrian Arab Republic)

一般事情

1.面積 18.5万平方キロメートル(日本の約半分)

2.人口 1,990万人(2007年世銀)

3.首都 ダマスカス

4.人種・民族
アラブ人85%、アルメニア人1%、クルド人10~15%、その他パレスチナ人46.7万人(2010年UNRWA統計)

5.公用語 アラビア語

6.宗教
イスラム教 85%(スンニー派 70%、アラウィ派 12%)
キリスト教 13%

7.略史
年月 略史
1918年 オスマン・トルコより独立
1920年 仏の委託統治領となる
1946年 仏より独立

政治体制・内政

1.政体 共和制

2.元首 バッシャール・アル・アサド大統領(2000年7月就任、2007年5月再任、任期7年)

3.議会 一院制(250議席 2007年4月選挙、任期4年)

4.政府
(1)首相 ムハンマド・ナージー・オトリー(2003年9月就任)
(2)外相 ワリード・アル・ムアッリム (2006年2月就任)

5.内政
 1970年以来シリア大統領職にあったハーフェズ・アサド大統領は、国内少数派(アラウィー派)の出身ながら、巧みな政治手腕(多数派スンニー派の掌握)により長期安定政権を維持したが、2000年6月10日に69歳で死去。その後は、次男バッシャール(長男バーセルは事故死)に政権が平和裡に移譲された。共和政体下にあるものの、実質はバアス党による一党支配。政権の課題は、中東和平及び経済面を中心とした改革の推進にある。政権運営は安定しているものの、改革の速度は漸進的なものに留まっている。

外交

1.全般
 中東和平問題等中東情勢の鍵を握る重要な立場にある。2005年2月のハリーリ・レバノン元首相の暗殺事件以来、米仏による対シリア圧力が強まり、国際社会において孤立してきた。最大の外交課題である中東和平問題については、1991年のマドリッド会議に端を発する現行の中東和平プロセスを支持しており、「平和と領土の交換」原則に基づいた包括的和平の達成が必要であるとする基本的立場を堅持している。バッシャール・アサド大統領は、外交政策については、前大統領の路線を歩んでいる。

2.対イスラエル
 イスラエルとは、過去3回の中東戦争を経験。現在もイスラエルとは対立状態にあり、ゴラン高原を占領された状態。シリアは1991年のマドリッド中東和平会議後、和平を「戦略的な選択」と規定し、安保理決議242及び338、並びにマドリッド和平会議の諸原則に基づく和平の達成(「土地と和平の交換」)を主張。1994年末以来、数回の断絶を挟んでイスラエル政府との間で和平交渉を行ってきたが、2000年3月のジュネーブでのアサド大統領・クリントン米大統領の会談以後、交渉は暗礁に乗り上げている。 2008年5月にシリア及びイスラエル双方が、トルコの仲介により和平交渉を再開したことを発表して以来、これまで4回の間接交渉を行ってきたが、2008年末のイスラエルによるガザ攻撃のため交渉は中断されている。

3.対米
 米は、シリアによるヒズボラやパレスチナ過激派支援などを理由に、シリアをテロ支援国リストに掲載している。特に2003年3月の対イラク武力行使にシリアが一貫して反対したことで、米との関係は悪化。2005年2月のハリーリ・元レバノン首相暗殺事件の翌日、米は在シリア大使を本国に召還。米は、2004年5月以降、国内法「シリア問責法」などに伴う対シリア制裁措置(米国製品禁輸、シリア政府所有航空機の米国内離発着の禁止、米金融機関のシリア商業銀行との取引停止)を実施している。オバマ米新政権発足後、米はシリアとの対話を模索する動きを見せており、2009年3月及び5月にはフェルトマン米国務次官補代行が、6月及び7月にはミッチェル中東和平担当特使がシリアを訪問した。2009年10月には、ミクダード・シリア外務副大臣がワシントンを訪問し米側関係者と会談。シリア高官の訪米は約5年ぶり。また、米は2010年2月、駐シリア米大使を約5年ぶりに指名したほか、同2月にはバーンズ国務次官がシリアを訪問。

4.対イラク
 かつてシリアとイラクは、ともにバアス党政権を戴く対イスラエル強硬派としてアラブ世界内の主導権争いを演じ、イラン・イラク戦争を契機に1980年に両国間の国交を断絶した。2003年のイラク戦争終了後、シリアは、米のイラク占領には正統性がないとして、主権のイラクへの移譲、選挙による正統政府の樹立、外国軍の撤退を訴え、また、国連やシリアをはじめとした周辺諸国の役割を強調してきた。 2004年6月のイラク暫定政権成立以降、シリアは同政権との協力に前向きな姿勢を示し、両国の懸案となっている国境管理問題やイラク資産返還問題につき協議を行ってきた結果、06年11月、断絶していたイラクとの外交関係を四半世紀ぶりに再開した。 2009年8月、バグダッドの官公庁を標的とした大規模なテロ事件が発生。イラク政府がテロ事件に関与した者の引き渡しをシリアに要求したのに対し、シリアは証拠不十分を理由に引き渡しを拒否したことで双方が駐在大使を召還する事態に発展し、以後関係は険悪化している。

5.対レバノン
 シリアは、歴史的経緯からレバノンを特別の同胞国とみなし、1990年のレバノン内戦終結後、推定約1万4千人の軍部隊を駐留させ、実質的にレバノンを支配してきた。その間、レバノン自体も親シリアの政体によって統治されてきたが、2005年2月にハリーリ元首相が暗殺されると、脱シリア支配が国内で声高に叫ばれ、米仏を中心とする国際的な圧力もあって、シリアは2005年4月に軍をレバノンから撤退させた。その後、2008年10月にシリアとレバノンは外交関係樹立を宣言する共同声明に調印し、関係正常化を実現した。

6.対周辺国
 シリアは、レバノン情勢、パレスチナ過激派との関係、イランとの関係などで周辺のアラブ諸国、とりわけサウジアラビア、エジプト、ヨルダンと関係が芳しくない状態が続いてきた。これに対し、イランとは戦略的関係と位置づけて関係を強化し、アサド大統領及びアフマディネジャード・イラン大統領の相互往来などを活発化している。09年に入ってからは、サウジアラビアの呼びかけによりアラブ諸国の和解に向けた動きが進み始めている。また、トルコとの関係は良好で、トルコの仲介によってイスラエルとの和平間接交渉を行ってきた。

7.対欧州諸国
 欧州諸国は、1995年のバルセロナ会議に始まるEU・地中海諸国会議を通じて、シリアとの関係強化のモメンタムを強めた背景もあり、米とは一線を画して主に経済面での協力を進めてきた。特に2003年夏以降、米・シリア関係の悪化とシリアのEU重視の姿勢が相まって、シリア・EU連合協定締結交渉が加速化している。仏はシリアの旧宗主国であり、シリアとの政治的・経済的関係は他の欧州諸国のそれに比べて特に強い。

国防

1.軍事力(ミリタリーバランス 2009年)
(1)予算 14億6,000万ドル(2007年時)

(2)兵力 29万2,600人(うち陸軍21万5,000人、海軍7,600人、空軍7万人など)
  予備役兵 31万4,000人
  兵役 徴兵制度 30カ月

2.国防戦略
 限られた財政事情の中で、イスラエルの潜在的な攻撃に対する防衛能力を維持するとともに、戦略兵器を保持することにより、対イスラエル抑止力の保持に努めていると見られる。シリア軍は、対イスラエル防衛のため、ゴラン正面の防衛陣地に一部の部隊を配置するとともに、ダマスカス周辺に多くの部隊を配置している。


経済(単位 米ドル)

1.主要産業 サービス業48.0%、鉱工業31.6%、農業20.4%(2007年世銀)

2.GNI 350億ドル(一人当たり 1,760ドル)(2007年世銀)

3.経済成長率 6.6%(2007年世銀)

4.物価上昇率 8.6%(2008年IMF)

5.失業率 10.3%(2003年ILO)

6.貿易
(1)輸出 169億5,600万ドル(2008年IMF)

 主要輸出品 石油・石油製品、繊維製品、果物・野菜(2007年シリア中央統計局)
 主要輸出先 伊、仏、サウジアラビア、イラク、トルコ(2007年シリア中央統計局)

(2)輸入 285億2,800万ドル(2008年IMF)

 主要輸入品 石油・石油製品、金属・金属製品、機械類、自動車等の輸送機材、化学製品(2007年シリア中央統計局)
 主要輸入元 露、中国、伊、ウクライナ、サウジアラビア、マルタ(2007年シリア中央統計局)

7.為替レート シリア・ポンド 1ドル=45.5シリア・ポンド(公定レート)(2009年)

8.経済概況
(1)基本的には社会主義的計画経済を維持しながらも、民間資本の導入と規制緩和を中心とした経済政策を採用。近年、緩やかながら外資導入、国営企業民営化、金融・保険分野の民間への開放、証券市場設立等を通じた市場経済への移行努力を続けている。石油生産の減少や天候に左右される一次産業主体の産業構造からの脱却などが課題となっており、観光産業、繊維産業の活性化、外資導入による新規産業創出などを進めている。近年では、湾岸諸国及びイラン並びに中国、インド、マレーシア等のアジア新興国からの投資が増加している。

(2)2004年5 月以降、米国が発動したシリア問責法に基づき、医療品、食料品を除く対シリア禁輸、シリア航空機の国内離発着禁止、シリア商業銀行と米国の金融機関の取引停止、一部資産凍結を内容とする対シリア制裁が発動されているため、この影響が経済に現れている。また、近年では、イラク難民の流入、世界的な食糧価格高騰、政府による燃料費補助金削減等によって価格インフレ問題も深刻化した。特に約100 万人近く滞在するとされるイラク難民の受入等もシリアにとって大きな財政負担となっている。

経済協力(単位 億円)

1.主要援助国 仏、独、ギリシャ、スペイン、米(2007年)

2.日本の援助(2008年度末まで)
(1)有償資金協力 約1,563億円(交換公文ベース)

(2)無償資金協力 約274億円(交換公文ベース)

(3)技術協力 約260億円(JICA経費ベース)

※これまで、電力、農業、医療、水分野等を中心に国民のニーズに基づく援助を実施。有償資金協力としては、電力分野を中心に実施しており、3つの発電所建設事業(電力供給量の約3割に相当)を実施。

二国間関係

1.政治関係
年月 略史
1953年12月 国交樹立
1954年6月 在シリア公使館開設
1958年3月 在ダマスカス総領事館開設(エジプトとの合邦のため公使館廃止)
1962年4月 在シリア大使館となる。(エジプトの合邦から分離独立)
1978年12月 在日シリア大使館開設

(1)日本との二国間関係は伝統的に良好。

(2)日本は、1996年2月から、ゴラン高原に展開するUNDOF(国連兵力引き離し監視隊)に要員を派遣している。現在、合計46名の要員のうち、15名がシリア側のキャンプ・ファウアールにて任務に従事している。

2.経済関係
シリアにとって我が国は重要な輸入相手国であるが、日本への輸出はわずかであり、貿易収支はシリアの大幅な輸入超過。従来シリアに進出する日本企業は商社が中心であったが、2009年現在の進出企業は三菱重工業のみ。

•対日貿易(2008年財務省)
 輸出 約15億円(綿花、石鹸等)
 輸入 約669億円(自動車、一般機械等)

3.文化関係
(1)シリアには、日本語教育機関としてダマスカス大学人文学部日本語学科、ダマスカス大学高等言語学院日本語科、アレッポ大学学術交流日本センターがある。2008年には、第11回日本語スピーチコンテストが開催され、日本語学習者28名が参加した。

(2)日本は、シリアにおいても積極的に日本文化の紹介や普及を行っており、毎年ダマスカスやアレッポなど主要都市において「日本フェア」を実施し、日本文化や日本の街並みや自然を紹介している。

4.在シリア邦人数 216人(2008年10月)

5.在日シリア人数 約200人(2010年)

アンタクヤ

シリアに向かうべく国境近くの拠点となる町、アンタクヤへ向かうことにしました。

ギョレメのオトガル(バスターミナル)にはたくさんのバス会社が並んでいて、どんな町にでも自由自在に行くことができます。

目指すアンタクヤへ行くバスをバス会社に尋ねたところ、60TRY、所要時間は10時間の夜行バス。
値段も高いうえに、どうもバスを何度も乗り換えなければならないし、ルートも遠回り。

ということで、通しのチケットを買わずに、自力でバスを乗り換えてアンタクヤに行くことにしました。


まずは、ギョレメのオトガルでNevsehir行きのミニバスに乗る。料金2TRY/人。
ミニバスは8:30発車。そして15分後、終点まで行かずしてNevsehirの街なかのバス停で下車。
車掌さんいわく、そこからドルムシュ(市バス)に乗ってオトガルに行きなさいとのこと。
ドルムシュ乗車賃1.25TRY/人。
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9:00Nevsehirのオトガルに到着。SUHAというバス会社でAdanaという町までのチケットを購入。
本日3本目のバス、チケット代25TRY/名。
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今日も快適、蝶ネクタイでお給仕をする車掌さん。
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しかもなんとWIFI完備。走行中もメールチェックできるとは。
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バスはいつもどおり田舎道をズンズン進む。岩の横に小さな建物がたくさんある。
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トルコの大地は豊かだ。こういう風景を見ていると、食料不足という言葉は、配分がうまくいっていないことと、投機筋のせいではと思ってしまいます。



13:30Adanaのオトガルに到着。バンコクのバスターミナル級に巨大で立派。
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そしてあっという間に4本目のバスチケットを購入。HATAY NOR TURISM社、Antakyaまでのチケット代18TRY/名。
ちょっとボロいバス、なんか臭いです。そんなことも言っていられず13:34発車。
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地中海を眺めながら走り、16:07Antakyaのオトガルに到着。
セルビスというフリーシャトルバスで市街地まで行きます。
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合計5本のバスに乗り、費用総額は46.25TRY/名、所要時間7:30。

ギョレメのバス会社でチケットを購入するよりも、費用・時間ともにずいぶん節約できました♪満足じゃ~。

トルコでのバスの旅は、バスを降りた途端に、あちこちのバス会社の人達が『何処へ行くんだ?』と近づいてくるので、乗り継ぎにはまったく苦労しません。

さてさて、まずは以下の通り、アンタクヤ情報。

アンタクヤは、昔はアンティオキアという名前で、聖書にも登場する町。

ローマ時代にはローマ、アレキサンドリアに次ぐ3番目に大きな都市でした。

雄大な山々に囲まれた肥沃な平野を流れるアスィ川(オロンテス)に沿った町で、かつてはセレウコス王朝の首都であり、富と贅沢を極め、その繁栄は商業と文化により、ローマ時代まで続きます。

初期キリスト教の時代には、その中心地となり、「クリスチャン」という呼称もこの場所で生まれています。

また、アケメネス朝ペルシアのダレイオス三世と、マケドニアのアレキサンダー大王が戦ったイッソスの戦いの舞台となった場所でもあるとも言われています。

世界史上に何度も登場する由緒正しき町ですね。
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ホテルはDivan Oteliに即決。
エアコン、テレビ、ホットシャワー、ベランダ、ロビーでのWifi付きで40TRY/室(50TRYからの値引後)
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宿からすぐ近くには大きなバザールが。早速探検に出掛ける。
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地元民の生活に密着しています。
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この町一番の見所、考古学博物館Arkeologi Muzeの見学に出掛けました。

ホテルからは徒歩5分、入場料8TRY/人。

ここには紀元2世紀から5世紀にかけてのローマ時代のモザイク作品が多数展示されており、そのほとんどがアンタクヤ近郊やハルビエという地域から発掘されたものだそうです。

それに加え、紀元前8000年頃の出土物から、オスマン帝国時代までの遺物が展示されています。


その前に腹ごしらえ。薄いナンにトマトソースとマヨネーズを塗り、たっぷりの唐辛子と新鮮ハーブを散らし、お肉をクルリと巻いたファーストフード、2.5TRY/本。
お店のオジサンは『私は英語、ギリシア語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、デンマーク語等々』が話せると下手な英語で豪語していました(笑)
各国を旅していて思うのですが、ごく片言しか外国語が出来ないのに『自分は××語が出来るんだ!!!』と堂々と誇らしげに自慢する人が実に多い。
日本人もこれくらいの図々しさがあれば幸せだな~。
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以下、博物館の展示物。
これは三世紀のアンティオキア様式の棺。しつこいくらいに彫刻がなされています。
3人の遺体が埋葬されていたそうで、しっかり3人分の骸骨がガラスケースに展示されていました。
せっかく寝ていたのに、気の毒に・・・
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ガジアンテップで見たモザイクよりも、写実的になりました。
でも逆に強烈なインパクトには欠けているな~、残念ながら。
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子供達の団体がたくさん見学に来ていました。
ちゃんと列になって、お行儀良く見学をしています。
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フルーツも宝石類も、Zeugma遺跡のものに比べると、より細かく描写してありました。
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トルコ人で賑わっていましたが、中年女性の団体は、さして展示物を見ることも無く、でも写真だけは撮りまくり、大声でしゃべって、臭いすかしッぺの残り香をおいて風のように去っていきました。オバチャンは何処でもいっしょだなぁ。
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ヒッタイト王国の神殿支柱の台座です。
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中庭には、粗大ゴミのように棺や壷が置かれている。きっと貴重な発掘物だろうに。
世界有数のモザイク作品ということだったけど、自分の知識が足りないせいか、いまいち???な印象でした。
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今日のご飯はここのお店に決定。両替商とバスのチケット売り場のある通りを挟んで北側の一角にあります。
お父さんと息子さんたちが経営しているお店。
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ピラフ2人前、トマトと豆のスープ1皿、茄子とトマトとグリーンピースの煮込み1皿、ペプシ2缶、パンとハーブの盛り合わせ、合計12.5TRY。
美味しかった~。特に野菜の煮込みの茄子が美味しかった。
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台北 - 2009年のアジア周遊

2009年アジア周遊旅行のお話。

5ヵ国目の台湾到着。

入国後、路線バス乗り場に一直線、無事切符を購入し乗り込む。

走り出してからしばらくして、どうも停留所というものが存在しないことに気づいた。

降りたいところで運転手さんに声をかけ、停めてもらう方式らしい。

信号で停まったすきに運転手さんにダリオがここで降りたいんだと地図を見せながらアピールし、ホテル近くで下車。

台北は日本の地方都市のような雰囲気。

年配の方には日本語が通じてしまうし、繁華街には日本語の看板がかかったお店がいっぱい。

この100年のアジアの歩んできた歴史の結果だ。

そしていつものように食べ歩きに出かける。



ここの立ち食い麺、おいしかった。阿宗麺線というお店。
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台北の市場に潜入。
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ずずっいっと奥に進んでいくと、
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アジアでは日常風景の吊るされる鶏たち。
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台北 かじっていますが、寧夏夜市の屋台で買った揚げパン。ハムと野菜がはさまっていて揚げたて。
すごく美味しいです。
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食べてばかりだったわけではなく、電車と路線バスを乗り継いで、ベタに故宮博物館にもいきました。

美術品は、造りの荒いものもあるけれど、なかなかすばらしいものだった。特に古い清朝家具が素敵。

けれども蒋介石はよくこれだけのものを北京から持ってきたものだと、そんなことに感心してしまった。

ほかの観光名所では、瀧山寺にも行ってみた。

近くの古本屋に、日本統治時代の本や住宅地図やらがあって興味深かった。

なんだか外国にいながら、まるで日本にいるかのような気になってしまう、そんな台湾だった。

さてさて、日本に帰ろう!!

カンボジア4泊、タイ2泊、ベトナム4泊、香港2泊、台北2泊、駆け足のB級グルメを追う旅は幕をとじた。

香港 - 2009年のアジア周遊

2009年5月のアジア周遊旅行のお話。

4ヵ国目、香港到着。

ただの都会だと思って、まったく期待していなかった香港・・・

なのにとても好きになってしまった。

物も食べ物も、最高級のものから激安のものまで、何でも選択可能。

そういう意味では東京だって同じなんだけど、最新のビルとおんぼろビルがミックスしたグチャグチャっぷりが好きになりました。

グチャグチャなのに、街全体に統一感があるのが不思議。



滞在中に通った涼茶スタンド。
咳、喉の痛み等々、症状に見合った漢方茶を飲める。
タイの空港で風邪をひいたダリオ、日々通う。眺めていると老若男女、お客さんが途切れることなくやってくる。
中国といえば薬よりも漢方だもんね。
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香港。この崩れそうなビルがイイ感じ。
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香港。路面電車から。
通りに出っ張っている看板。夜はネオンが灯り、また雰囲気があります。
降りるのを忘れて終点まで行ってしまった。
旧イギリス植民地だけあって、終点には綺麗な競馬場がありました。
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香港の甘味処。亀ゼリーと胡麻ミルクティーがおいしかった。
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香港のお寺。お線香の煙が幻想的。
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香港のお菓子 写真はだいぶ食べちゃった後ですが、外はカリカリで中はしっとり、日本のベビーカステラとは似て非なるもの。美味しい!HK$12(160円位)。並んで買いました。
北角鶏蛋仔 429 Kings Road, North Point, HK
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フルーツたっぷりの亀ゼリー。
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飲茶屋さん『蓮香楼』、写真はイマイチですが今回ではここの飲茶が一番美味しかった。
香港の飲茶屋さんは早朝6時くらいからオープンする。見ているとオジサンお一人様がに多く、皆新聞を読んだり、円卓で相席になった人たちとおしゃべりをしたりして、お茶を何杯もおかわりしてノンビリすごしている。飲茶は香港のサロン文化なんだなぁ。
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市場に潜入。花咲蟹がシーズンでした。どうしても食べたくて、このあと潮州料理屋さんに行きました。
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ダリオ&ハニコ

Author:ダリオ&ハニコ
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