Vagabond Shoes

Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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シタデル地区

カイロの人気観光地『シタデル地区』に行って来ました。

シタデルとは、十字軍を打ち負かしたアラブの英雄サラディーン(ムスリム)が1176年に、対十字軍(キリスト教)の拠点としてモカッタムの丘に建設した城塞です。

サラディーンの死後も建設が進められ、マムルーク朝、オスマン朝、の時代を通して19世紀のムハンマド・アリの時代まで、長い間支配の中枢として機能してきました。

城壁内にはモスクや宮殿もあり、この地区一帯が観光地として開放されています。

メトロSayida Zeinab駅から歩いて町の様子を見ながら向かうことにしました。
エジプトのメトロは1EGP/名(どこまで乗っても同額)

Sayida Zeinab駅の近くにあるモスク、ガーマ・イッサイイダ・ゼーナブGaami' is-Sayyida Zaynab。
ゼイナーブZainabという女性を祀ったモスクなのですが、この女性はシリア・ダマスカスで一生を終えたという説と、カイロで一生を終えた説があり、こちらは後者に基づいて建設されたもの。
シリアの霊廟は既にダマスカスで訪問済み。Zeinab ダマスカス
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ひたすら歩き、シタデルを目指します。あんまり暑いのでちょっと休憩、そんなときはサトウキビジュース!
後に残らない爽やかな甘さで、後味はスイカを連想します。
サトウキビはこんなマシーンで絞ります。
でっかい機械だなー、と思っていたら、絞りたてなのにちゃんと冷えて出てきます。ただでかいだけではなく、そんな機能もあったのかー。
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ガーマ・アフマド・イブン・トゥールーンGaami' Ahmad bn Tuuluun
バクダットのアッバース朝カリフの支配から独立し、エジプトにツゥールーン朝を開いたアフマド・イブン・トゥールーンによって879年に建てられました。カイロに現存する最古のモスクです。
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ガーマ・アフマド・イブン・トゥールーン。外から覗き見る。
なんとこのモスクのアザーン(お祈りの歌)はテープではなく生歌でした。
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ガーマ・スルタン・ハサンGaami' is-Sultaan Hasan。世界最大級のイスラム建築です。
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シタデルへ向かう途中、ローカルの住宅が並ぶ一角を通り過ぎました。
遠めに見えるシタデルの方向を頼りに進むも、この先は行き止まり・・・。
もと来た道を引き返そうと思っていると、住人の女性が自宅の中を横断させてくれ、無事反対側の大通りに出ることができました。
部屋の中に10人くらいの女性と子供が輪になってなにやらおしゃべりしながら座っていました。
皆『こんにちわ~』ととても元気に挨拶してくれましたヨ。
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綺麗に整備された丘を登れば、シタデル地区のチケットオフィス。
はぁ~、暑い。
チケット代は50EGP/名。これで敷地内のモスクや博物館など全ての施設に入場できます。
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ガーマ・ムハンマド・アリGaami' Muhammad Ali
カイロのランドマーク的存在。1857年にイスタンブールのモスクを真似て建設されました。
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靴を脱いでモスクの中へ。こちらは中庭。
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このモスクはランプやシャンデリア、それに天井の細工がとても綺麗。
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天井の細工。派手だけど渋い。
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丘の上からカイロの町を眺める。
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このほか、敷地内にある軍事博物館や小さなモスクなどを見学。

それにしても体中の水分が蒸発するのでは?と思ってしまう暑さ。でもカラリとしているし、日陰に入ると心地よい風が涼しいので日本の夏よりはずっと楽だと思います。
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瓶入りor缶入り

未だイスラム圏に滞在しているのですが、ビールが美味しい日々です。
ここエジプトはトルコと同じく、ややソフト路線のイスラームの為に、街中で酒類を買うことが出来ます。
でも控えめな店構えで、店内が暗いことが多い。

ビールのお供は、エジプトの国民食コシャリ、ラージサイズで5EGP。
パスタとライスとヒヨコマメほか穀類のMIXにトマトソースと揚げオニオンのミックス。炭水化物のオンパレード。
エジプト人は男も女も横にでかい人が多かったのですが、この国民食の影響でしょうか・・・。
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UAE、イラン、シリアと旅をしている最中は、気軽に酒が手に入らないこともあり、自然に禁酒の流れに落ち着いて、飲めないことは特に苦でもなかったのですが、これだけ暑く乾燥している場所に滞在していると、喉をするりと洗ってくれる、冷えた泡の魅力に抗えません。
(上記の国でも全く飲めないわけではなく、UAEでは指定された酒屋やバーで飲むことが出来、イランやシリアでは地下市場で手に入るので、好きな人はムスリムであってもビールやウイスキー、ワインを楽しんでいます。中には日本酒にもとても興味を持っている人もいました)

さて、ビールの瓶入りと缶入りでは、同じブランドでも味が違うものなのでしょうか。

エジプトでメジャーなブランド、ステラビールですが、カイロに来てから初めて缶入りを買いました。
ところが、ダハブで瓶入りを飲みなれた舌には、別のビールかと思うくらい味が違います。
気のせいなのか、体調のせいなのか、不思議に思って、再び瓶入りを買い求めてみると、やはりこちらはダハブで飲みなれた味です。

両者をくらべると、瓶はスムースな味なのに、缶は苦味が強くて(ホップの味というより、何か別の風味がします)、あまり美味しく感じませんでした。
商品の温度も、同じ酒屋の同じ冷蔵庫に入っていた商品なので、変わらないと思われるのですが、どうして味が違うのでしょう。
製造工場が別なのでしょうか・・・うーん。

ネットによれば、缶の製造時に用いられる消毒剤としてのホルマリンが、味に影響するとかしないとか。
昔、酒を飲む場所でアルバイトしていたときに、事情に詳しい先輩が教えてくれたように思うのですが、記憶がおぼろげになってしまっています。

この先、北上するか南下するか考えたり、ルートの情報収集と、滞在費の安さですっかりカイロで沈没しかけています。

こんな風にビールのことが気になるくらいですから、そろそろ出発せねば!!

ピラミッド

エジプトといえばピラミッド

カイロ到着から何日もたって、やっと今日ギザに行ってきました。

行き方は簡単、宿から徒歩でタフリール広場へ。

タフリール広場にあるラムセスヒルトンホテル Ramses Hilton前の道端、カープのところで357番バスに乗れば、終点がギザのピラミッドのクフ王側出入り口。運賃は2EGP/名、快適なエアコンバスです。

私たちは宿を7時に出発し、ピラミッド入場開始時刻の8時過ぎに到着しました。

バスを降り、チケットオフィスまで5分ほど歩くのですが、道中『チケット売り場はこっちだよー』とか『こっちに来てーー』とか呼びかける怪しいエジプト人がたくさんいます。
 
久々のウザイ客引きがとても懐かしく新鮮(笑)ですが、無視して真っ直ぐチケットオフィスにむかいます。

ちなみにウザイといっても、そのウザサはインドの1/10程、大したことはありません。

朝が遅いエジプト人、馬やラクダのスタンバイが出来ていなかったから、それほどウザクなかったのかもしれません。早起きは三文の徳だね。

チケット代はピラミッド敷地内エリアチケット60EGP、ピラミッド内部に入りたい場合はそれぞれ別途料金がかかり、一番高いクフ王のピラミッド入場料はなんと100EGPもかかります。

ピラミッドの内部は、暑くてジメジメしていて、苦労して登っても石室があるだけという情報を宿でゲットしていた私たち、料金が高いのもあり、迷うことなく内部はパス!学生パスを持っていれば半額になるので、是非入場してみるとよいと思います。

今日一日を写真で振り返る前に、まずはピラミッドのプチ知識をどうぞ(Wikipediaより)

ここギザにあるピラミッド3基は総称して『三大ピラミッド』と呼ばれ、被葬者は、古代エジプトのファラオであるクフ王、カフラー王、メンカウラー王とされ、墓地遺跡として世界遺産に登録されています。

また、スフィンクスも三大ピラミッドに隣接しています。

ピラミッド建設の目的は多くの説がありますが、代表的なのは『王墓』、または『葬祭用の施設の一部』、ほかにはナイル川の氾濫によって農耕ができない期間に行う「公共事業」で、完成後の用途のためではなく、作ること自体が目的であったという説もあります。

いずれも不確かで、ピラミッドの目的はいまだもって謎なのです。ミステリアス~♪

クフ王の大ピラミッドを頂点としてその後造営規模は縮小し、石材の代わりにレンガを代用したり、石積みの精緻さも劣るなどピラミッドの造営は衰微します。

旧来、ピラミッドの建設は多数の奴隷を用いた強制労働によるという説が主流でしたが、当時の技術力・国力からして奴隷労働なしでも20年程度で完成可能と考えられる点、奴隷を徴用した証拠がないという点から、一部の研究者には疑問を抱かれていました。

近年のピラミッド労働者の村の発掘で、労働者たちが妻や子供といった家族と共に暮らしていた証拠や、怪我に対して外科治療が行われていた痕跡が墓地の死体から見つかり、現在では奴隷労働説は否定されています。

そもそも古代エジプト社会は古代ローマや古代アテナイの社会と異なり、農業や手工業といった通常の生産労働も奴隷労働に依存せず自由身分の農民によって成されており、人口の少数しか占めない奴隷は家内奴隷が主体だったと判明しているそうです。

ピラミッド建設に必要な石材は主にナイル上流のアスワン付近で産出し、石切場で切り出された後、粗加工した状態で搬送されたと考えられ、それらの石は一定の規格寸法があった訳ではなく、現場で必要な寸法に合わせて専門の職人が鑿で整形していたそうです。

石材を積み上げるに当たっては、日乾し煉瓦と土などで作業用の傾斜路が作られ、その斜面を運び上げられたそうです。

この傾斜路はピラミッドを取り巻くように築かれ、4辺で直角に転回しながら石を運び上げていったものと考えられています。

この方法だと施工面積を最小限に抑えられるのだそうです。

しかし最近は転回しなくて良い、長大な一本道が使われていたという説が多くを占めるようになってきました。

この方法だと、各ピラミッドの傾斜路がナイル川から石材を降ろして運び上げるのに丁度良い位置に来るのだそうです。

また近年では傾斜路を使用したのは途中までで、それ以降はピラミッドのふちに沿って螺旋状の内部トンネルを造りながら石材を運んだとする「内部トンネル説」も注目を集めています。

クフ王の大ピラミッドについて、1978年に大林組が「現代の技術を用いるなら、どのように建設するか」を研究する企画を実行しました。面白い企画だね!

それによれば総工費1250億円、工期5年、最盛期の従業者人数3500人という数字が弾き出されたそうです。

1立方m当たりの価格は、コンクリートダムが2万4000円前後に対してピラミッドは4万8000円だそうです(金額は当時のもの)。

いずれにしても、ピラミッド建設の目的も、建設方法もいまだもって不明なのですね!

さすが世界七不思議だねぇ。


では続き。

ピラミッドの敷地内に入場。これは三大ピラミッドのうち第一ピラミッド、クフ王のピラミッドです。
エジプト第4王朝のファラオ、クフ王の墳墓として紀元前2540年頃に20年以上かけて建築されたと考えられ、ピラミッド建築の頂点とされ、最大規模を誇ります。
完成時の高さ146.6m、14世紀以降ヨーロッパの教会建築がその高さを超えるまで世界で最も高い建造物であったそうです。
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現在高さ138.74m(もとの高さ146.59m)、底辺:230.37m、勾配:51度50分40、容積:約235.2万m³で、平均2.5tの石材を約270万~280万個積み上げたと計算されます。長さと高さの比は黄金比です。
こうした規模とともに石積技術も最高水準で、例えば、底辺の長さの誤差は20cm、方位の誤差は1分57秒-5分30秒という正確さだそうです。
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第二ピラミッド、カフラー王のピラミッド。
古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオ、カフラー王のピラミッド。三大ピラミッドのうちクフ王のピラミッドに次ぎ2番目の大きさであるが、クフ王のピラミッドより高い台地に建てられているため、人の目には一番高く見えます。
高さ143.87m(現在の高さ136m)、底辺:215.29m、勾配:53度10分。
参道の入り口には、スフィンクスがピラミッドを守護するように建っています。
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カフラー王のピラミッド。かつては表面全体を覆っていた化粧岩、現在は頂上部分に少し残っているだけ。
その昔、ピラミッドは表面が化粧岩でキラキラ光っていたそうですよ。
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ラクダひき出動。『乗らないか~、乗らないか~』と声をかけてきます。
でも最後に交渉値よりも高い金額を請求してきたりトラブルが絶えません。
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カフラー王のピラミッドの奥に見えるのは、第三ピラミッド、メンカウラー王のピラミッド。
古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオ、メンカウラー王のピラミッドです。
高さ65.5m(現在の高さ62m)、底辺105m、勾配51度20分と三大ピラミッドのうち最も小さく、他の2つのピラミッドと比較して長さで半分、体積で8分の1ほどの大きさ。
その理由には諸説あるが、何らかの事情で財政が逼迫していたため建設費用を節約したとの説が一般的だそうです。
北面には大きな傷跡が残るが、これはピラミッドを破壊しようとしたものが破壊できずに終わったものの名残であるといわれます。
1837年に玄室から遺体の一部が発見されたが、ロンドンの大英博物館への輸送中に船が沈没し、石棺もろとも失われてしまったそうです。また、この遺体がメンカウラー王のものであるかは不明なままです。
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カフラー王のピラミッドから10分ほど歩くとそこにはっ!!!
じゃーん、スフィンクス。
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定説では、紀元前2500年ごろ、第四王朝カフラーの命により、第2ピラミッドと共に作られたといわれています。
全長73.5m、全高20m、全幅6m。一枚岩からの彫り出しとしては世界最大の像。
ちなみに、頭の部分だけ、別の場所から運ばれてきた硬質石灰岩で造られており、完全な一枚岩ではないとのこと。
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スフィンクスとカフラー王のピラミッドとメンカウラー王のピラミッド。
有名な話ですが、スフィンクスの視線の先にはケンタッキーフライドチキンとピザハットがあります。
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ピラミッドの敷地から外を眺めると、高層ビルに囲まれています。
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Wikipediaで面白い写真を見つけました。
幕末期、交渉のためヨーロッパを訪問した外交奉行・池田筑後守長発ら一行が、途中、エジプトを経由し、その際、ギザのピラミッドを訪れました。
このとき、一行がスフィンクスを背景に撮った記念写真。
写真には24人ほどの和服姿の日本人が写っており、スフィンクスに登ろうとした侍もいたそうです。
スエズ運河を建設中の1865年のことだそうです。
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2時間ほど眺めてすかっり満足。帰りはクフ王側の出入り口からミニバスに乗り(0.75EGP/名)、ギザ駅まで行きそこからメトロで宿の近くのナセール駅まで戻ってきました。(メトロ運賃1EGP/名)
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ピラミッドを見て、カイロにおけるノルマをひとつクリアしたような達成感。

考古学博物館

カイロ最大の観光地の一つ、エジプト考古学博物館へ行きました。

古代エジプトの遺物を20万点以上収納し、どれも第一級のお宝。

ですが、あまりの収蔵品の多さに管理が追いつかないのか、石像やレリーフなどは通路の床に置きっぱなし。簡単に手を触れることができるし、座ることも出来るような有様でした・・・

2011年をめどに、内容を整理し、説明を充実させて、ギザのピラミッド近くの新設の博物館に移転されるようです。

ルーブル美術館や大英博物館には、ナポレオン時代や植民地時代にエジプトから持ち去られた秘宝がたくさん展示されています。

エジプト政府は長年再三にわたってその返還を要求し、私自身もエジプトに返還すべきだと思うのですが、エジプト考古学博物館のありさまを目にすると、ヨーロッパにあったほうが、管理の点では展示品にとって幸せなのでは?とつい思ってしまいます。

さて、私たちが博物館に行ったのは、ちょうど12時ごろ。

午前の団体客が去り、午後の団体客もまだというグッドタイミング、ツタンカーメンの展示室もスッカラカンで快適、実にゆっくり堪能することができました。

考古学博物館はカメラ持ち込み禁止なので、残念ながら写真は一枚もありません。

ですが、ツタンカーメンの秘宝は本当に素晴らしかった!!

これまで見てきた発掘品のなかでは、断トツで保存状態が良く、今から3300年前に、あれほど精巧な芸術品が作られていたなんて信じられないくらい美しく、一見の価値ありです。

誰もが知っているツタンカーメンですが、せっかくなのでプチ知識をどうぞ!(一部Wikipediaから抜粋)

ツタンカーメン(Tutankhamun 紀元前1342年頃 - 紀元前1324年頃、)は、古代エジプト第18王朝のファラオ(在位:紀元前1333年頃 - 紀元前1324年頃)。

父親は先王アクエンアテン、母はアクエンアテンの姉妹の1人、配偶者は異母姉妹のアンケセナーメン。

妻のアンケセナーメンですが、ツタンカーメンと結婚する前は、なんと父王アクエンアテンの妻でした。アクエンアテンの死後、ツタンカーメンと再婚したそうです。恐るべし古代エジプトの近親結婚・・・

また父王アクエンアテンは『アマルナ改革』を行ったことで有名なファラオです。

改革の内容は、

・首都をテーベからナイル川を277キロほど下った東岸のアケトアテン(現名:テル・エル・アマルナ)に移転。

・従来の多神教を禁じ、神々の像を破壊し、唯一神アテン(太陽神)への信仰に切り替えた。自らもアクエンアテン(イクナートン,アトンに愛されるものの意)と名前を変えた。

・アマルナ美術と呼ばれる、写実的・開放的な芸術を生み出した。 考古学博物館1階で、アクエンアテンの像をはじめとする同時代の彫像などを見ることができますが、顎が尖がり、指が異常に長く、そして不自然な死亡のつき方というのが特徴です。

改革の目的は、エジプトの多神教の神々の主神アメン・ラーを祭る神官勢力が王を凌ぐほどの強い勢力を誇るようになったため、王権を強化し、宗教的権力を王権と一本化することを狙ったと考えられるそうです。

また自身が個人的にアテン神を非常に好んでいたという説もあります。

しかし、他の神々の祭祀を停止したりアメンの文字を削ったりするなど、その改革があまりにも急激だった上に神官団の抵抗が激しく、最終的に宗教改革は失敗に終わり、アクエンアテンが失意のうちに亡くなった後、ツタンカーメンが即位するとアメン信仰が復活し、アテン信仰は消滅します。同時にアテンは、アマルナ改革以前の天体としての扱いに戻されてしまいました、あっけない~。


アメン・ラー        アテン
左:従来の多神教の主神アメン・ラー        右:太陽神アテンを崇拝するアクエンアテンとその家族
写真はWikipediaより



そして、めでたく即位したツタンカーメンですが、その在位は短く19歳(推定)で死亡し、王家の谷に葬られます。

死因は、妻アクエンアテンの再再婚相手で、ツタンカーメンの後にファラオになったアイが暗殺したという説が有力でしたよね。

また、ファラオのミイラに大きな外傷があったことが、暗殺説を裏付ける重要な要因となったのですが、いくつかの傷は20世紀前半当時のミイラを文化財として大事にしない風潮のために発掘時につけられたものであったことが明らかになっています。

そして、2010年のエジプト考古学研究グループによるCTスキャンを初めとしたDNAや放射線調査では、直接の死因は足および大腿骨の骨折と、マラリアの合併症による体調不良の悪化が原因であるという証拠が多数見つかったそうです。

また、同調査でツタンカーメンは近親交配で生まれた事による遺伝による先天的な疾患を多数患っていた可能性が非常に高いことが確認されたそうです。具体的には変形した背骨、欠損した足の指、臓器疾患の跡等が確認されています。

王家の谷にあるツタンカーメン王の墓は、1922年11月4日にイギリスのカーナヴォン卿の支援を受けた考古学者ハワード・カーターにより発見、発掘されました。

ツタンカーメンは王墓としてはきわめて珍しいことに3000年以上の歴史を経てほとんど盗掘を受けておらず(実際には宝石の一部などが抜き取られていたが、副葬品自体は無事だった)、王のミイラにかぶせられた黄金のマスクをはじめとする数々の副葬品がほぼ完全な形で出土し、その発掘は世界を大いに驚かせました。

発掘のスポンサーとなったカーナヴォン卿が墓の公開直後に急死するなど、発掘関係者が次々と不遇の死を遂げたとされ、ファラオの呪いの伝説が広まりました。

ですが、死亡した発掘関係者の多くは高齢者で、実際に不遇に死んだ関係者は少数であり、更にその多くがこじつけといえるようなものであったそうです。

呪いの話はロンドン・タイムズに報道を独占させたカーナヴォン卿に恨みを抱いたか、人々の好奇心をあおりたかったマスコミの喧伝に過ぎないとされています。


以上です。

ツタンカーメンの黄金の財宝は目がくらむほど豪華、他のお宝とは一線を画し見ごたえ十分です!

考古学博物館の入場料は60EGP/名、ミイラ室は別途100EGP/名かかります。

ミイラ室ではかの有名なラムセス二世のミイラに会えるのですが、私たちは死体を見ても仕方がないという考えで、ミイラ室はパスしました。

スーフィーダンス

宿の皆が、口をそろえて絶対行くべき!!という『スーフィーダンス』を見に行きました。

『スーフィーダンス』とはイスラム神秘主義の旋回舞踊、クルクルと回りまくって精神の修行をはかり、神と交流しようとするものだそうです。『タンヌーラ』とも呼ばれます。

・主催はエジプト文化省、観光客のために催行されておりなんと入場料無料
・踊り手は文化省所属の『タンヌーラ伝承民族舞踊団』
・場所はイスラム地区のハンハーリに程近いスルタン・ゴーリーのウィカーラ
・曜日は、毎週月、水、金
・時間は18:30開場、20:30スタート



道中、左右の目の色が違う猫ちゃんに遭遇!トルコのワン猫みたい!
こんなところで会えるとは・・・。
トルコにいれば何不自由なく暮らせるこの猫も、ここカイロでは逞しく野良生活をしていました。
食後、ダリオは、この猫ちゃんにあげるためのチキンを持ってイソイソと戻ってきたのですが、残念っ、すでに何処かに行ってしまったあとでした。
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会場のスルタン・ゴーリーのウィカーラは、その昔キャラバンサライとして使われていた美しい建物です。
私たち早く着いたので、18:30前に入場しました。
無料ですが、一応チケットの配布があり、セキュリティーチェックを受けて入場します。
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日が暮れてきました。子供達は会場の噴水で遊びまくります。一瞬も止まっていません。元気です。
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20:30ぴったりにショーはスタート。
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ダンスはなかなか足並みが揃っていて、また、打楽器中心のリズミカルな演奏は、演奏者の楽しげな様子が伝わってきて、熱気があります。

ある程度舞台が進むと、生歌、生演奏にあわせてダンサーがクルクル高速旋回します。このダンサーは20分以上回っていました。
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ショーは1時間半、飽きることもなく楽しい時間でした!

なかなかのクオリティーなのに、信じられないことに無料。

会場は、大勢の感じの良い係員にしっかり管理されていて居心地はいいし清潔だし、かなりお薦めです。

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ダリオ&ハニコ

Author:ダリオ&ハニコ
夫婦で旅してます。

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