Vagabond Shoes

Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

シオンの丘

今日はシオンの丘 Mt.Zionへでかけてみました。

『シオニズム Zionism』という言葉がありますが、これは一般的には『パレスチナの地にユダヤ人の国を作ろうという運動』のことを意味する言葉として知られています。

しかし実際には『シオンの丘に戻ろうという運動』のことを意味しています。

『シオンの丘』というのは、先日訪問した『神殿の丘』のこと。
つまりイスラム教の大聖地『岩のドーム』がある場所、同時に昔々イスラエル王国の『ユダヤ教神殿』があった場所のことをいいます。
神殿の壁の一部が『嘆きの壁』としてユダヤ人の大聖地となっているわけです、ややこしい。

今日私たちが行った『シオンの丘』と命名されている場所は、『神殿の丘』とは別の場所、旧市街の外にあり、キリスト教の教会などが建っています。

なぜ、このように別の場所が『シオンの丘』と命名されてしまったのかといえば、かつてキリスト教徒が場所を間違えて命名し、そこに教会を建ててしまったからだそうです。

シオン門 Zion Gateから旧市街を出て、シオンの丘にいきます。
この辺りはとても綺麗に整備された街並み。
P6121137.jpg


ここはイエスが『最後の晩餐』をした(かもしれない)部屋。入場料は無料。
イエスが処刑される前夜、ここで十二使徒と共に夕食をとりました。
この夕食の場で、イエスは使徒の一人がイエスを裏切ることを予告し(イスカリオテのユダの裏切りの予告)、また、使徒達が自分の苦難に際して逃げ散る事を予告します(マルコによる福音書14章27節)。
弟子達はこれを聞いて動揺しました。ペトロは鶏が鳴く前に三度キリストを否むと告げられ、これを強く否定しますが現実となってしまいます。
P6121139.jpg


オスマントルコ時代にはモスクとして使用されていたため、壁にはコーランが描いてあったりします。
ムスリムもたくさん見学に来ていました。
P6121143.jpg


晩餐の部屋がある建物の屋上から、景色を眺める。でもよくよく見ると・・・
P6121145.jpg


分離壁。
P6121146.jpg


晩餐の部屋の下階には、イスラエル王国の王様『ダビデ王の墓』があります。
これはダビデ王の墓にある階段。
このコンパスと三角定規の紋章は、『秘密結社フリーメーソン』のシンボルだ!!
元々フリーメーソンは石工職人のギルドの組織だったので、コンパスと三角形定規が紋章とされたのだそうです。
P6121147.jpg


ここはダビデ王の墓、だからもちろん『ダビデの星』も。
P6121149.jpg


ダビデ王の墓自体は質素な部屋に、ビロードの布がかかった棺が安置されているだけで特記することはありません。
それよりも、ダビデ王の墓がある建物の壁に、こんなカプセルが埋め込んであるのが気になりました。
ところどころにカプセルがはめ込んであって、何かが中に入っています。
そしてユダヤ教の方々は通りすがりに必ずこのカプセルに触れていくのです。
これはいったい何だろう、誰か教えてください。
P6121150.jpg


次は、聖母マリア永眠教会 Church & Monastery of the Dormition
その名のとおり聖母マリアを祀った教会で、エルサレム有数の大きな教会です。
建物自体は比較的新しい感じで、あまり趣がありませんが、教会内のモザイクはなかなか精巧で美しかったです。
P6121155.jpg


なんか地下からアヴェマリアが聞こえてくる・・・とトコトコ階段を下りていくと、皆真剣にお祈りしてる。
P6121159.jpg


地下には聖母マリアが永眠している人形があり、感極まって涙ぐんでいる西洋人もいました。。。
(最後の審判後、復活するため)聖母マリアは亡くなったのではなく、永久の眠りについたのだと考えられていて、眠るマリアがこの教会に安置されているのです。
P6121166.jpg

濃~いエルサレムには既に大満足、ヨルダンへ戻ります。

帰りも『ノースタンプ』で出国できるかな?
スポンサーサイト

生誕教会

イエスの亡くなった(と言われている)場所は既に訪問済み。

ときたら次はイエスが生まれた(かもしれない)場所に行かなくちゃネ!

ということで、クリスチャン的信仰心ゼロですが、せっかくなのでかの有名なベツレヘムに行ってみることにしました。

ベツレヘムはエルサレムの南約8㎞、丘陵地の海抜760メートルの地点にある街です。

ルツとダビデと主イエスの出生地で、ダビデはイスラエル王国の王になる前は、ここで羊飼いをしていたそうです。


バスに乗るため、ダマスカス門から旧市街の外に出る。
今日は金曜日、ムスリムの休息日です。
たくさんのムスリムが『岩のドーム』に礼拝に行くためにゾロゾロと旧市街に入ってきます。
兵隊が門でセキュリティチェックを行っていてるために、少し回り道になりました。
イスラーム原理主義者の過激派によっておこるテロを警戒しているのでしょうか。
P6111020.jpg


ムスリムの安息日は金曜、ユダヤ教徒の安息日は金曜日没から土曜日没の前まで、キリスト教は日曜日が安息日。
今日は私たちの滞在しているムスリム地区のお店はお休みのところが多く、いつもより静かです。
P6111021.jpg


ダマスカス門を出たすぐ前の道路で、21番のシェルート(乗り合いバス)に乗ります。運賃は6NIS/人。
P6111024.jpg


道中、バスの窓からの景色。これが分離壁か!!
壁のない部分には有刺鉄線による柵が設置されていて、簡単には越えられないようになっています。
P6111037.jpg


この壁は、イスラエルが「テロリスト(=パレスチナ人)のイスラエルへの侵入を防ぐため」と称してヨルダン川西岸地区に建設中の壁ですが、実際のところは、イスラエルとパレスチナの境界に建設されているのはでなく、90%以上がパレスチナの中に侵入してパレスチナ人の土地を侵略しながら建設されています。

肥沃な土地、水資源を奪い、パレスチナの町と町を分断し、パレスチナ人同士の交流を遮断し、文化・教育・経済などパレスチナ人のあらゆる生活を破壊しています。

また、町と町を分断するどころか町や村の中に壁を作り、一方をイスラエル側にしてしまうことでそこに暮らす住民を追放し、住居と農地の間を壁で遮断することで農業を破壊し、パレスチナ人の土地を囲い込むことでパレスチナ人の人口が増えることを抑制しています。

イスラエル側は、この壁を「セキュリティ・フェンス」と呼んでいるそうです。

壁建設の中止と徹去を求める国連決議(2003年10月21日)や国際司法裁判所の勧告(2004年7月9日)が出された後も、イスラエルはアメリカの保護のもと、それらをあっさりと無視し壁建設を続けています。


バスに乗ること40分、ベツレヘムに到着しました。ここはパレスチナ自治区です。
生誕教会を目指してテクテク。
手前には教会、中央奥はモスクのミナレット・・周りにはアラビア語の看板。
P6111045.jpg


今日は金曜日、ムスリムの安息日なので多くのお店がクローズしています。静かで宜しい。
P6111047.jpg


そして生誕教会 Church of the Nativityに到着。
キリストが生まれたと伝承される洞穴を中心として、その上に立てられている聖堂です。
ローマ・カトリック(フランシスコ会)、東方正教会、アルメニア使徒教会が区分所有しています。
P6111046.jpg


ここには元々ハドリアヌス帝が建てたにローマのアドニス神殿をあったのですが、325年コンスタンチヌス帝と母ヘレナがバシリカの生誕教会を建てた、現存している世界最古の教会堂だそうです

ヘレナとは、夢とおつげに導かれエルサレムに巡礼にやってきて、『ここがキリストが昇天した場所だ!』と確信し、聖墳墓教会を建てたお方です。亡くなった場所だけじゃなくて、生まれた場所もヘレナが決めたんですね~。
 

屈んでしか入れない小さな入り口をくぐると、こんな大きな空間。
どこの教会も入り口が小さいうえに少なく、こんなところで火事でもおきたら、と心配になることがあります。
事実、聖墳墓教会では非常口の少なさが問題になっていて、蝋燭の火が引火でもしようものなら大惨事になるだろうといわれています。
P6111049.jpg


ギラギラな装飾。でも渋いね。
P6111055.jpg


この行列!!!
地下にあるキリストがまさに生を受けたポイントに入るための列でした。
P6111056.jpg


私たちは、たまたま何も知らずに出口(正面に向かって左側)のほうに並んでしまいました。
どうも並んでいる人が少ないと思ったんだよね。10分ほど待って、出口側から地下に入場させてもらえました。
地下にはやっぱりたくさんの人が。
P6111059.jpg


皆さんよってたかって暖炉のようなものの下に屈み、何かを触っています。
P6111060.jpg


皆が触っているのは、イエスが生まれた場所。
P6111062.jpg


いや~、それにしてもこの場所でイエスが生まれたって、本当に皆信じているのかね~。
イエスの死亡後、300年以上もたってから、ヘレナが勝手に定めた場所ですよね。
P6111063.jpg


これはイエスの飼葉桶のあったくぼみ。
P6111064.jpg


生誕教会と同じ敷地内にある聖カタリナ教会 Church of St.Caterina
この像は旧約聖書をヘブライ語からラテン語に翻訳したヒエロニムス。
ヒエロニムスは聖書翻訳にあたり、いくつかの誤訳をしています。
まずは『若い女が妊娠した(原文)』というのを『処女が妊娠した(誤訳)』と訳してしまいました(笑)
そして『シナイ山から降りてきたモーセの頭から光が放っていた(原文)』というのを『シナイ山から降りてきたモーセの頭には角がはえていた(誤訳)』と訳してしまったのです!
ルネサンス期のモーセの彫刻などに、角がはえているのは全てヒエロニムスの誤訳によるわけです。
角がはえたモーセの彫像で最も有名なのは、ミケランジェロの作品でしょうね。
P6111090.jpg


聖カタリナ教会の内部。ちょうどミサがはじまったところでした。
P6111091.jpg


教会を出て、丘の上から景色を眺める。一見いい眺めだな~、でも拡大すると・・・
P6111097.jpg


そこには分離壁。
P6111098.jpg


帰りは何故か21番がダマスカス門まで行かないというので、タクシーで分離壁にあるチェックポイントまで行き、そこから124番のシュルートでエルサレムに戻りました。
分離壁にあるチェックポイントではセキュリティーチェックを受けなければなりません。。。
チェックポイントに到着、ドドーンとそびえる分離壁。タクシー代は5NIS/人。
P6111110.jpg


壁の前にはフルーツの屋台。このメロンが芳しい薫りをプンプンと放っていたので思わずお買いあげ。
P6111113.jpg


長い廊下を進んでチェックポイントに向かいます。
P6111115.jpg


落書き。
P6111116.jpg


廊下を歩ききると、イスラエル側に到着。こちら側には落書きがなく無表情な灰色の壁が続きます。
P6111118.jpg


遠くにも分離壁が。
この先ははまるで空港のような大きな建物があり、厳しい荷物のセキュリティーチェックとIDチェックをうけます。
P6111120.jpg


ふぅ、124番シュルート(運賃4NIS/名)で、やっとエルサレムに戻ってきた。
この日だけ飛行船が飛んでいましたが、どうしてだろう?
P6111123.jpg

岩のドーム

イスラム教の大聖地『岩のドーム Qubba al-Ṣakhra』に行ってみることにしました。


宿を出発して狭い道をトコトコ。ここはベロニカという女性が、十字架を担ぐイエスの顔を拭ったといわれる場所。
拭った布は『聖骸布』としてイタリアのトリノ大聖堂に保管されています。
(こんなことを言うとクリスチャンからは顰蹙を買いそうですが、うっすらと人間のシミがついた気味の悪い古布です。)
P6100958.jpg


岩のドームに入るには、いったんユダヤ教の大聖地『嘆きの壁』のある広場に入場します。
昼間はこんなに大混雑!!観光客でいっぱい。
P6100960.jpg


伝統的なユダヤ教ファッションの男性もチラホラ。
でも夜間のほうが、こういう男性をよりたくさん目にすることができます。
P6100963.jpg


長いもみ上げをクルクルっとカールしています。
P6100964.jpg


全身ブラックのコスチュームはなかなか素敵です。
P6100966.jpg


13:30の入場開始時刻まで時間があったので付近を散策。
なので近所を散策。これはフルバ・シナゴーグHurva Synagogue、ユダヤ教の礼拝所です。
P6100968.jpg


このシナゴーグは、18世紀に建設されたものの数年後に破壊され、19世紀に再建されたが1948年のイスラエル独立時の中東戦争でアラブ軍によって再び破壊されます。

しかし1967年の第三次中東戦争でイスラエルがエルサレムを占領した後、シナゴーグの再建が検討され、最近になって再建工事が進み、ついに2010年3月に三度目の再建が実現しました。出来立てホヤホヤのシナゴーグなのです。

このシナゴーグ再建は、ユダヤ教徒にとって非常に大きな出来事でした。

なぜならこの再建は、ユダヤ教徒にとって重要なある『預言』と関係しているからなのです。

18世紀にリトアニアのビリニュスに住んでいたビルナ・ガオン・エリア(Elijah ben Shlomo Zalman)という高名なラビ(ユダヤ伝道者)が「フルバ・シナゴーグが三度目に再建された時、第三神殿の建設が始まる」という預言を残しているのです。

更に、ユダヤ教徒による旧約聖書の解釈では、『第三神殿が再建された後には、最終戦争ハルマゲドンがおこり、その戦いの最中に救世主(メシア)が第三神殿に降臨し、ユダヤ教徒を救い、その後千年の至福の時代が訪れる』ということらしいです(汗)。

そしてユダヤ人が再建を熱望する『第三神殿』の建築場所というのが、また大問題なのです。

『第三神殿』は、破壊された第一神殿と第二神殿が建っていた『神殿の丘』に建てられなければなりません。

なのに第三神殿が再建されるべきその『神殿の丘』には、現在なにがあるかというと、、、、、イスラム教の大聖地、キンピカの『岩のドーム』がドーンと建っているというわけです。

ユダヤ人は、このドームを木っ端微塵にして第三神殿を再建したいでしょうが、そんなことをしたらイスラーム諸国との大戦争は避けられないでしょう。



(続き)次はアルメニア人地区を歩く。
エルサレムの旧市街は、ムスリム地区、クリスチャン地区、アルメニア地区、ユダヤ地区の4つに分かれています。
P6100973.jpg


『ダビデの塔』
紀元前20年ごろ、ヘロデ王がエルサレムを防備する目的で建てた要塞で、当時の3つの塔の遺跡が未だに残っています。
14世紀マムルーク朝の時に再建され、1310年に王カラーウーンによってモスクが新たに追加され、増築されました。
1531年にはオスマン帝国のスレイマン大帝によってミナレットがもう1本追加されました。城壁は今日では博物館になっていますが、私たちは通り過ぎただけ。
P6100977.jpg


そろそろ『岩のドーム』に入れる時間かね~、と戻ってきました。
高台からは、『嘆きの壁』と『岩のドーム』が同時に眺められます。
P6100980.jpg


セキュリティーチェックを受けて、『嘆きの壁』の広場を横断するように架けられた木製の橋を渡って『岩のドーム』へ。
『岩のドーム』ですが、非ムスリムは敷地内まで入場可、モスクの内部には入れません。
でも、もしかして!!という期待があり、ハニコはイランでゲットしたマントーを着用、敷地内ではヘジャーブまで被ってみました。


これが『岩のドーム』。金ピカです。
P6100989.jpg


その名のとおり、ドームの中には『岩』が設置されています。

伝承によると、ムハンマドは大天使ジブリール(ガブリエル)に伴われ、メッカのカーヴァ神殿からここエルサレムに一夜にして旅をし、そして神殿の『岩』から天馬ブラークに乗って昇天し、神アッラーフの御前に至ったのだそうです。(信じがたい話だなぁ・・・)

同時にその『岩』は、アブラハムが息子イサクを神への生贄として供えた台であるともされています。

アブラハムは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信じるいわゆる聖典の民の始祖であって、ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者であり、「信仰の父」とも呼ばれます。


中に入れないかな~という淡い期待を胸に、ムスリムファッションのハニコが入り口まで行ってみるも、こわもての警備員に『何処から来たんだ?』とか『ムスリムか?』とか『ムスリムならコーランを唱えよ』とか言われ撃沈。

続いて、コーランを唱えることができるダリオが挑戦する。
やはり門番に『コーランを唱和せよ』と言われたので、滑らかに唱えたところ、驚きの顔で『お前はムスリムなのか?』と尋ねられました。
しかし正直に、ムスリムじゃないよと答えると『イスラム教はコーランを唱えられるかどうかじゃなくて、ムスリムのハートを持っているかどうかなんだ。』とのこと。
撃沈、チーン。

余談ですが、同じ宿に滞在していた旅行者が、マレーシア人の友人の為に、この岩のドームの写真を撮りに来ていました。なぜかというと、反イスラエル国家のマレーシア人のパスポートには、『ヘブライ人の国を除いて有効』と明記されているので、イスラエル国には入れないからだそうです。ケチ。
P6100996.jpg

岩のドーム内部は、イスラエルで売られている写真集の中にいくつか見ることが出来ます。


さて旧市街を取り囲む壁を出て、新市街に行ってみるとブランドショップがずらり。
同じ宿に泊まっているツーリスト達は、新市街の女性達の露出度にビックリしたそうです(笑)
これまでチャドルから目の玉しか出ていない女性達ばかりの中東国を旅してきたので、皆軽くカルチャーショック。
P6101009.jpg

日中はとても暑いのでこれにて散歩は終了です。

聖墳墓教会(夜)と嘆きの壁

お昼寝をしてスッキリ、夜の旧市街を散策してみました。

ヴィアドロローサ。昼間とはうってかわって静か。
P6090900.jpg


ここはクレネ人シモンが、イエスのかわりに十字架を担いだ場所です。
P6090900-1.jpg


聖墳墓教会に到着。なんとっ、こんなに空いているとは!!
P6090901.jpg


十字架が立てられた場所もガラ空き。
こうして小さな祭壇の下に屈むと、十字架の立てられた(とされている)箇所に触れることができます。
写真の女性は泣きながら祈ってました。
が、クリスチャンではない私たちは触らないでおきました。
P6090905.jpg


いやいや、静かなこと。
P6090917.jpg


続いては、ユダヤ教徒の大聖地『嘆きの壁』に行ってみる。
手荷物などのセキュリティチェックをうけ、広場にでると『壁』があります。
祈りの場所は女性専用と男性専用に入り口が分かれていて、こちらは男性用の壁。
この壁のすぐ裏側には、なんとイスラム教の大聖地『岩のドーム』があります。
P6090927.jpg


では、嘆きの壁のプチ知識をどうぞ。

嘆きの壁というのは、かつて『神殿の丘』にあったユダヤ教神殿の壁のうち、唯一残されている壁のことをいいます。

この『神殿の丘』の場所はユダヤ人とアラブ人がそれぞれ祖とするアブラハムがその子イサク(アラブ側はイシマエル) を神に祭物として捧げようとしたというモリヤの山として、旧約聖書に記述されます。

紀元前1000年頃、イスラエル王国のダビデ王がエブス人のシオン要塞となっていたその場所を攻略し、ダビデの町の中核としました。

そしてその子ソロモン王が紀元前965年頃、その『神殿の丘』と呼ばれているところにユダヤ教の神殿を建てます。(第1神殿)

終末のときメシアが降臨し、入場する神殿として、ユダヤ教徒の信仰の対象とされた第1神殿ですが、紀元前586年にユダヤ人がバビロン捕囚にあった時に破壊されてしまいました。

その後、紀元前515年頃に第2神殿として再建されます。

さらには紀元前20年頃にはヘロデ王によって改築されました。

このころイエスも神殿を訪れたという記述が聖書にあります。

聖なる神殿内で商売をしている様子を見たイエスは怒り嘆き、その店をひっくり返したと記載されています。

しかし、ヘロデ王が改築した神殿も西暦70年にはローマ軍によって完全に破壊され、神殿の西壁だけが残りました。

これが今現在『嘆きの壁』と呼ばれているものです。

西暦70年の神殿破壊の後は、ユダヤ教徒のエルサレムへの立ち入りは許可されず、4世紀以降には1年に1日だけ立ち入りが許されるようになります。

そして、残された西壁に向かって祖国の復興を祈り続けました。

こうして、神殿西壁は「嘆き」の壁となったのです。

7世紀にはいると、パレスチナ地方全体はイスラム教徒のものになりました。

「神殿の丘」も当然イスラムの支配下となり、『ハラム・アッシャリフ』(高貴なる聖域)と呼ばれるようになります。

ムハンマドは、メッカのカーバ神殿から天使ガブリエルに連れられて、一夜でここ神殿の丘まで旅をし、神殿の岩から天馬に乗って昇天したといわれています。えぇっ、ありえない!ムスリムって本当にこんな話信じているのかな!!

691年には、まさにユダヤ教の神殿が建っていたその場所に、岩を中心としたイスラム教徒の大聖地『岩のドーム』が建設されました。

嘆きの壁の上は、ユダヤ人にとってはユダヤ教の聖なる神殿が建っていた『神殿の丘』。

イスラム教徒にとっては『岩のドーム』のある『ハラム・アッシャリフ』。

どちらにとっても譲れない大聖地なのです。

ちなみにアブラハムはキリスト教の始祖でもあります。

ですから、アブラハムが息子イサクを生贄として神に捧げようとした『神殿の丘』はなんとキリスト教にとっても聖地なのです、ああややこしい。



トラディッショナルファッションのユダヤ教徒。
P6090930.jpg


ジーンズにライフル。でも礼儀正しくお祈り。
イスラエル人の若者には、男女とも兵役があります。
(宗教や病気を理由に兵役を逃れる方法はいくつかあるようですが)
街を歩いていると、たくさんの若者が、ライフルを持ち完全武装で歩いています。
P6090935.jpg


嘆きの壁の猫ちゃん。なつっこくて可愛い!!
P6090945.jpg

こんな狭い地域に複数の宗教(といってもどれも兄弟のようなものですが)の大聖地が混在し、古くからエルサレムを巡って十字軍とムスリムが闘ってきました。

世界広しといえども、こんな街は他にはないのではと思います。

聖墳墓教会(昼間)


まずは、旧市街をウロウロと散歩してみることにしました。

宿で朝ご飯。お腹いっぱいになったらいざ出発。
P6090728.jpg


ここは宿から徒歩3分のヴィアドロローサVia Dolorosa
悲しみの道、苦難の道、十字架の道とも呼ばれます。もう説明は不要でしょう。
死刑判決をうけたイエスが、ゴルゴダの丘に向かうため、十字架を背負って歩いた道です。
イエスが実際に歩いたのは、現在の道よりも地下2メートルほど深いところにあったそうです。
西洋人のツアー客で大混雑、なのでここは後回しにして先に進みます。
P6090729.jpg


ヴィアドロローサと平行している静かな道。
P6090730.jpg



美形の猫ちゃん、こんにちは♪
P6090739.jpg


コプト正教会・聖アンソニー教会 Coptic Orthodox church of St. Helen
ここはイエスが十字架を背負って歩く途中、三度目に倒れた場所とされています。
P6090745.jpg


教会の敷地内に入ってみる。
コプト教とは、数あるキリスト教宗派の一つで、現在、エジプト・エチオピア及びエリトリア・アメリカ・オーストラリアを中心に、総計5千万人の教徒がいるそうです。
P6090748.jpg


丘を登り、こんなお土産屋がたくさん軒を連ねる道を進み・・・
P6090749.jpg

辿り着いたのは、かの有名なキリスト教の大聖地・聖墳墓教会 Church of the holy sepulchre
赤と白の旗は十字軍の旗です。
P6090754.jpg

では、まず聖墳墓教会のプチ知識からどうぞ。

聖墳墓教会はゴルゴダの丘のイエス・キリストの墓とされる場所に建つ教会です。

最初に教会を建てたのはキリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世の母ナフラウィア・ユリア・ヘレナHelena of Constantinopleです。

コンスタンティヌス1世がキリスト教を公認したのは、熱心なキリスト教徒だった母親の影響が大きいといわれています。

ヘレナは、326年に聖地巡礼し、夢を見て神のお告げを聴き、ここがゴルゴダの丘であると確信します。

そして、この地を発掘し、イエスの墓と磔刑に使われた聖十字架と聖釘などの聖遺物を見つけ、元々あったヴィーナス神殿を取り壊し、ゴルゴタに教会を建てました。

エルサレムは2度のユダヤ戦争によって破壊され、135年ごろにはローマ風の都市へと再開発されたため、西暦30年ごろの出来事とされるイエスの磔刑の舞台、ゴルゴタの位置は実際には分からなくなってしまっているのが実際のところだそうです。
(そうだよね~イエスの死から300年もたってるし、なんか無理があるもんね)

教会の中には、イエスが十字架に磔刑にされた場所、イエスの聖骸に香油を塗った場所、イエスの墓とされている小さな聖堂などがあり、現在も聖書の世界が息づく聖地で、世界中のキリスト教徒をひきつけています。

しかし、聖墳墓教会は、ホスロー2世治下のサーサーン朝軍がエルサレムに侵攻し聖十字架を手にいれた614年に、火災によって損傷してしまいます。

630年には、東ローマ皇帝ヘラクレイオスがエルサレムに入り、聖十字架を取り返し教会を再建します。

その後、イスラーム教徒の支配下で教会は一定の自治下にありましたが、966年のムスリムによる暴動により、ドアや屋根が燃やされてしまいます。

更にファーティマ朝のカリフ、ハーキムはキリスト教会の破壊を命じたため、1009年10月18日には一旦教会そのものがなくなってしまいました。

ところが、厳しい状況の下、東ローマ皇帝コンスタンティノス9世モノマコスが1048年に小さな教会をこの地に建てました。

再建されたこの土地は、1099年1月15日の第1回十字軍の騎士によって奪還されます(エルサレム攻囲戦)。

現在この教会はカトリック教会、東方正教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会の複数教派が共有しており、一日中それぞれ何らかの教派によるミサ・聖体礼儀などの公祈祷が行われています。

また、エチオピア正教会は正式な独立教会として認められておらず、オスマン帝国などのイスラム教勢力が強かった時代に迫害から教会を守護し続けていたにもかかわらず、正式な行事には参加出来ません。
(かわいそうに・・・)


それにしても、なんだなんだこの混み様は!
写真右側の小さな青いドームの下にある、アーチ型の窓のあたりで、イエスは衣服を剥ぎ取られたそうです。
彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。-『マタイによる福音書』 27:35~27:36
P6090753.jpg


教会内に入るとすぐ前に、大きなモザイク画。
右から、十字架に磔にされ息をひきとるイエス、塗油の石に横たえられ香油を塗られるイエス、墓に埋葬されるイエス。
P6090755.jpg


現在博物館で目にする何千年の前のモザイク画も、当時はこんな綺麗な状態だったのかなぁ。
P6090756.jpg


モザイク画の前には、『塗油の石 Anointing Stone』
イエスはこの石の上に横たえられて香油を塗られ、埋葬処置を施されたそうです。
みんな口付けしたり、自分の持ち物をこすりつけて、ご利益(?)を分けてもらおうとしています。
P6090760.jpg

ここから上を眺めると、ドームにもモザイク画。
P6090756-2.jpg


塗油の石の右横にある階段をあがり、2階へと行きます。手すりには1600年代や1800年代の落書き。
今も昔もやることは大してかわりませんなー。
日本語の落書きが無くてほっとしました。もしあったら恥ずかしいもんね。
P6090757.jpg


2階には、イエスが磔にされた十字架が立てられた場所があります。
P6090757-1.jpg

新約聖書より

「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。

犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。

そのとき、イエスは言われた。

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」

人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。-『ルカによる福音書』 23:33~23:34



キリスト教徒の皆さん、熱心に祈ります。それにしても人多すぎて厳かな雰囲気はまったくナシ。
P6090757-2.jpg


イエスは午後3時に息を引き取ったそうです。

新約聖書よりその様子。

昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。

三時にイエスは大声で叫ばれた。

「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」(イエスが話していたアラム語という言語です)

これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。


そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。
(エリヤとは旧約聖書に登場するユダヤ人の預言者のこと)

ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。

しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。

すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。

百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。

そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。

この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。

なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。



祈りの風景。
P6090757-4.jpg


この女性の両サイドには激しく炎が上がっています。10本ほどのキャンドルがひとくくりにされた束に火をつけ、ブスブスと5束も灯して火柱をたてていました(笑)
いったい1人で何十本のキャンドルを買ってるんだ~??慌てて走ってきた司祭に、使い方が違うとお説教されていました。
P6090757-6.jpg


この服装は、中世の雰囲気ムンムンだねぇ。
P6090757-7.jpg


大混雑の中、こんな静かにお祈りをする男性も。
P6090757-8.jpg


階段を下りて地上階に行き、今度は塗油の石に向かって左側に進みます。
P6090765.jpg


こんなドームの下にあるのは、、、、
P6090766.jpg


イエスのお墓です。
P6090767.jpg


うーむ、混んでいる。でも眺めていると5人ずつ入場で、意外に早く順番が回ってきそう。
P6090773.jpg


15分ほど並んで入場!!!中は暗く、こんな祭壇がありました。皆ひざまづいて祈ります。
大きな声ではいえませんが、まさにここにイエスが埋葬されたとは信じられません・・・
でも歴史上に名を残した大勢の人々が、この同じ場所にひざまづき、祈っています。

P6090790.jpg


お墓の前には聖堂。
多数の宗派が聖墳墓教会を共有していて、それぞれの宗派がこの教会内に聖堂を有しています。
ちなみに、各宗派同士の対立は極めて激しく、教会内で他宗派の司祭がしばしば乱闘事件をおこし、警察沙汰になることもあるそうです。
まったく、神様も泣いていることでしょう。
こんな状態ですから、聖墳墓教会の鍵は、なんと異教徒であるムスリムが管理しているそうです。
聖墳墓教会の近所で土産物屋を営むムスリム一家の手にゆだねられているそうですヨ。
P6090800.jpg


ドームからはイエスが眺めています。
西洋のキリスト教絵画では、イエスは白人として描かれていますが、古いモザイクなどに描かれたイエスはこのように褐色系の容貌。
イスラエル(パレスチナ自治区)のベツレヘムで生まれたのだから、こちらのほうが信憑性があると思います。
P6090801.jpg



地下にも聖堂があります。この階段を下りると、皇帝の母ヘレナが聖十字架を発見した場所に辿り着きます。
それって聖十字架だったのかなぁ。。。単なる木片だったんじゃないのかね~。
P6090863.jpg


なかなか美しい照明だねぇ。
P6090876.jpg


いや~なんだか聖墳墓教会は重~い雰囲気で疲れちゃったよ。街中の猫に癒される。
P6090892.jpg


昔のユダヤ神殿の跡。
P6090894.jpg


一旦宿に帰り、お昼ご飯を食べる。にんにくたっぷりのトマトスパゲッティ。
にんにく最近摂取してなかったのでウマーでした。
P6090897.jpg


しばしお昼寝をして、また夜でかけます。その様子は次の記事で!

Top|Next »

HOME

ダリオ&ハニコ

Author:ダリオ&ハニコ
夫婦で旅してます。

この人とブロともになる

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。