Vagabond Shoes

Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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ペトラ

ヨルダン最大の観光地、ペトラ遺跡にでかけました。

ペトラのある地は、西にガザ、北にダマスカス、紅海にも近く、中東での人や物の行き交うキャラバン隊の中継基地とされ、紀元前1世紀ごろから、ナバテア人(Nabataeans)の首都として栄えました。

完全な岩礁地帯であるので、農業には不向きな地域です。

また雨が降ると、鉄砲水が発生するため、ナバテア人は、ダムを作って鉄砲水を防ぎ、さらに水道管を通して給水システムを作り上げました。

紀元前64年から紀元前63年ごろ、ナバテア人はローマの将軍、ポンペイウスにより、その支配下におかれます。

ローマは、ナバテアの自治は認めたものの、税を課し、また砂漠から進入してくる異民族の緩衝地帯としました。

ローマ風の建築物の造営が始まったのもこのころです。

106年には、ローマ皇帝トラヤヌスにより、ペトラとナバテア人はローマのアラビア属州として完全に組込まれてしまいます。

長い間、ベドウィン族によりひっそりと守り続けられていたペトラ遺跡ですが、1812年、スイス人の探検家ルートヴィヒ・ブルクハルトにより、最初にヨーロッパへ紹介されました。

そして遺跡内に居住していたベドウィン族は、ヨルダン政府にペトラ地域から追い出され、遺跡は大観光地として整備されて現在に至るというわけです。

朝のワディムーサの街。右下の木が固まっている辺りがペトラ遺跡の入り口です。
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綺麗だな~、いつまでも眺めていたいな~。
でも遺跡までの無料送迎バスの第一陣は7:00、急いで準備しなきゃ!!
昨日買っておいたパンに、ランチョンミートとトマトとキュウリをはさんでサンドウィッチを作り、オレンジとミネラルウォーターをバッグに入れて準備完了。
遺跡内でジュースを買ったり食事をしたりすると、びっくりするほど高くつくそうです。宿のランチボックスは2.5JDですが、私たちは自分達で材料を準備して、具たっぷりのサンドウィッチを作りました♪
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送迎バスに乗り5分、ペトラ遺跡に到着。入場料はなんと驚きの33JD/名!!!
今年の11月から50JDに値上げします。
さて、入場券をゲットして、インフォメーションセンターで遺跡内の無料地図をゲットして、トコトコを1kmほど歩き、遺跡の入り口を目指します。

これがペトラ遺跡の入り口!!!って、この岩の感じ何処かに似ている・・・そういえばちょっとトルコのカッパドキアっぽい。
この岩壁の道はSiqといい全長1.2キロです。
ペトラ遺跡は広大な敷地のなかにいくつもの遺跡がポツポツとあり、それを地道に見て回るという形式です。
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朝早いので、人が非常に少なく、2人占めできました。
朝は光線の加減で、岩がローズ色に見えとても美しいです。
アンマンから日帰りでやってくる観光客が多いのですが、バスがペトラの到着するのは9:30。
岩が美しく見える時間帯を逃してしまうので、前泊して次の日の早朝に訪れるのがいいのじゃないかなーと思います。
そして色合いよりも、もっと大切なのは、朝は涼しいということ。。。。昼間は殺人的に暑いです。 
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道を間違えたかな?と思ってしまうほど誰もいない・・・
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上から猫ちゃんが『ニャー!!』と声をかけてきました♪
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ついに来たーーーー!!最初にペトラで一番有名な遺跡!
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どーん、エル・ハズネAl Khazneh、宝物館です。
原住民が『昔々ファラオがここに宝物を隠した』と誤解し、それを信じたことから、宝物館と呼ばれるようになったそうです。
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大きい・・・そしてほかに誰も居なくて、またもや2人占め。
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遺跡がありすぎて、これはいったい何だったのか覚えていません。
ペトラは様々な民族の支配下におかれたため、ローマ様式やギリシャ様式、いろいろな様式の遺跡が混在します。
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不思議な色の岩だなぁ。
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この辺はRoyal Tombsといって、高貴な方々のお墓が並びます。
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朝はこうして道が影になっていて、とても楽です。昼間は容赦ない太陽光線。
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ローズ色のお墓。
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ロバさん。この辺りから『ロバさんに乗らないか~』攻撃がはじまります(笑)
お土産屋さんの子供達は実に上手にロバに乗ります。
急な岩の斜面もロバで疾走して駆け下りてくるので、見ているほうが恐くなります。
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ペトラ遺跡が一大観光地として整備されるまでは、普通にベドウィン族がこの辺りに暮らしていました。
こういった岩に暮らしていたのかな。想像が膨らみます。
私が観光大臣だったら、ベドウィン族にあえてそのまま住んでもらって、生活の様子も併せて観光客に見てもらうけどな~。
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ロバさん客待ち中。
ペトラ遺跡内では、馬、ラクダ、ロバに乗ることができます。
運が悪いと蚤にさされ、非常に痒い思いをするそうです。
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お日様が昇ってきて暑い・・・向こうのテントはベドウィンのお土産屋さん。
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またロバさん。
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この辺りでラクダさん登場。意外に機敏な動きをします。
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こちらThe Colonnaded Street。
その昔、商店が軒を連ねていたそうです。いうなれば銀座並木通り。
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『暑いね~』と100回くらい言いながらテクテク歩く。
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働くラクダ。
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Zasr al-Bint
高位の神官しか入れない寺院で、神に生贄を供えたり、神聖な儀式がここで催されたそうです。
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ここから先はこんな山があって・・・
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山の上にある大きな遺跡を見るには、こんな道を1時間の登らなければならない。。。
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こんなキュートなロバさんに乗せてもらって、山の上まで行くことも出来ます。
軟弱な私たちは『この山を登るのはやめようねっ♪』、と最初から決めていたのですが、チョコっとだけ登ってみる?ということで、気持ちだけヨチヨチ階段を踏みしめる。
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これは中腹あたりのLion Tombという遺跡。
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この辺りではロバさんは欠かせない存在。頂上のお土産屋まで物資を運んだり、人を運んだり。
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なんという険しい岩山。
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目の前に広がる岩山の迫力、でも暑い。帽子が大活躍。
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ロバさんは驚くほどたくさんの荷物を運びます。1.5リットルのミネラルウォータを72本運んでいました。
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この岩穴は、まだ使用されているみたい!管理室かな??
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これはGreat Temple
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再びRoyal Tombsにむかって歩く。チラホラと観光客とすれ違うようになりました。
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Royal Tombs 朝と色が違っていて面白い。
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うわーー、いつの間にやらこんなに人が!
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年配の西洋人も大勢います。猛暑なのに、、、頑張れーー!!
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エルハズネに戻ってきました。
朝ここに着いた時は、ペトラはあまりポピュラーじゃない遺跡なのかと思いましたが、なんのなんの人でごったがえしていました。
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Siqを通って帰ります。同じ道なのに光の加減で全然違う印象。
7:30から11:30まで、比較的涼しい時間に、空いている遺跡を快適に見て回ることが出来て大満足!!
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無事ホテルまで戻ってきました。綺麗な夜空。
今夜はペトラでナイトショーのようなものが催されていて、Siqに無数のキャンドルが灯され、花火も打ち上げられます。
が、私たちは明日の移動に備えてノンビリ休憩。
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これでヨルダンには思い残すことはない。

明日はバスで、ワディムーサからアカバAqabaという紅海沿岸の街まで移動し、フェリーの時間があえばそのままエジプトに渡る予定です。
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再びヨルダンへ

イスラエルからヨルダンへ移動しました。

目的地はペトラ遺跡への拠点となる街ワディムーサ Wadi Musa。


9:15宿をチェックアウト。
それにしてもエルサレムの宿、GOLDEN GATE INNでは、蚤やらダニやらに20箇所以上さされ、悶絶するほど痒い。
猫がホテル内へ自由に出入りしているし、仕方がないとは思うけど、二度と泊まりたくないな・・・
イスラエル発祥のベーグル、さようなら~。ついに一口も食べることがなかったネ。
宿にキッチンがついていたので、イスラエルでの食事は朝食を除き、なんと全自炊。
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国境行きのミニバスは、GOLDEN WALLS HOTELの1階から出ています。
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ホテルの建物の中庭に入っていくと、チケットオフィスがあります。
乗車賃は32NIS/名、荷物代は4NIS/個。行きより若干安い・・・
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1時間でアレンビー橋(ヨルダンではキングフセイン橋と呼ぶ)のイスラエル側イミグレーションに到着。
ここで出国税を支払うのですが、なんと驚きの167.5NIS/名!
国境によって出国税が異なりますが、この橋は一番高いそうです。
ここでちょっとしたトラブルがありました。出国税の用紙を窓口で貰い、イミグレに並びいよいよ出国審査の順番が回っていたのですが、『出国税の用紙が1人分しかないじゃない!』と係官に言われてしまいました。
なんど、出国税支払い窓口の女性が、我々は二人分の税金を支払ったのにかかわらず、一人分の用紙しか渡してくれなかったようなのです。用紙は真ん中で切り取りとる方式になっているので、私たちはてっきりそれを二人分の用紙を貰ったものだと思っていました。
急いで窓口に戻り、クレームをつけると、窓口の女性は現金を全て数えるから待っていてくれとのこと(汗)
待つこと30分、やっともう1人分の出国税用紙をもらえました、ヤレヤレ。
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再度出国審査。ここでも念のため『ノースタンプ』とお願いします。
パスポートにスタンプを押すかわりに、出国税の用紙裏にスタンプを貰いました。
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無事イスラエルを出国した後のルートは、来たときと全く同じ。

ヨルダンに入国し、国境から乗り合いタクシーでアンマンまで行こうと思ったのですが、タクシーの運転手のふっかけ方が煩いので、やはりふっかけられていたフィリピン人の男性と一緒に、来たときと同じチープなルートでアンマンに戻ることにしました。

ご一緒したフィリピン人男性はドバイでフレンチのシェフをしているそうです。

アンマン市内に到着し、ミニバスと乗り合いタクシーを乗り継ぎムジャンマ・ジャヌーブというバスターミナルまで行きます。ミニバス0.4JD/名、乗り合いタクシー0.5JD/名。
そしてムジャンマ・ジャヌーブからペトラ行きのこのバスに乗ります。乗車賃5JD/名、所要時間4時間。
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荷物を積んだミニバスの通路はギチギチ。
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何もない道をひた走る。
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砂漠と真っ直ぐな道。
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18時ワディムーサに到着。
ちょうどミニバスが着いたところで、Valentine's Innという宿の人に勧誘され、見にいくことに。
夕方から宿探しをするのも面倒なので、すんなりここにチェックインしました。
宿泊費20JD/室。FAN、冷蔵庫、バス・トイレ、無料WIFI付、風通しグッド。日本人もたくさん滞在していました。
ですが、フロントのスタッフは目が笑っていないし、猫なで声の勧誘が気持ち悪く、私はあまりこの宿を好きになれません。
でも遺跡までの無料送迎もついてるし、2泊だけだし、ここで妥協。
(後日、別の旅行者から話を聞くと、予定が変わったので、1泊分の代金を返してくれるように頼んだところ、たった3JODのドミ料金を返してくれなかったそうです。予定の変更を告げたのは、支払い後、数十分しか経っていなかったというのに。。。)
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私たちの部屋の前には大きなテラスが。ちょうど夕焼けの時間。
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ところでワディムーサのお店は外国人向けの価格設定があり、水が1JODだったり、アンマンに比べて何でも高いです。

死海

ヨルダンの観光地といえば、ペトラ遺跡か死海The Dead Sea。

今日は死海にでかけてみることにしました。

死海は海抜マイナス418メートルの塩湖(海ではありません)。

海水の塩分濃度が約3%であるのに対し、死海の湖水は約30%の濃度だそうです!!

旧約聖書では『アラバの海』、『東の海』などの名前で登場します。

また、かの有名な古代都市『ソドムとゴモラ』は神ヤハウェに滅ぼされ、死海の底に沈んだといわれています。

『ソドムとゴモラ』の逸話は以下のとおり。敬虔深いロトとその家族のみが助かったという話です。(ナショナルジオグラフィック社DVD 解説文より)

ロトは、預言者アブラハムの甥に当たります。

アブラハムは旧約聖書の主役の一人で、神に愛され、カナンの地を与えられました。

もともと現在のメソポタミアの辺りに住んでいたと考えられているアブラハム一族は、神が示すままにはるばる旅をし、ヨルダン川流域にたどり着きました。

しかし、一族の人数に比べて土地が狭く争いが起きたので、ロトは水が豊富なヨルダン川流域の低地に、アブラハムは荒れたカナンの地に別れて暮らすことにしました。

ロトはその後、低地を離れてソドムに移住しました。

ソドムとゴモラは、ロトが移住する以前から悪事がはびこる街として有名でした。

その悪事とはどんなものだったのか「創世記」には詳しく書かれていませんが、ソドムの街の男たちが、神の派遣した二人の天使を辱めようとしたことなどから、性的に放埒(ほうらつ)であったのではないかと考えられています。

神はソドムとゴモラを滅ぼそうとしますが、いったんはアブラハムのとりなしを受け、正しい人が10人いれば滅ぼさないと約束します。

そしてソドムへ二人の天使を派遣して調べさせますが、ロト一家以外に天使を歓迎する人がいなかったため、ソドムとゴモラは滅ぼされることが決まってしまいます。

天使たちはロト一家を救うため、ロトと妻、二人の娘の手を引いて町外れに連れ出します。

そこから近くの町までロトが逃げてから、神は天から硫黄の火を降らして、ソドムとゴモラを滅ぼしました。

せっかくソドムから逃げ出したロト一家ですが、神が「逃げる途中、決して後ろを振り返ってはならない」と告げたにもかかわらず、ロトの妻は後ろを振り返ったため塩の柱になってしまったといいます。

ロトと娘たちは無事に逃げましたが、その後あまり幸せな人生を送ることができませんでした。

彼らは山で暮らしましたが、娘たちは子孫が残せないことを恐れ、父であるロトを酒で酔わせて交わることにします。

娘たちの企みは成功し、男の子を一人ずつ授かりましたが、言ってみればこれは近親相姦。

堕落したソドムとゴモラの悪い影響を受けたせいだと言われています。

なお、長女の息子は「モアブ」と、次女の息子は「ベン・アミ」と名付けられ、それぞれモアブ人の祖、アンモン人の祖となりました。


その他にも、この死海近辺には聖書ゆかりの地がたくさあります。

モーゼが約束の地カナンを目前に120歳で亡くなったといわれるネボ山、ヨハネがイエスに洗礼をほどこしたヨルダン川のほとり、そして死海文書もこの近辺で発見されました。

キリスト教徒にとっては大切な巡礼地です。

では、続き。プカプカ~な一日を写真で振り返る。

目的地は死海に数あるビーチの中のひとつ、アンマンビーチAmman Beach。
アルフセイン・モスクAl-Husseiny Mosqueのまん前から、路線バス(白い大きなバス)でムジャンマ・ムハジェリーンAl-Muhajereenというバスターミナルまで行きます。運賃0.3JOD/名、所要時間10分。
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次は、ムジャンマ・ムハジェリーンから、シューネ・ジャヌービーヤ行きの白いヴァンに乗り、ラーマ交差点で途中下車します。
運賃0.8JOD/名、所要時間40分。左はムジャンマ・ムハジェリーン。
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ラーマ交差点で下車したら、そこからはタクシーを利用することになります。付近に待機しているタクシードライバーと交渉すると2~4JOD位でした。

ですが、アンマンビーチまでの移動手段を探して交差点をウロウロしていると、親切なヨルダン人青年が自分達の大型観光バスに乗っていきなよっ、と声をかけてくれました(しかもただで)。

ということで、ビーチまでの最後の移動区間は、エアコンの効いた快適バスで移動、ありがとう!!


観光バスに乗って10分後、アンマンビーチに到着。
入場料は10JOD/名、シャワー、テーブルセット等の利用料込みです。
死海のほとりをさらに南に下ると、無料ビーチがあるのですが、そこは整備されていないので硝子で怪我をしやすかったり、女性はローカルのアラブ人にジロジロ見られ不愉快な思いをすることが多いとのこと。
なので、私たちはアンマンビーチを利用しました。
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このようにスタッフが常に清掃をしているので、ピカピカ。
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向こう岸はイスラエルです。
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パラソルの向こうに浮いているダリオ。
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日本では高い泥パックもここでは取り放題、塗り放題。
このオジサンは全身に泥を丹念に塗りたくり、ビーチをあっちこっち徘徊していました(笑)
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岸壁はこんな風になっています。
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ミルフィーユみたい。
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鍾乳洞のよう。
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塩の結晶。
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パカっと塩の塊をはがしてみた。
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4時間も遊んだらすっかり満足。帰りはタクシーでひとっ飛び、運賃10JD/台。
宿の猫ちゃん、ただいま~♪今日もチーズをあげちゃいました。
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荷物を置いて、手元にあるシリアポンドの両替えがてら街をウロウロ。
こんな民族衣装のお店がたくさんあります。
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でも、こんな衣装着ている人、この辺では見たこと無いよ。
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今日も美味しいピザ(のようなもの)屋さんに行く。
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定番のピザ(のようなもの。名前を聞くのを忘れた・・・)。0.75JOD/枚。
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これはコフタ、2JOD/皿。
真ん中に大きなハンバーグが入っていて、ソースはヨーグルトのような酸味があります。
トッピングはジャガイモ。
注文を受けてから、丁寧にオーブンで焼いてくれます。
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今日もよく遊んだな~。

アンマンへ

Parisaに頼まれたダマスカスでのミッションも無事クリアしたので、お隣の国、ヨルダンの首都アンマンへ移動しました。

いつものように、ヨルダン情報と少しだけアンマン情報。


ヨルダン情報(外務省HPより)

国名:ヨルダン・ハシェミット王国 

(Hashemite Kingdom of Jordan)


一般事情

1.面積 8.9万平方キロメートル(日本の約4分の1)

2.人口 585万人(2008年)

3.首都 アンマン(Amman)

4.言語 アラビア語(英語も通用)

5.宗教 イスラム教 93%、キリスト教等 7%

6.国祭日 5月25日(独立記念日)

7.略史 7世紀よりイスラム諸王朝の支配を受け、16世紀からはオスマントルコの支配下に入る。

年 略史
1919年 英の委任統治領となる
1923年 トランスヨルダン王国建国
1946年 トランスヨルダン王国として独立
1950年 ヨルダン・ハシェミット王国と改称

政治体制・内政

1.政体 立憲(世襲)君主制、元首は国王

2.元首 アブドッラー2世・イブン・アル・フセイン国王陛下(His Majesty King Abdullah II Ibn Al Hussein)(1999年即位)

3.議会 二院制、上院55名、下院110名

4.政府 
首相 サミール・リファーイ(Mr. Samir Rifai)
外相 ナーセル・ジュデ(Mr. Nasser Judeh)

5.内政
 人口の約7割以上を占めるといわれるパレスチナ系住民を抱えており、これらのパレスチナ人を体制内に取り込みつつ、高い失業率、貧困率等国内の不安定要因を除去すること及び安定的な経済発展の達成を図ることが内政の基本。

外交・国防

1.外交基本方針
 中東地域の穏健勢力としてアラブ・イスラム諸国との協調、全方位等距離外交の推進を基調。和平プロセスに前向きであり、1994年10月イスラエルとの平和条約に署名し、11月外交関係を樹立(アラブ諸国ではエジプトに次いで2番目)。

2.軍事力(ミリタリーバランス2010)
(1)国防費 16.4億ドル

(2)兵役 志願制

(3)兵力 100,500人(陸軍88,000人、海軍500人、空軍12,000人)

経済(単位 米ドル)

1.主要産業 製造業、運輸・通信業、金融業

2.GNI 195.3億米ドル(2008年)

3.一人当たりGNI 3,310ドル(2008年)

4.経済成長率 7.9%(2008年)

5.物価上昇率 14.9%(2008年)

6.失業率 12.7%(2008年)

7.総貿易額
(1)輸出 77.88億ドル(2008年)

(2)輸入 167.6億ドル(2008年)

8.貿易品目
(1)輸出 衣料品、燐鉱石、カリ、化学肥料、医薬品

(2)輸入 原油、自動車・車両、機械類、電気機器

9.貿易相手国
(1)輸出 インド、イラク、米、サウジアラビア、UAE、シリア、イスラエル、レバノン、日本

(2)輸入 サウジアラビア、中国、モンゴル、独、米、エジプト、ウクライナ、韓国、イタリア、インド、日本

10.通貨 ヨルダン・ディナール(JOD)

11.為替レート 1JOD=約1.41米ドル=約126円(2010年3月)

12.経済概況
 ヨルダン経済は、1990年代以来IMFと協調して進めてきた経済構造改革プログラム(2004年7月終了)を通じたマクロ経済・財政運営面での改革の成果等により、近年は平均で年5%を超える高い成長を実現していたが、最近は世界経済の悪化、特に2008年の世界的金融危機の影響を受け、経済状況は悪化している。

 都市・地方間の取得格差、高い水準で推移する貧困率・失業率、多額の公的債務残高など構造的な問題を抱え、依然として外国からの資金援助、地域の治安情勢、外国からの短期的な資本流入の動向等に左右されやすい脆弱性がある。

13.対外債務残高 51.54億ドル(2008年)

経済協力

1.日本の援助実績
 日本は地域の平和と安定や和平プロセスにおけるヨルダンの重要性等に鑑み、これまで同国に対して積極的な経済支援を実施してきている。従来より、技術協力、無償資金協力、円借款と、各種形態により援助を実施しており、これまでの二国間援助累計額においては、中東地域ではエジプトに次いで第2位の被援助国。

(2008年度までの累計)

(1)有償資金協力 2,044.25億円(交換公文ベース)

(2)無償資金協力 590.94億円(交換公文ベース)

(3)技術協力 275.17億円(JICA経費ベース)

2.主要援助国
(1)米国(2)EU(3)韓国(4)ドイツ(5)中国 (2008年)(6)日本

1999年のアブドッラー国王来日時に3年間で4億ドルの経済支援パッケージを実施。
2002年6月のアブドッラー国王来日時に総額約37億円の無償資金協力を実施。
2003年3月、イラク戦争勃発時に総額1億ドルの無償資金協力を表明。
2004年12月、アブドッラー国王来日時に総額3600万ドル(40億円)の無償資金協力を表明・実施。
2006年7月、小泉総理のヨルダン訪問時に1,200万ドルのノンプロジェクト無償資金協力を実施。
2008年2月、ヨルダンの経済・社会開発に向けた取組を支援するため、15億円のノン・プロジェクト無償資金協力を実施。
2009年5月、アブドッラー国王来日時に18億円のノン・プロジェクト無償資金協力を実施。

二国間関係

1.政治関係
(1)1954年国交樹立。日本は1974年大使館を設置。先方も同年在京大使館を設置。

(2)皇室・王室間の伝統的友好関係を含め、極めて良好な関係を維持。アブドッラー国王陛下は10回の訪日歴を有する親日家。

2.経済関係
ヨルダンにとって、日本は第9位の輸入先で第7位の輸出先(2008年)

(1)対日貿易

(ア)品目
対日輸入 機械機器、輸送機械
対日輸出 燐鉱石、カリ肥料
(イ)貿易額(2008年)
対日輸入 5.5億米ドル
対日輸出 1.9億米ドル
(2)日本からの直接投資5件

3.原子力協力
 2010年4月のアブドッラー国王訪日時に、原子力協定交渉の開始に合意。

4.文化関係
 文化人招聘及び派遣、スポーツ交流等の他、文化無償資金協力(22件総額約8.5億円)を行っている。2004年、日本とヨルダンは外交関係樹立50周年を迎え、2009年11月にヨルダンにて日本週間を開催したほか、2009年10月に中東地域で人気の邦人漫画家による講演会、2010年2月には邦人ピアニストによる音楽交流事業等が行われた。

5.在留邦人数 約246人(2008年10月現在)

6.在日当該国人数 約176人(2008年12月現在)



アンマン情報

アンマンの人口はおよそ120万人で、ヨルダンの全人口の4分の1ほどにも及び、ヨルダンの政治、経済の中心都市となっており、近代的なビルが立ち並ぶ近代都市である一面で、昔ながらの市場(スーク)のあるダウンタウンを抱えています。

ヨルダン川にも比較的近く、イエスが洗礼を受けたとされるワディ・ハラール(Wadi Kharrar)まで車で45分ほどであるため、多くのキリスト教徒が訪れます。

また、イラク西部と陸路で直結しており、2003年のイラク戦争前後から、混乱の続くイラクへと陸路で入ろうとする人々の中継点としても注目を集めました。

アンマンの地は新石器時代の9000年前以来の定住地で、古代エジプトの統治を受けた時代に、アメン神の名を冠したアンモンという名の都市が建設されたと伝えられます。

聖書ではアンモン人の主要な都市として、ラバ、もしくはラバトの名で登場します。




では、写真で振り返るアンマンへの移動。

国境越えは朝早いうちに。
荷物を整理して6:45チェックアウト、市バスに乗ってAl-samariyeh garageに向かいます。市バス運賃10SYP/人。
今日は金曜日で世間は休日。いつもなら大混雑の道はスイスイ、ものの15分でターミナルに到着しました。

8:30のバスに乗る予定でしたが、一本前の7:30発のバスに乗ることができました。
今日はJETTというバス会社。トルコ・シリアで非常に評判の良い会社ですが、使用するのは今回が初めて。
運賃は500SYP/人。
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バスは定刻にアンマンにむけ出発。
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何もない道を走る。でも羊だけはいる。
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ここは、シリアの出国手続きを終え、バスでしばらく走ったところにある国境地点。
線路が走っています。週に一本、シリア-ヨルダン間を結ぶ列車が出てるとか・・
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ヨルダン側イミグレーションに到着。
ここで全ての荷物をバスから出し、ポリスのチェックをうけます。所要時間は1時間ほど。
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まずは両替え。JOD(ヨルダンディナール)/JPY=約132です。
ここでのJODへの両替えは、どの店もSYPだけ異常にレートが悪く(手数料12%!!)、私たちは手持ちのEURからチェンジしました。
シリア人を見ていると誰もここでは両替えしていませんでした。

次に入国審査。
出入国カードも不要で、ものの10秒でスタンプゲット。ヨルダン人はとても仕事が速いです。
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12:40、アンマンのJETT社オフィス前に到着。

JETT社のバスは、出発前に人数確認をするし(これ重要。置いてかれる心配が無い。)、国境でも車掌がパスポートコントロールの窓口にまで同行し、入国がスムーズに運ぶようにサポートし、全員の手続きが終わるまでそこに待機しています。とても安心して国境を越えられました。


バスの到着地からタクシー(というか旅行代理店のオジサンの社用車)に乗りダウンタウンへ。タクシー代2JD。
オジサンの提携しているホテルに連れて行かれましたが、それを振り切り自分達で歩いてホテルを探す。
アンマンの宿はFarah Hotelに決定。
エアコン、FAN、テレビ、朝食付き、トイレ・シャワー共同で18JOD/ダブル。WIFIは24Hで2JOD。
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宿には懐っこい猫ちゃんがいる!
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子猫だ!猫好きダリオ、ハッスル、ウキウキ。
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夕暮れのアンマン。
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初日のアンマンの印象、特に何もないかも・・・
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ダリオ&ハニコ

Author:ダリオ&ハニコ
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