Vagabond Shoes

Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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ベイルート

バールベックから首都ベイルートに移動しました。

移動方法はとても簡単、宿からすぐ近くのバスターミナル(というより駐車場)に行き、ベイルート行きのセルビスに乗るだけ。乗車賃は6000LBP/名。

セルビスは9:55にバールベックを出発。クネクネと山道を通り、何度か兵士の検問を受け11:40にベイルート到着。

ところで、いどうにでお世話になるタクシーやバスですが、イラン以降は、どの国のドライバーも飛ばす飛ばす。。。
当然事故も良く起こっているようで、追突や大破した車を見たのも、一度や二度ではありませんでした。
しかし、今回のセルビスの若いドライバーが最も命知らずのクレイジードライバーでした。
見通しの悪い山道のカーブで危険な追い越しを何度もするし、追い越し様によそのドライバーに怒鳴って文句を付けてみたり、、、毎日何度も運転している慣れた道程なのでしょうけどヒヤリとする場面が何度もありました。
F1ドライバーにでもなったつもりなのかもしれませんが、止めてもらいたいものです。


さて、イカれた車でベイルートに着いたはいいのですが、訳の分らない道端でセルビスから降ろされてしまいました。目当ての宿まではまだ遠くのようで、タクシーに乗って到着。

今日の宿は、Pension al-Nazilのドミトリー(4人部屋)、15USD/人。
ベイルートは今がオンシーズンらしく、宿はどこも満杯。予期せず人生初のドミトリー。
タクシー代といい、ドミトリー代といい、レバノン(特にベイルート)はこれまでの国と比べると物価が高いです。
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街を散歩しにでかける。あのビルの上のサッカーボール、ワールドカップ仕様?
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Mohammed al-Amin Mosque
ラフィーク・ハリーリRafiq Hariri元首相がここに埋葬されているそうです。なんだか新しいモスクで面白みにかけるためパス。
ちなみにラフィーク・ハリーリ元首相の次男が、現首相サアド・ハリーリ氏です。
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St George's Cathedral
なんだかここも綺麗で面白くなさそう、なのでパス。通り過ぎただけ。
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西洋化した街並み。中東のパリと言われているそうな。
元宗主国のフランス人がバカンスに大挙するそうですよ。フランス語を話せるレバノン人も多いです。
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綺麗なだけど、退屈な街。
内戦で全てが壊される前は、古きよき街並みがあったのでしょうか。
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宿のすぐ近くの港。
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Al-Omari Mosque
12世紀に聖ジョン教会として築かれた建物ですが、1291年にモスクに転用されました。
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きっとこの真正面が、教会の中心部分だったのでしょう。
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熱心に祈りを捧げる。
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スーパーに行ってみる。まるで日本のデパ地下のようです。何でも揃っていました。
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ここは裕福なレバノン人や観光客御用達と思われるショッピングエリア。
レバノン人の家族連れは、ほとんどがメイドを連れています。大抵メイドは東南アジア系かアフリカ系。
少し分りにくいですが、この写真の奥にも黒人のメイドさんが映っています。
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ローマ浴場の遺跡。
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レバノンは1975年から1990年まで内戦状態にありました。

同じ国民でありながら、ムスリムとクリスチャンの陣営に別れて、凄惨なリンチや拷問を加えて殺しあう壮絶な内戦だったそうです。

街を歩いていると、今でもところどころに内戦の傷跡を見ることが出来ます。

これは、銃弾の跡をコンクリートで埋めた部分で、水玉模様になっています。
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さて、レバノンではバールベック遺跡と内戦の跡を見るという目的を果たしたので、シリアに戻ることにしました。

ほぼ数十メートルおきに見ることの出来る兵士、戦車や機関銃が装備された装甲車。パレスチナ難民の粗末なテント、街中を監視する兵士と警官、監視カメラ、そしてレバノン南部でいまだに続くヒズボラとイスラエルの戦闘、現代まで続く中東が抱える問題を目の当たりにした訪問でした。

ちなみにヒズボラは、アメリカにテロ組織呼ばわりされていますが、ここレバノンでは議席を有すれっきとした政党です。その活動資金はシーア派の同志であるイランの支援を受けていると言われています。
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バールベック

バールベックにやってきたのは、この遺跡、Baalbek Ruinsを見るため。

疲れた体に鞭を打ち、早速でかけました、とはいっても宿の目の前なのですが・・・

この遺跡は、紀元1-2世紀に築かれたローマ遺跡の神殿跡です。

バールベックとは「ベカー高原の主神」を意味し、ここにフェニキアの神ハダド(バアル)が祀られていた事に由来するといわれ、本来はフェニキア系の神々の聖地だったそうです。

しかし後にギリシア・ローマ系の神々と習合し、祭神はジュピター・ビーナス・バッカスと呼ばれるようになりました。
遺跡はこれら三神をそれぞれ祀る三つの神殿から構成され、世界でも有数のローマ神殿跡だそうです。

大地震にも耐え、そして宗教がキリスト教、イスラム教に変わっても破壊されること無く、非常に良い状態で今日まで残っているローマ遺跡として有名です。もちろん世界遺産にも登録されています。

これは遺跡の敷地内に入る前にあるヴィーナス神殿。
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チケット12000LBPを購入し、遺跡に入場。これは入ってすぐの大階段を上ったところ。
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精巧なレリーフの施された巨石がゴロゴロと転がっています。
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こんな大きな石をどうやって運搬したのか。やっぱりレバノン杉で転がしたのだろうか。
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ドームの跡がちゃんと残ってますね。
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階段を登り、かつて中庭だったところを見下ろす。
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高台は、紀元60年に築かれたジュピター神殿の跡。
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ジュピター神殿の柱。
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この柱の太さ!!!
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この迫力!!!
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高台から真正面に見えるのはバッカス神殿。
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バッカス神殿に入ってみる。広いです。
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この神殿は紀元150年に築かれたもの。綺麗に残ってますよね。
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倒れかけた柱。
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1800年代の落書きがたくさんあります。
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バッカス神殿の外壁の柱。
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天井から落ちてきたレリーフが壁沿いに展示されています。
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レリーフは、ヴィーナスだったりメデューサだったり。神話の登場人物が彫られています。
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柱の細工も見事に残っています。
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日が沈んできました。
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ライオンの彫刻。
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たっぷり1時間40分見てまわり、遺跡が閉まる間際に退場。
管理人室は、猫パラダイスでした。
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ライトアップされたバールベック遺跡。あ~楽しかったなぁ、頑張ってここまで移動してきて良かった♪
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レバノン入国

のどかで快適なハマを発ち、レバノンのバールベックBaalbekという町を目指すことにしました。


8:00起床、まずは腹ごしらえ! 昨日買っておいた甘い菓子パンが朝食。
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いざ出発。ホテル近くの道端からセルビスに乗り、ハマのプルマンガラージュ(長距離バスターミナル)へ。乗車賃5SYP/名、所要時間10分。
そして、ハマのプルマンガラージュから、10時発ホムス行きのバスに乗ります。今日もAl-Ahliah社の立派なバス(左の写真)。乗車賃は30SYP/名、所要時間40分。
ホムスのプルマンガラージュに到着し、ターミナル前の大きな幹線道路を反対側に渡ると、セルビスや路線バスがたくさん停車している場所があります。そこから路線バス48番(綺麗で大きなバス)に乗り、ドワトドムールに向かいます。乗車賃7SYP/名。所要時間30分。
車掌さんに『ドワトドムールに行きたい!!』と伝えておけば、降車場所をちゃんと教えてくれます。
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ドワトドモールは、ホムスの南にあるバスターミナルのこと。こんな塔のあるロータリーの横にあります。
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ドワトドモールから、こんな古~いバスに乗って、Al-Qaaというシリアとレバノンの国境へ行きます。
乗車賃37.5SYP/名、所要時間45分。
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やっとシリアの国境に到着。出国税500SYP(なぜかさらに+50SYP。シリア人もみなさん支払ってた。)を支払い出国スタンプを貰います。
このたかだかスタンプを押してもらうのに恐ろしいほどの時間がかかりました。シリアの役人の仕事の遅さは尋常ではないと聞いていたけど、まさかここまでとは!!!40分くらい待ったでしょうか。
あまりに待ち時間が長いため、レバノン情報(外務省HPより)。


国名:レバノン共和国(Republic of Lebanon)

一般事情

1.面積 10,452平方キロメートル(岐阜県程度)

2.人口 約420万人(2008年世銀)

3.首都 ベイルート

4.民族 アラブ人

5.言語 アラビア語(仏語及び英語が通用)

6.宗教
 キリスト教(マロン派、ギリシャ正教、ギリシャ・カトリック、ローマ・カトリック、アルメニア正教)、イスラム教(シーア派、スンニ派、ドルーズ派)等18宗派

7.略史  
年月 略史
16世紀 オスマン・トルコの支配下に入る
1920年 仏の委託統治領となる
1943年 仏より独立
1975年 レバノン内戦始まる
1978年 イスラエルのレバノン侵攻
1989年 ターイフ合意(国民和解憲章)成立
1990年 内戦終結
2000年 イスラエル軍南レバノンから撤退
2005年 シリア軍レバノンから撤退

政治体制・内政

1.政体 共和制

2.元首 ミッシェル・スレイマン大統領(2008年5月就任)

3.議会 一院制(128議席 キリスト教徒とイスラム教徒が同数 任期4年)

4.政府
(1)首相名 サアド・ハリーリ(2009年11月就任)

(2)外相名 アリー・フセイン・アッシャーミー(2009年11月就任)

5.内政
 レバノンには18の宗派が存在し、各宗派に政治権力配分がなされ、バランスの確保に意が用いられている(大統領 マロン派、首相 スンニ派、国会議長 シーア派)。
 2005年2月にラフィーク・ハリーリ元首相が暗殺されて以降、国内ではイスラム教シーア派のヒズボラなど親シリア派と故ハリーリ元首相の次男サアド・ハリーリ氏を中心とするイスラム教スンニ派のグループなどの反シリア派が激しく対立してきたが、2009年6月に実施された国会総選挙で、反シリア派が引き続き議席の過半数を確保する勝利を収めると、同年11月にはサアド・ハリーリ氏が首相に就任し、親シリア派も含めた「挙国一致内閣」を樹立した。

外交

1.全般
 レバノンは、シリアとは伝統的に緊密な関係にあり、内戦開始以降のシリア軍レバノン駐留(1976~2005年)に見られるように、長くシリアの強い影響下にあったが、国内外の圧力もあり、2008年にレバノン、シリア間の外交関係が正常化。
 中東和平問題に関しては、レバノン・シリア両トラックの一体性を強く主張し、公正かつ包括的な和平を求めている。中でもレバノンは、民族宗派間の人口バランスを崩すパレスチナ難民のレバノンへの帰化を拒否し、難民の帰還権を強硬に主張する立場をとっている。また、ヒズボラなど対イスラエル抵抗組織の活動を許容する立場を示している。アラブ連盟の一員であり、アラブ諸国との外交に重点。また、旧宗主国である仏とも緊密な関係にある。

2.対イスラエル
 1970年代にパレスチナ勢力がレバノンに流入して以降、レバノンは中東和平問題に巻き込まれ、1978年には南レバノンを占領される。2000年5月には、イスラエルが占領地である南レバノンから撤退したが、レバノンはシェバア農地が依然としてイスラエルに占領されたままであるとして、イスラエル軍の撤退を求めている。これにより、シェバア農地周辺におけるヒズボラの抵抗運動は現在も継続。
 2006年7月には、ヒズボラがイスラエル軍を襲撃し兵士8名を殺害、2名を拉致したことから、イスラエルとヒズボラ間の戦闘が勃発し、双方に多数の死傷者が出た(翌8月、安保理決議1701が採択され停戦が発効)。引き続き、シェバア農地を含めたシリア・レバノン間の国境の画定やヒズボラ等国内武装勢力の武装解除などを内容とする安保理決議1559、1680、1701をはじめとする関連安保理諸決議の完全履行が課題。

3.対シリア
 シリアが歴史的経緯からレバノンを特別の同胞国とみなし、1990年のレバノン内戦終結後も推定約1万4千人の軍部隊を駐留させ、実質的にレバノンを支配してきたこともあり、その間、レバノン自体も親シリアの政体によって統治されてきた。しかし、2005年2月にハリーリ元首相が暗殺されると、脱シリア支配が国内で声高に叫ばれ、米仏を中心とする国際的な圧力もあって、シリアが05年4月に軍をレバノンから撤退。その後、2008年10月にレバノンとシリアは外交関係樹立を宣言する共同声明に調印し、関係正常化を実現した。

4.対米
 米は、レバノン内戦中に多国籍軍へ派兵したが、83年にはヒズボラによる自爆攻撃で海兵隊員241名が一度に犠牲になる事件が発生したこともあり、その後、米軍は撤退。
 米は、特に2001年の同時多発テロ事件以降、対イスラエル抵抗運動を継続するヒズボラに厳しい目を向けており、同年11月には資産凍結対象テロ組織リストにヒズボラを掲載。仏と共に採択に力を注いだ04年の安保理決議1559、2006年7~8月の衝突後に採択された決議1701においても、レバノン国内武装勢力の解散・武装解除を求めている。

5.対仏
 旧宗主国である仏とは政治、経済など全般的に緊密な関係にある。仏は、内戦後のレバノン復興を目的とした国際会議をこれまで3回(1992年、2002年、2007年)パリでホスト開催するなどイニシアティブを発揮してきた。

国防

1.軍事力(ミリタリーバランス 2009年)
(1)国防費 7億5,100万ドル(2008年時)
(2)兵力 5万6,000人 (陸軍5万3,900人、海軍1,100人、空軍1,000人)

2.国防戦略
 南レバノン情勢の安定実現のため、レバノン国軍は国連レバノン暫定軍(UNIFIL)と連携し、後方支援を受けながら南レバノンでのプレゼンスを維持している。国防力増強のため、主に米や仏や伊などの欧州諸国からの軍事支援を受けている。

経済

1.主要産業 貿易、商業、軽工業(繊維、宝石、食品加工)、金融業

2.GDP(名目) 286.6億ドル(一人当たり6,350ドル)(2008年世銀)

3.GDP成長率 2.0%(2007年世銀)

4.インフレ率 5.5%(2008年世銀)

5.失業率 20%(2006年推定)

6.貿易
(1)輸出 34億8,400万ドル(2009年財務省関税局)

  主要輸出品=卑金属、化学製品
  主要輸出先=UAE、スイス、イラク、シリア、サウジアラビア(2008年レバノン経済・貿易省)

(2)輸入 162億4,200万ドル(2009年財務省関税局)

  主要輸入品=石油製品、自動車、医薬品
  主要輸入元=米、中、仏、伊、独(2008年レバノン経済・貿易省)

7.為替レート レバノン・ポンド(LBP)1ドル=1,507レバノン・ポンド(2009年)

8.経済概況
 内戦以前の首都ベイルートは「中東のパリ」と呼ばれ、中東のビジネス・金融センターとして繁栄していたが、内戦によってシステムが崩壊。1990年の内戦終了以後、経済復興が進められており、ベイルートの街並みなども再び整備されてきているが、06年のイスラエルとヒズボラの武力衝突で国家全体のインフラ被害などが生じていることもあり、膨大な累積債務(約500億ドル(2009年))をどのように解消するかが大きな課題となっている。

経済協力

1.主要援助国 米、仏、伊、スペイン、独(2007年)

2.日本の援助(2008年度末まで)
(1)有償資金協力 130.22億円

(2)無償資金協力 28.55億円

(3)技術資金協力 11.58億円




無事出国手続きを終えると、次はBaalbek行きのセルビス(Baalbekまで300SYP/名、シリアポンドで支払可)に乗り込み、レバノン側のイミグレーションに向かいます。
シリアとレバノンのイミグレーションはとても離れたところにあり、徒歩での移動は不可能です。
レバノンのイミグレーションに到着したら、一旦セルビスを降りて入国手続きをします。レバノンの役人の手際良さは素晴らしい!!!ものの1分で入国審査は終了、シリアと大違い・・・
しかも、ここの国境はレバノンVISA無料!!素晴らしい!!!
売店でレバノンポンドに両替えをし、レバノン通貨を少しだけゲット。
1000LBP/JPY=約61です。

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そして再びセルビスに乗り込み、何も無い道路を進む。ずいぶん荒涼とした景色。
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道中こういうテントをたくさん見かけました。パレスチナからの難民です。
ニュースでしか知らない現実が目の前に・・・
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そして道路には、ライフルをもった大勢の兵士が町を監視し、何台もの戦車が大砲を空中に向け、いつでも対戦可能な状態で待機しています。まったく別世界に来てしまった気分。

内戦、イスラエルとの戦争、テロ。今でも緊張状態にあるようです。


14:50、ついにバールベック到着、長い道のりでした。
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ホテルは2軒回ってHotel Shoumanに決定。
FAN、トイレ、ホットシャワー、テレビが付いて45000LBP/ツイン。
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部屋からの景色。バールベック遺跡が目の前です。
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荷物を置いて、早速町をウロウロ。
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市場に潜入。
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町で売っている商品もぐっと垢抜けました。
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いやはや、今日の移動は大変でした。。。

着いたばかりですが、これから遺跡を見に出掛けます。それは次の記事でどうぞ!!!

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ダリオ&ハニコ

Author:ダリオ&ハニコ
夫婦で旅してます。

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