Vagabond Shoes

Now we are in Bali, Indonesia. 2009年末から旅に出ました。

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セイエッド・ザイナーブ廟(動画)

女性側の廟内部です。
熱気と体臭と足臭さムンムンです。


画面中央の再生ボタンからどうぞ。

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セイエッド・ザイナーブ廟

今日はダマスカスの南方10キロのところにあるセイエッド・ゼイナブ廟Saida Zeinabに行ってみました。

ということで、まずセイエッド・ゼイナブ廟Saida Zeinabの説明。

第4代カリフ(初代イマーム)アリーとファーティマの間に生まれた娘であり、ムハンマドの孫娘にあたるセイエッド・ザイナブ(al-Sayyida Zaynab al-Kubrā)の廟として多くの人びとの崇敬を集めています。

現在ではイラクのアタバート、イランのコム、マシュハドと並んでシーア派にとって重要な参詣地となっています。

イランやイラク、レバノンといったシーア派が多数存在する国のみならず、湾岸諸国や南アジアからも数多くの人びとが参詣に訪れ、現在では年間200 万人規模の参詣者が訪れるそうです。

セイエッド・ザイナブは初代エマーム・アリーとファーティマの娘、二代目エマーム・ハサン、三代目エマーム・フサインの妹としてマディーナで生まれました。幼少より聡明で、賢い女性であったそうです。

親戚のアブドゥッラー・イブン・ジャアファル・タイヤールと結婚し、4人の息子(アリー、アウン、ムハンマド、アッバース)と1人の娘(ウンム・クルスーム)に恵まれました。

しかし、680 年に兄の三代目エマーム・フサインやその近親者、仲間たちとともにマディーナからクーファへと向かったセイエッド・ザイナブは、カルバラーの戦いにまきこまれることとなります。

時のウマイヤ朝カリフ・ヤズィードの軍隊によってフサイン一行の男性たちは虐殺され、セイエッド・ザイナブも兄フサインと息子2人(アウンとムハンマド)を失います。

彼女自身も戦いの後に生き残った者たちとともに捕虜となり、ダマスカスに連行されてしまいます。

その際、彼女はクーファでは兄フサインを助けなかったクーファの民と、兄を殺したイブン・ズィヤードを非難し、ダマスカスでは時のウマイヤ朝カリフ・ヤズィードを痛烈に非難したのです。

しばらくダマスカスで幽閉されていたが、その後解放され、他の者たちとともにマディーナへ帰還したそうです。

しかし、その後の彼女の消息については決定的な史料が存在しないため諸説が存在し、現在でも論争が続いています。

有力な説のひとつは、マディーナへ帰還した後に当地で没したとするもの。

ひとつは、マディーナへ帰還後、近親者とともにエジプトの地へと渡り、カイロで没したとするもの。

もうひとつはマディーナへ帰還した後に夫とともにダマスカスに戻り、当地で没したとする説である。

現在ではカイロ説に由来するセイエッド・ザイナブ廟がカイロに、ダマスカス説に由来するセイエッド・ザイナブ廟が今日訪ねたセイエッド・ゼイナブ地区に存在します。


聡明なゼイナブは、シーア派女性に絶大な人気があり、セイエッド・ザイナブ廟は女性巡礼者で大混雑。

めったに観光客が訪れないこの廟に、ムスリムでもない私たちが行った理由は、イランのシラーズで街を案内してくれたParisaという女性に、『もしダマスカスのザイナブ廟に行くのなら、私のためにお祈りをしてきてね』とお願いされていたから。

廟の写真をParisaに後でメールしようと思います。

では、写真で振り返る今日一日。

セイエッド・ゼイナブ廟方面行きのマイクロバスは、Sh Fakhri al Baroudi St.にある、このモスク前から出発。運賃10SYP/人。
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こんな道端でバスを下ろされた。舗装されていない道路、なんかこの感じ、この雰囲気、どこかで・・・
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物乞いをする子供達、雑然とした雰囲気、これはちょっとインドっぽい?
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しばらく歩き、キンピカのセイエッド・ザイナブ廟に到着。チャドルを借りて中に入ります。
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ここは女性専用入り口。カメラをかまえて潜入。
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ウギャー、なんだこの熱気は!!絨毯には隙間無く女性達が座り込み、廟までの通路は満員列車並みの混雑。
汗の匂いと、ムっとした空気と、足臭さ(靴を脱いでいるから)で気絶しそう。
そして、泣きながら参拝をする女性達。『Zainab!!』とか『Assalam Alaikum!!』とか『Allahーー!!』とかいろんなことを叫びながら祈っています。
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ダリオは男性エリアに潜入。うってかわって空いている・・イイナ。
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きらびやかな内装だな~。
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このアラブ人男性、シブイ顔してる。
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精巧なタイル使い。シーア派らしい内装。
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Parisaの願いにこたえることができて、ホっと一安心。
帰りはセルビスで中心街まで帰ってきました。
お腹が空いてピザパンを食べる、15SYP/枚。アツアツでチーズトロリ、うまーーー!!!
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街を歩く、この辺りはセクシー下着ショップの並ぶ界隈。
チャドルの下には、そんなセクシーパンツをはいているのか!!!
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街を歩く。
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手作りの靴屋さんがありました。なかなか可愛い商品がかかっています。
しばらく眺めていると、地元の人達もたくさん買いにやってきていました。
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なんともいい味の靴。革のサンダルとバッグをお買い上げ。
サンダルは400SYP、バッグは850SYPでした。50オマケしてくれた。
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お店のオジサンは、この場所で親子2代続く革製品屋さんで、新聞や雑誌にも掲載されたことがあるそうです。
購入した後で、自分の載っている雑誌を、いそいそと嬉しそうに見せてくれました。
ちょうどサンダルを買いに来ていたカップルによれば、オジサンは耳が聞こえないのですが、読唇術で相手の言っていることが理解できるそうです。
暖かい表情の、素敵なオジサンでした。
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これは東西1500メートルにわたる『まっすぐな道』。
新約聖書の“パウロの改心”の舞台となった有名な道です。
エルサレムでキリスト教を迫害していたパウロが、イエスの弟子を捕らえるためダマスカスに来た際、突然落雷で失明してしまいます。。
すると天から「まっすぐな道に行け」という声が聞こえてきました。
これに従ったところ、聖アナニアに出会い、目が見えるようになり、この奇跡によって改心してキリスト教の伝道者となったという話。
聖アナニアとは、パウロに洗礼を授け改宗させたダマスカスの司教です。
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スークに潜入。
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立派な門構え。
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ドライフルーツの山。
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豊富なスパイス。
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このスークではアレッポの石鹸が売っていました。
しかも、本場アレッポの四分の一くらいの値段、20~30SYPで・・・。
モノが違うのかも知れませんが、どーなんでしょうね~。
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それにしても賑やか。
ここの近くにHammam Nureddinという、ダマスカス最古の男性専用ハマム(サウナ)があり、ダリオは夕方1人でリフレッシュしに行きました。入場料300SYP、体を洗ってもらう料金40SYP。
ダリオの感想は『どってことないサウナ』とのこと。
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クネイトラ

ゴラン高原にあるクネイトラQuneitraという街(の跡)に行って来ました。

クネイトラとは、シリア南西部のクネイトラ県の県都で、戦争で破壊され廃墟となっている都市。

レバノンおよびイスラエル国境に近い街で、ゴラン高原の谷間に位置し標高は1,010m。

クネイトラはオスマン帝国時代にダマスカスから南方へ向かうキャラバンの中継地として作られ、後にはイスラエル国境に近い戦略的に重要な都市として兵営が置かれ、人口は20,000人を数えました。

1967年6月10日、「6日間戦争」(第三次中東戦争)の最終日にシリアが放棄したクネイトラはイスラエル軍に占領されてしまいます。

1973年の「ヨム・キプール戦争」(第四次中東戦争)でシリア軍が一時は奪回したが、イスラエル軍の反撃により再度イスラエル軍が奪回します。

1974年6月にイスラエル軍は撤退しましたが、それまでに起こった戦闘の影響に加えて、撤退時の破壊行為によってクネイトラの街並みは今日の姿になっています。

現在、クネイトラの廃墟は国際連合兵力引き離し監視軍(UNDOF)の管轄するシリアとイスラエル間の兵力引き離し地帯にあり、両国の事実上の国境から程近い場所に位置します。

イスラエルはクネイトラを故意に破壊したことについて国際連合の非難を浴び、一方でイスラエルは、シリア政府がプロパガンダのため故意にクネイトラを再建しないと非難しています。


クネイトラまでの行き方は下記の通り。

①内務省でクネイトラに入る許可書をもらいます(許可証発行料無料、要パスポート)。タクシー代はアルマルジェから50SYPで十分。(メーターで行けば40SYPくらい)

②内務省を出て左に進み、一本目の角を左折。しばらく坂道を北に進むとバスやセルビスが通る路(Nazem Basha St.)に出ます。ここからAl-Samariyeh Garage行きのセルビスに乗車し終点で下車。乗車賃15SYP/人。

③Al-Samariyer Garageから終点(多分Khar al Rinbah。未確認。)のGarageまで行きます。乗車賃35SYP/人。

④ここでクネイトラまで入るセルビスを探す。乗車賃5SYP/人。
クネイトラまで100SYPだとか、1時間回って500SYP/人だとか声をかけてくるドライバーがいますが無視。
これで終点のクネイトラ入り口まで行けば到着!
入り口にある管理室で許可書とパスポートを提出すれば万事OK。


では、写真で振り返るクネイトラ。

クネイトラは自分達だけで見て回ることができず、係員が案内してくれます。案内料は無料です。
私たちを案内してくれたのは係員のアフマッド氏31歳。
丁寧に時間をかけて回ってくれました。


モスクの跡。この街はムスリムとクリスチャンが友好的に暮らす平和な街だったそうです。
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崩壊した家。幸いこの爆撃によって住民が亡くなるということはなかったそうです。
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ゴーストタウンです。
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国連です。
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病院の跡。
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銃弾の跡。
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撮影クルーが来てました。
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病院内部。
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病院内部・・
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ところで、同行してくれた係官との会話ですが、私たちがアラビア語を理解できればよいのですが、急にそうなれるわけでもなく、また彼の英語は単発の単語なので、詳しい戦闘の推移や事柄についての回答は得られませんでした。

彼はシリア側の人間なので、「イスラエル、ボンビング」や、機関銃を撃つまねをして、『イスラエルはとっても悪い』ということを強調して回ってくれましたが、実際にはこの地で戦闘が行われたときには、大多数の住民は避難しており、イスラエルが非戦闘員を攻撃したわけではないようです。
(別の話では、数人の非戦闘員がイスラエルの攻撃によって死亡したとの説もありますが)

クネイトラの病院には無数の銃弾の跡が残っており、これが病院が本来持っているはずの、生命を救うイメージとかけ離れている光景である為に、見る者に戦争の陰惨な面を際立って意識させます。

しかし、銃撃戦があったということは、応戦したシリア側の勢力もあったはずなので、病院は戦闘の舞台となったという事実以上でも以下でもないのではないかと思えました。
これを非戦闘員への攻撃があったように勘違いさせる(聞き手のアラビア語理解能力不足、話し手の英語会話力不足のために)のは、ちょっと違うのではないだろうか???、と思えました。


さておき、現在の主権国家の仕組みや民族自決の原則に則れば、通常の外交で互いの主張の食い違いを解決できない場合、戦争という外交手段を用いて解決することは避けられないのかも知れませんが、現実にその場に立つとなんとも陰鬱な気持ちになります。



ただただ瓦礫の山。
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教会の跡。
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墓地やらスタジアムやらがあったらしいけど、跡形もなし。
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花が咲いていました。
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なんとも寂しい風景。
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1時間ほど見学して、帰りのセルビスに乗車。
道中にはパレスチナ難民の暮らすテント。
レバノン北部との国境近くと同様に、多くのテントを目にしました。
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帰り道、のどかな農作業を見て、すこしホっとした一日でした。
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ダマスカス

ダマスカス市内を散策。


これはSouq al-Hamidiyya。平日の午後ですが、ショッピングをする地元民で大賑わい。
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旧市街一番の見所ウマイヤドモスクUmayyad Mosqueに行ってみました。入場料50SYP/人。
ウマイヤドモスクは、ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世によって705年に建築された現存する世界最古のモスクであり、世界最大級のモスクのひとつです。
もとはキリスト教の洗礼者ヨハネ教会であったが、7世紀になってダマスカスがムスリムの支配下に入り、10年の歳月を費やして敷地全体がモスクへと改装されました。
このため、通常のモスクとは違いローマ建築・ビザンティン建築の様式が色濃く出ています。
カーバ、預言者のモスク、岩のドームに次ぐイスラム教第4の聖地として、現在も巡礼者が絶えない場所です。
また、内部には当初から洗礼者ヨハネの墓があり、キリスト教徒にとっても重要な巡礼地のひとつであり、2001年にはヨハネ・パウロ2世が訪れています。
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渋い色合いのモザイク。
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モスクの中では、皆好きなところに座って寛いだり、お祈りをしたり。
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ヨハネの聖廟。
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見事な列柱。
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ウヤイヤドモスクの敷地内にあるフセインHusseinの聖廟。
フセインはイマーム・アリーAliの息子、そしてムハンマドの孫にあたり、この聖廟はシーア派信者にとってはとても重要な場所。
たくさんのイラン人が巡礼にやって来るそうです。
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ウマイヤドモスクのチケットオフィスのすぐ横には、ムスリムの英雄サラディーンの霊廟があり、遺体の入った棺が置いてあります。

中東を周遊しながら、サラディーン率いるムスリムと十字軍の戦いについての知識を少し得ることができたので、この霊廟を訪れることが出来、感慨深いものがありました。

しかし英雄は大変だね、亡くなってからも人がたくさん訪ねてきて忙しい。

ちなみに撮影禁止なので写真はありません・・


次はSayyida Ruqayya Mosque。入場料無料、チャドル無料貸し出し。
フセインの息子であるアリーの娘を祀ったモスクです(ややこしいな・・・)。
ここもシーア派信者にとって最も重要な聖地の一つで、たくさんのイラン人が団体で巡礼旅行にやってきます。
黒づくめのこの引きずりそうな長い丈のチャドルは、イランで毎日見かけたもの。
イスラームの国を旅するうちに、各国の衣装の違いをなんとなーく見分けられるようになってきました。
シリアはスンニ派が主流、このシーア派のモスクはイランのお金で建築されたそうです。
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入り口は男性用と女性用が分かれています。内部はこんなキラキラのイラン風!懐かしい・・・。
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万華鏡のような装飾。男性側は皆ポーズをとって記念写真を撮っています。
一方女性側では、たくさんの女性巡礼者が号泣しながら霊廟にすがっていました。
この光景もイランの聖廟でよく見た光景。

ところで、偶像崇拝を禁じているイスラームで、聖廟参りは個人を崇拝することになり、ひいては偶像崇拝になるのでは、と不思議だったのですが、ムハンマドに近い親族のお墓参りをするというのは、シーア派のみの習慣だそうです。
シーア派教徒にとってムハンマドの直系の子孫は、無謬性が神から与えられている絶対神聖なリーダーだそうです。
一方のスンニ派の指導者は、血統に関係なく、選挙という民主的な方法で選出されます。

さて、ここに祀られている女性は、なんと3歳半で無くなった幼児で、別になにかの功績があるわけでもありません。
いかにもムハンマドの血統を重要視するシーア派らしいですね。
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このタイル使い、このシャンデリア、このミラー、いかにもイランな感じ。
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モスク見学の後は、旧市街をブラブラ。旧市街全体は世界遺産に登録されています。
若いシリア人たちが買い食いしていたお店で、私たちも買い食い。
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トマトソースとチーズのロール、35SYP。
軽いビッツァのような味です。
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暑い、暑いよ~!!!アレッポから少し南に下っただけなのに、なぜにこんなに暑いのか。
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おじさんも一休み。
シリアでは、このモノトーンの建築が主流のようです。シックで素敵です。
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このグリーンの日除け素敵。
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猫ちゃんに遊んでもらった!!
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ダマスカスでの一番のお気に入り、それはオレンジのソルベ。
オレンジ果汁を絞って漉してジュースにし、それを完全に凍る寸前の状態でいただきます。
洗濯機のように回転する機械から、半凍りになったシャーベットをスコップでかきとってカップに詰めてくれます。
一番小さいカップで10SYP/杯。150mLくらいの容量でしょうか。

街中のあちこちにソルベ屋さんがあるのですが、中にはオレンジ風味を合成した無果汁のソルベ屋もあります。
そういうお店のはあまり美味しくありませんでした。
私たちが食べた中では、青果市場を東に進んだ旧市街の北側の城壁沿いにある金物街近くの店のが、一番で美味しかった。いつもおじさん達で大賑わい。
暑いこともあり、毎日3杯は食べています。
暑さに疲れた体も、すっきり元気になりますよ!
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ダマスカスへ

ベイルートから、再びシリアへ。今度の目的地は首都ダマスカスです。

移動方法はとても簡単、宿からすぐ近くのCharles Helou Bus StationのZone Aから、ダマスカス行きのバスに乗るだけ。

SAADという会社で朝7:30バスのチケットを購入、代金は9USD/名(言い値10USD)。


今日のバスの装飾。
このオジサン、ヒズボラの指導者、ナスラッラー師です。シリアでもレバノンでもいたるところで目にします。
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バスはほぼ定刻どおりにベイルートを出発。

今回の会社は手際が良く、車内に両国の出入国カードが準備されていたので国境での所要時間が短縮されました。

私たちはダブルエントリーのビザを持っていたのでスイスイ入国。

しかし、バスの乗客で、アライバルビザを申請する外国人が1人だけいました。

彼は、ドライバーに、
「シリアのアライバルビザは時間がかかるよ~。まぁ3~4時間は見ておいたほうがいいね!!」と悲劇的なことを言われ、寂しく国境に置いていかれてしまいました。。。

シリアの仕事は遅いからね・・・


もうすぐダマスカスに到着。でもその前に、ちょっとダマスカス情報。

ダマスカスはシリア(シリア・アラブ共和国)の首都。

旧約聖書の書かれた時代から約4000年続く、現存する最古の都市のひとつであり、地中海の交易の中心として栄えたダマスカスは今もなお、活発に機能している大都市です。

カシオン山の山麓、バラダ川沿いに城壁で囲まれた古代から続く都市と新市街が広がり、現在の人口は約200万人といわれるが、都市圏全体では400万人に迫るといわれます。

ちなみにカシオン山とは旧約聖書ゆかりの地で、そこにある『血の洞窟』という場所が、カインが弟のアベルを殺した場所、人類の最初の殺人現場なのだそうです。

-以下、旧約聖書より-

人(アダム)はその妻エバを知った。

彼女はみごもり、カインを産んだ。次にその弟アベルを産んだ。

アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。

カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。

アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。

主はアベルとその供え物とを顧みられた。

しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カイン大いに憤って、顔を伏せた。

カインは憤り、カインは弟アベルに言った、「さあ、野原に行こう」彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。

主はカインに言われた、

「弟アベルは、どこにいますか」カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」

主は言われた、

「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口を開けてあなたの手から弟の血を受けたからです。あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」

というお話です。でも何故神様はカインのお供え物を気に入らなかったのでしょう、不思議です。


では、続き。
10:22、ダマスカスのAl-Samariyeh Garageに到着。
市内中心へのバスは通りの反対側から出ています。この赤い路線バスに乗車。運賃10SYP/人。
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街の中心地Al-Merjeh(マルジェ広場)に到着後、付近の宿を2件回ってAl-Saada Hotelに決定。
朝食、シャワー、エアコン付きで1400SYP/ツイン。(言い値1600SYP)
ダマスカスは溶けてしまいそうに暑いので、エアコン付きはありがたい~。
しかしこのホテル、ダニがいたようで、二人とも数箇所かまれてしまいました。
宿のオジサンも、道を聞いても面倒くさそうに対応するので、それほどオススメではありません。
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旧市街のスークに出掛けてみる。
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銅製品の職人街。
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青空市場に潜入。桃75SYP/kgをお買い上げ。
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イランでもトルコでも、青い杏子は大人気。塩をまぶしていただきます。
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このキャラどこかで見た。なんだったっけ?
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一旦宿に戻り休憩し、日没後再び街を歩いていると、イラン人男性に『日本人ですか??』と声をかけられました。

彼は15年前までご家族と日本に住んでいたため日本語ペラペラ、現在はタブリーズでホテルを経営しているとのこと。

ご両親がダマスカス在住で、お母さんが入院したため急遽ダマスカスにやって来たそうです。

喫茶店でフレッシュオレンジジュースをご馳走になり、1時間ほど話をしました。どうしても夕飯をご馳走したいから、自分の滞在しているホテルに来てくれと言うので、遠慮しながらも着いて行くと、なんと彼の宿はイラン人宿・・・

懐かしいホメイニやハメネイの写真が飾ってあるコテコテのイラン風で、外人は立ち入り禁止。

それなら、外のレストランに行こうと言ってくれるのですが、気持ちだけで十分ということで、なんとか説得してここでお別れしました。

純粋で親切、相手に話す隙を与えない『オレオレトーク!!』。イラン人に久々に会い、またイランに行きたくなってしまいました。

余談ですが、イラン・イラク戦争の折は、裕福なイラン人はダマスカスに逃げてきてホテル生活をしていたため、ホテルはどこも満室だったそうです。

今でもイラン人が多く暮らしているようで、街を歩いていると、『ヘザールトマーン(10000リアルのこと)』とか『コジャース?』(何処?)とかイランで良く使ったペルシャ語を耳にします。

ダマスカスにはシーア派の巡礼地があるため、多くのイラン人がやってくるのでしょうか、レストランなどではリアル建てでも支払えるようでした。

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